第15話:鉛の右腕と二重の隠蔽
第三の基脈を開通させた夜から、健太の日常生活は、かつてないほどの緊張状態に突入した。
健太が右腕の第三の基脈を開通させてから、すでに五日間の地獄のような日々が流れていた。彼の日常生活は、「不具の凡人」という見せかけの重装甲によって、かろうじて保たれている。
彼の右腕は、激しい痛みの後に感覚を失い、文字通り「鉛のように」重い塊と化していた。内視によれば、脈は開通したものの、強制的な「地の毒」の流入により、右腕の末端の経絡が激しく炎症を起こし、気の流れ自体が鈍化している状態だった。これは、力を制御する以前に、腕を「凡人のように」動かすことすら困難な状況を意味した。
健太にとって、この負傷を隠し通すことは、練体第二重の力を隠すことよりも、さらに難易度の高い課題だった。なぜなら、村での彼の「よそ者」としての役割は、薬草採集という肉体労働に依存していたからだ。
健太は、夜明けと共に、李強一味との接点を極力避けるための策を講じた。
村の薬草採集場で、健太は他の村人たちから隔離されるように、畑の隅の細かな薬草の選別作業を割り当てられていた。これは彼にとって、「役立たず」の地位を固める絶好の機会であり、同時に命綱でもあった。
彼の右腕は、作業着の袖の中で厚手の布に包まれ、微かに体のラインに沿って不自然に固定されている。彼は、絶えず左手だけを使い、薬草の根の土を払い、古い葉をより分け、籠に入れる。
健太の内側では、右腕の脈の不安定さが、絶え間なく警鐘を鳴らしている。第三の脈から漏れ出る気は、彼の力の蓋を一秒間に数百回も叩く、小さなハンマーのようだ。彼は、薬草を選別する左手の指先から、微細な運息を流し続け、漏れ出る力を手の甲側へ逃がし、大気中に「溶解」させるという、極めて神経質な制御を強いられていた。
それでも村人や李強に会うたびに、「先日の重い岩を動かす作業で右肩をひどく痛めてしまった」という設定で、卑屈な笑みを浮かべた。
「李強様、申し訳ありません!この通り、右腕が全然利かなくて……今日は左手で細かな作業しかできません。力仕事は、どうかご容赦ください!」
彼の演技は、完璧な「凡人の弱さ」を体現していた。
彼は、自分を責めることで、相手の同情や軽蔑を引き出した。
「重い岩」は、先日した水路修復の出来事と結びつき、信憑性があった。
彼は自ら進んで「力仕事はできない」と宣言し、李強一味に、彼が肉体的にいかに無力であることを再確認させた。
李強は、健太の訴えを聞くと、予想通り軽蔑の感情を表した。
「チッ。やはり、ただの役立たずになったか。まあいい、細かな薬草の選別くらいはできるだろう。ただし、四分の三の献上は変わらないぞ」
李強は、健太を「自分に都合の良い、従順な家畜」と見なしていた。彼が肉体的に弱ることは、監視の必要が薄れると同時に、いつか健太を完全に切り捨てられるという安心感につながった。
昼休憩の際、李強の仲間の一人、無骨な顔つきの男が健太のそばを通りかかった。
「おい、よそ者。その腕、本当に動かねえのか?見せてみろ」
男は、戯れのように、左手で、健太の右肩を軽く掴んだ。
健太の体内の気の制御が、一瞬、完全に停止した。凡人のフリをしている彼は、反射的に力を込めることも、不快感を示すこともできない。彼は、全身の力を抜き、凡人の「怯え」と「痛みへの反応」だけを顔に出した。
「ひ、ひぃっ……!い、いたたたた!う、腕が、外れます……!」
健太は、心底痛そうに顔を歪め、腰を引いた。その怯え方は、あまりに本物らしかったため、男は一瞬の優越感に浸り、すぐに手を離した。
「チッ、本当に使えねえな。まあいい、さっさと薬草を選り分けろ」
男が立ち去った後、健太は顔に貼り付けた痛みの表情をそのままに、内視を右腕に戻した。気の流れは、衝撃によって一時的に乱れたが、暴発はしなかった。彼は、冷や汗をかきながら、凡人としての演技の緻密さが、今、自らの命を救ったことを理解した。
