第9話 密室の儀式
レストランの閉店作業が終わる頃には、
厨房の熱気もようやく引いて、静けさが店内に落ちていた。
愛が勤め出して半年。随分と動きが良くなってきていた。
優貴が片付けた皿を重ねる音。
愛が伝票を揃える細い指の動き。
そして、遥が「おつかれ」と笑って照明を落とす、柔らかな気配。
三人がそろって働く土日は、どこか家族めいていて、
でも誰も言葉にしない淡い火種が、優しく胸の奥に揺れていた。
「……ねぇ、うち来ない?」
遥がエプロンを外しながら言った。
その声音は軽いのに、どこか甘えている。
母は夜勤で帰らない。
20歳の遥と優貴はビールを手に、
愛はソフトドリンクを抱えて、三人で小さなテーブルに向かい合う。
テレビでは映画が流れていて、
薄暗い部屋に、時折画面の光がふわりと三人の頬を撫でた。
キスシーンが映る。
沈黙が落ちる。
そして、遥が艶めく瞳で愛へ顔を寄せた。
「ねぇ、愛って……キスしたことある?」
肩に触れるその指は、わざと悪戯っぽく。
愛は驚き、胸の奥で何かがひるんだ。
「え……優貴くんと……すこし触れるくらいの……」
言い終えるより早く。
遥の唇が、愛の唇をさらっていった。
一瞬の、軽い音。
愛の息が止まる。
「ちょっ、は、遥……っ」
顔を真っ赤にした愛を見て、
遥は酔った頬のまま、からかうように笑い転げる。
「かわいい……ほんと、可愛いわ、愛」
優貴が慌てて止めようとするが、
遥はその手を取って、ゆっくり、絡めた。
映画の中ではまた別の恋人たちが口づけを交わしていた。
遥は二人を見比べながら、
喉の奥から溶けるような声を落とす。
「……ねぇ。順番にしてみようか」
空気がふっと甘く沈む。
遥は優貴の頬を引き寄せ、愛に“教える”ように、ゆっくりと大人の口づけを見せつけた。
愛の瞳が濡れ、優貴は言葉も出せず、
遥だけがすべてを見通すように微笑んだ。
「泣いてるだけじゃだめよ、愛……ほら、おいで」
遥が愛の頬を包み、
そっと重ねた口づけは、触れるだけの優しさから始まり、
深みへゆっくり沈んでいく。
優貴は息をのみ、胸がじりじりと焼ける。
――それでも、遥に逆らえない。
「優貴」
遥が視線だけで呼ぶ。
「……愛が、あなたを求めてるわ」
優貴は震える手で愛の頬へ触れ、
苦しげに唇を落とす。
愛はぎこちないまま、一生懸命に応える。
その拙さが、優貴の胸の奥を甘く締めつける。
そんな二人を見ながら、
遥の中で嫉妬と悦びが同じ熱で煮え立つ。
――本当は、優貴だけが欲しいのに。
でも、愛がいれば惨めにならずに触れられる。
この奇妙な三角の形でしか、
遥は自分の欲望を満たせなかった。
三人の体温がゆっくり重なって、
戻れない距離へ落ちていく。
夜はまだ深く、
誰も結末を知らないまま――。
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