ユは幽霊屋敷のユ

夏乃緒玻璃

第一夜 山より来たりて(前)

 「それ」が結局なんだったのかいまだにわからない。ただ、僕がこの窓から見ていたのは、決して見てはいけない類のものだったのは間違いないだろう。


          ◇◇◇


 うら寂しい街だった。駅からは遠く、バスの本数は少ない。商店街はほぼシャッターが閉まっており、一軒だけある小さなコンビニは夜の9時には閉店してしまう。

 僕は田中圭たなか けい。十一歳。小学五年生。

 この秋、僕がこの寂れた街に引っ越して来たのは、両親の都合だった。

 僕の元々の家は都内のマンションだった。商社マンの父と保険外交の母との三人暮らし。

 働き者の二人は今度めでたく新居を購入した。


 元々は立派なお屋敷だったのを、相続の為に更地にして5区画が売り出された場所だ。そこは都営線の駅近くで便がよく、滅多に売地など出ない場所とかで大人気。申し込みが発生して抽選販売になったのだ。


「すごい倍率だったんだぞ、圭。これはとんでもない幸運だ」 

 父は興奮気味にそう言った。 

 そう、僕たちはその「幸運の土地」を手に入れた。

 けれど、そこにはまだ家が建っていない。設計から建築までこだわり抜いたマイホームが完成するのは、来年の春だ。 

 一方で、今まで住んでいたマンションは、予想以上に早く、しかも高値で買い手がついてしまった。引き渡しは急がなければならない。つまり、今の僕たちは「新居待ち」の「仮住まい」というわけだ。 


 そこで白羽の矢が立ったのが、この「うら寂しい街」にある、父方の祖母が遺した古い一軒家だった。祖母が亡くなってから数年、売りに出しても買い手がつかず、放置されていた空き家だ。


「半年だけの辛抱よ。ここなら家賃もかからないし、その分、新しい家の家具にお金をかけられるわ」


 母はそう言って笑ったけれど、僕にとっては災難でしかない。都心の便利な生活から一転、コンビニすら夜に閉まる陸の孤島へ島流しだ。


 両親は相変わらず都心へ通勤しているから、朝は早く、帰りは遅い。バスの本数が少ないため、二人は駅まで自転車を使い、そこから電車で一時間以上かけて会社へ向かう。

 僕は転校こそしていないものの、電車とバスを乗り継いで元の小学校に通うことになった。通学時間は倍以上だ。友達とだって遊べない。

 

 午後五時。 

 学校から帰ってきた僕は、ギシギシと音を立てる階段を上る。べこべこに凹んだ廊下を通り、3つある二階の部屋の一番奥、カビ臭い自分の部屋の畳にランドセルを放り投げた。 

 シーンとしている。マンションの時は、車の走行音やどこかの家の生活音が常に聞こえていたけれどここではたまに入り込んでくる蛾の羽音まで聞こえる。


 父母の帰りは遅く夜はいつも一人だった。

 エアコンも無い部屋は暑く、僕は網戸の窓辺で涼をとる事が多かった。

 窓の外からは裏山が見える。

 夜の山はなんとなく不気味だ。山の下には、僕らの家より更に古く小さな無人の掘立小屋があり、風が吹くと木戸がカタカタなる音がここまで響いてきた。


 その日も、そんな風に何気なく窓の外を見ていた。


 何か違和感があった。


 白いものが小屋の辺りで動くのが見えた。


 目を凝らした。風で舞うビニール袋かとも思ったが、違う。今日は風はない。それに、その白い影は人間くらいの大きさがあった。じっとりと汗ばんだ腕が、急に冷たくなるのを感じた。

 

 網戸越しの視界は頼りないが、それは二本足で立っているようにも見えるし、ゆらゆらと中空に漂っているようにも見える。

 そんな人間サイズの白いモノが、あのボロボロの掘立小屋の周りを、ゆらり、ゆらりと回っている。


「なにしてるんだ」独り言が震えた。こんな夜更けに、あんな廃屋同然の場所で人が歩いているはずがない。いや、あの動きは人間のものではないだろう。


 僕は視線を逸らすべきだと分かっていながら、金縛りにあったようにそこから目が離せなくなった。

 白い影は、小屋の入り口らしき場所で立ち止まった。中に入るのか? と思った次の瞬間、ひらひら舞っていた白いモノはピタリと止まった。


 跳梁するような不気味な動きを止めたそれは、ヒトガタのシルエットをしていた。

 よく見ると白いものはワンピースか襦袢のような服で、その上には漆黒の闇に溶け込むような黒く長い髪があった。


 ヒトガタはしばらく佇んでいた。何かを待つように、あるいは探るように。


 声を出すべきではないと分かってはいたが、僕は緊張のあまり「ゴホン」と咳払いしてしまった。


 その瞬間、ヒトガタはガクン、と不自然に首を傾げたように見えた。そして、ゆっくりと、本当にゆっくりと、その顔がこちらを向いた気がした。


 距離はある。向こうから、明かりもついていない僕の部屋の中が見えるはずがない。それなのに、隠れなければいけないと本能が告げた。


 僕は弾かれたように窓辺から離れ、布団を頭から被って隠れた。心臓が早鐘を打つ。

 冷房のない部屋の温度は蒸し暑いはずなのに、歯の根が合わないほど寒気がした。


 見間違いだ。きっと疲れのせいだ。そう自分に言い聞かせたが、耳を澄まさずにはいられない。

 山の静寂の中、虫の声に混じって、カサッ、カサッという音が聞こえる気がする。枯れ葉を踏むようなその音は、少しずつ、確実に、距離を縮め、この家に近づいてきている。

 僕は布団の中で体を硬くし、両手で耳を塞ぎたい衝動を必死に堪えていた。塞いでしまえば、アレがどこまで来たのか分からなくなる。それが何より怖かった。

 音は庭の砂利を踏む音から、コンクリートの叩きを歩く音へと変わった。そして、玄関の前辺りでピタリと止まった。

 

 玄関の引き戸がガタガタと揺れる音がした。

鍵はかけたはずだ。古い家だから建て付けが悪く、少し揺らすだけでも大きな音が鳴る。 

 

 開かないでくれ。諦めて帰ってくれ。心の中で何度も祈った。

 玄関はーー


 玄関の引き戸は、開かなかった。

 ガタガタ揺れる音はしばらく続いたが、やがて止まった。そして、カサッカサッという音が遠ざかっていく。

 その音が消える寸前、僕はなにか歌のようなものを聞いた。


「あかいくつ、はあいてた‥」


 ひどく音程の外れた呻き声にも似た女声で、それは歌いながら去っていった。



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