かくして、健太は、「練体第二重の修仙者」であるという事実を隠す「第一の隠蔽」の上に、「右腕が利かない凡人」という「第二の隠蔽」を重ねることに成功した。
日中の作業中も、健太はひたすら右腕の回復に集中した。
彼は、左手の細かい作業をこなしながら、内視を右腕に集中させた。開通した第三の脈からは、確かに腹の熱源へと気が出入りしている。しかし、その流れは、他の二つの脈に比べて明らかに不安定で、まるで水漏れしているかのように不規則だった。
この「水漏れ」のような現象は、彼の気の制御全般に悪影響を与え始めた。
練体第二重の力を封じ込める「力の蓋(ふた)」が、右腕の脈の不安定さから、わずかに緩み始めたのだ。健太は、以前にも増して、微細な運息に精神を集中させなければ、力が漏れ出しそうになるのを感じた。
「この不安定さを放置すれば、いつか李強の前で、力が暴発する……」
健太は、自身の凡才としての限界に直面した。彼は、師の指導も、適切な霊草の助けもなく、自らの肉体を改造するという、無謀な試みを続けていた。その結果、彼の肉体は、未調整のままのハイブリッド・エンジンのような状態となり、いつ故障してもおかしくなかった。
右腕の回復には、数週間かかるだろう。しかし、健太は立ち止まることを許されなかった。右腕の不安定さを完全に制御するには、左右のバランスを取り戻す必要があった。
夜、月明かりの届かない小屋の中。
健太は、次のステップ、すなわち第四の基脈(左腕)の開通が不可欠であると結論付けた。
彼は、回復を待つ間、夜間の小屋の中で、第四の脈を開通させるための準備作業に入った。
第三の脈を開通させたときの最大の教訓は、「詰まりの洗浄」の前に「道筋の拡張」が必要であるということだ。無理やり毒を押し込んだ結果が、この負傷だった。
健太は、今度は左腕の脈に対し、より慎重なアプローチを取った。
健太は、右腕を胸元に抱え込んだまま、結跏趺坐の姿勢を取る。右腕の脈の不安定さから、以前よりも遥かに時間がかかるようになった導引の訓練を終えた後、彼はすぐに第四の脈(左腕)の開通作業に取り掛かった。
右腕で犯した過ち――「道の拡張」を怠り、「地の毒」を無理やり押し込んだこと。
左腕では、その過ちを二度と繰り返さない。
彼は、腹の熱源を巡る温かい生命力の気を、右腕の時よりもさらに希釈し、純度を落とした、「ただの温水」のような気の流れに変換した。
地の毒は希釈が必要であるとの認識の元、地の毒を直接使うのではなく、腹の熱源を巡る温かい生命力の気を、右腕のときよりも極端に少ない量だけ、左肩の脈へとゆっくりと押し込む訓練を始めた。
これは、詰まった血管に、極めて細い針金を何百回も通して、少しずつ道を広げるようなイメージだ。痛みは伴うが、致命的な負傷を避けるための、地道な作業で微細な摩耗は避け様が無かった。
数時間に及ぶ訓練の間に、数十回の後退と、数回の微細な前進があった。
そして、夜が明ける直前。彼の左肩の脈の入口が、目に見えないほどわずかに「弛緩」したのを、彼は感じ取った。
「受け入れの兆候」ではない。ただ、彼の気の侵入に対し、抵抗する壁の「構造疲労」が生じただけだ。
「あと、二週間か……いや、三週間。このまま、毎日、少しずつ、削り続けるしかない」
健太は、閃きや達成感とは無縁の、ただの作業の進捗を確認した。鉛のように重い右腕を、さらに深く抱き寄せながら、彼は泥の底を這うような、彼の孤独な修行を続けた。彼の道は、牛歩どころか、壁を削る蟻の歩みよりも遅く、重く、そして凡庸だった。
健太は、内視のまま、この左腕の脈に向かって、静かに語りかけた。
(俺は、この凡人の世界で、もう一度生き直す。お前は、そのための道具だ。耐えろ。動け)
彼の孤独な修仙の道は、もはや己の肉体との絶え間ない対話と、技術的な調整の連続となっていた。右腕の負傷は、彼に「暴力を振るうな」という教訓を与え、彼の修行をさらに「陰湿で、精密な」方向へと進化させていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます