第4幕: 誰が善で、誰が悪か(3)

 彼の眼差しの奥に、一瞬、得体の知れぬ熱が灯った。

 声音は穏やかだが、瞳の奥にかすかな光が揺れる。

  

 ティアがそれに気づき、言葉を探そうとした――その時。

  

 ダルクの大きな声が、静寂せいじゃくを打ち破った。

 こちらの気配を察したのか、足音が近づいてくる。

  

「なんだ、ケモノ。出ていったばかりだろう」

「客を連れてきた」

  

 ラドが眉をひそめた。ティアも思わず目をまばたかせた。

  

「客? ……お前の手に荷物みたいにぶら下がってる子のことか?」

  

 ダルクの腕に抱えられていたのは、小さな影だった。 

 小学生ほどの背丈、先の尖った長い耳。

 そしてチョコレートのような褐色かっしょくの肌。

 ――幼いダークエルフの少女だ。

  

「どうしてダークエルフがここに……?」

  

 地面に降ろされた少女は、すぐに叫んだ。

  

「た、助けてください!」 

  

 必死の声だった。

  

「村が……村が襲われてるんです! 

 あなたはダンジョンの主様ですよね? 

 強いガーディアンをお持ちなんでしょう? 

 お願いです、助けてください! 

 早くしないと、みんなが――!」

  

「落ち着いて。ちゃんと話を聞くから、順番に説明して」 

「でも、時間がないんです!」

  

 乱れた青灰色の髪の下で、琥珀こはく色の瞳が震えていた。

  

「話がまとまらなくて理解するのが難しいと言ってる。

 ……落ち着いて水を飲みなさい」

  

 ラドが差し出したカップを、少女は両手で受け取った。

 一息ついてから、ようやく言葉を続けた。

  

「少し落ち着いたかな? 

 ここを知った経緯については、後で聞かせてもらおう。

 君の村の場所と、襲っている相手は?」 

「ここから森を越えて一時間ほどのところです! 

 襲っているのは……エルフです!」 

「――なるほど」

「……エルフが、ダークエルフを?」

  

 その言葉が、部屋の空気をわずかに凍らせた。

 ティアが眉を寄せる。ダルクかすぐ答えた。

  

「エルフとダークエルフの仲は最悪なんだ。

 もう千年も続く因縁いんねんだぜ」 

「その通りです。

 私たちが軽々しく介入するのは、得策ではありません」

「ち、違うんです!」

  

 少女が首を振って叫んだ。

  

「確かに仲は悪いけど、理由もなく襲ったりはしません! 

 ……あいつら、おかしいんです!」 

「『おかしい』?」 

「人間の兵器を使ってたんです! 

 投石機とか、いしゆみとか……! エルフなのに!」 

「……人間の兵器?」 

  

 ダルクが眉をひそめながら聞く。

  

「な、爬虫類はちゅうるい、そんなにおかしいことか?」

「普段ならありえない。

 あの選民意識に凝り固まった種族差別主義者が、

 人間の技術を借りるなど……」 

「時間がないんです! このままじゃ村が……!」

  

 少女の視線がティアに必死にすがりつく。

 だが、ラドは静かに首を振った。

  

「事情は残念ですが、我々の戦力では対応が難しいです」

「どうか、お願いします!」 

「私はダンジョンから離れられません。

 ケモノ一体で戦場に行くのは危険が大きすぎます。 

 下手をすれば、この場所まで露見ろけんするだけです」

「……」

「主。お気持ちは分かりますが、

 エルフとダークエルフの抗争こうそうは珍しくありません。

 なので、関わらぬ方が――」

  

 ティアはぎゅっと拳を握りしめた。

 そう、何も『珍しい』ことはない。

 ――親族が、財産と権力のために家族を殺すのと、何も変わらない。

  

「じゃあ、黙って死ねって言うんですか? 

 よくあることだから? それが、当たり前だから? 

 そんなの……あってたまるもんか――!」

  

 耳をつんざくような叫び。

 ティアの心臓が跳ねた。

 少女は、涙まじりに必死で助けを乞う。

 そして――ティアの前に額を打ちつけた。

 胸の奥で、何かがきしむ。

  

「お願いです! 

 ダンジョンの主様、どうか……どうか助けてください――! 

 代わりに、私の命を差し上げますから……!」 

「……」 

「このままじゃ、姉も兄も殺されちゃうんです……。

 お願い……!」

  

 その泣き声が、ティアの耳の奥で別の声と重なった。

  

『助けて……誰でもいいから……お願い! 

 死ねない、死にたくない……!』 

『悪魔でもいい……父と母を、尚志なおしを返して――!』

  

 ――あの時の、自分の声だった。

  

 目の前の少女の姿が、過去の光景と重なった。

 炎に包まれた車の中。

 母の手を捕まえていたあの瞬間――

 胸の奥に封じ込めたはずの痛みが、鮮やかによみがえる。

  

 ダークエルフ少女の額が床にぶつかり、血が滲む。

 ティアは奥歯を噛みしめた。

 赤い滴が石床に落ちるたび、ティアの呼吸が浅くなる。

  

 ……ラドの言う通り、冷静であるべきだと分かっている。

 それでも――唇が震えた。

 見過ごせるはずがない。

  

「……難しいのは分かってる。

 だけど、ラド。何か方法は?」 

「主……」

  

 ティアは首を横に振った。そして立ち上がる。

 紅蓮ぐれんのような瞳に光が反射する。

  

「――見捨てられない。

 かつての私も、助けを求めてたから」 

「ティア様……。」

  

 ――死んだ両親の顔。

 抱きしめた弟の冷たい体。

  

 憎んで、恨んで、また憎んで――そして、必死に願った。

 何でもすると、そう叫びながら。

  

「――だから、私がここにいるんだ」

「……」

「ラド。私の知っているあなたなら――

 きっと、何か方法を知っているはずでしょう?」

  

 まるで迷いを断ち切る刃のような声だった。

 主の瞳が、まるで彼の奥底まで射抜くように輝く。

  

 その光は、痛いほどに真っ直ぐで、悲しく、そして美しかった。

  

 ラドは静かに息を吐く。

 ……我が主がそう望まれるのなら、行動するしかない。

  

「主の仰せのままに。

 勝つのは現実的に難しいでしょう。 

 ですが、退避を援護するくらいなら……可能かもしれません。

 必ずや御意ぎょいに従いましょう」

「ありがとう、ラド」


 ティアはかすかに口元をゆるめた。

 ――光でも影でもない、その曖昧な微笑みだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る