第4話 第一章一日目 秘密の花園パンドラの箱に

一日目 朝


花をもらったとき、緑に言われた。優しげな目元の、男の子。

「本当に、それでいいの?」

最初は、何のことかわからなかった。


「たしか、赤いアネモネは……良くない意味があったような」

「花言葉の話? 気にしてないよ。きれいだし」


春。菜園は色とりどりの花であふれ、島じゅうが陽光に包まれていた。

その一角に、ひときわ鮮やかな赤いアネモネが咲いていた。

おそらく植物園から飛んできた種だろう。だが、緑はそれを抜こうとしていた。


こんなに美しいのに、処分するなんて。

「部屋に飾ってもいい?」と聞くと、彼は少し驚いた顔をしてから、静かに頷いた。

花言葉は――情熱、愛、そして嫉妬。

けれど、緑がそんな感情を抱くとは思えなかったし、やはり花言葉に緑は詳しくはないようで、むしろ良くない意味があると知っていたことに驚いた。

少し安心したような彼は株を手際よく分けて渡してくれて、私は校舎へ向かった。


廊下で青とすれ違う。今日はツインテールの日であるらしい。

「おはよう、赤お姉ちゃん。今日も早いね」

「青こそ。おはよう」


彼女はキッチンへ、私は屋上、鐘の部屋へ。

水時計は六時を示していた。私は鐘を鳴らす。

春の朝日が海に反射し、島を金色に染める。

空気はまだ冷たいのに、緑はもう夏服だった。代謝がいいのかな、と思う。

 

一階へ降りる途中、シアンとすれ違った。

薄いカーディガンに、きっちりまとめた髪。

「おはようございます。昨日の話、考えてくれましたか?」

――昨日の話。髪を伸ばすかどうか、そんな小さなこと。

でも彼女にとってはきっと、大切なことなのだろう。おそらく他人の髪の、最も映えた様子を見たいのだ。私は手間がかかるのでこれ以上伸ばしたくはないけれど。


キッチンでは青と先生が朝食を整えていた。

盛り付けだけ手伝い、皆が集まるのを待つ。

橙が服に泥がついてる!と緑を指摘し、緑が困ったようにし、

「嘘だってば」と笑い合う。

黄色はパンをかじり、藍は「今日は春日和ですわね。お花見したいわ。お月見したいわ。歌いたいですわ」と欠伸をし、

紫はまだ半分眠っていた。


やがて深紅が遅れてやってくる。シアンに呼ばれて、やっと。

彼は橙の隣、私の隣に座った。深紅はなにごともそつなくこなせるからか、あまりこうしたことをそろえる意識がなかった(青は顔がよくてそつなくこなせるなんてかっこいいと言っていたが、どうかと思う)。


九人と先生、円卓を囲む。

朝日が差し込み、食堂が柔らかい光に包まれる。

「それでは皆さん、今日の平穏に感謝して――いただきましょう」


「今日、筆記のテストなかったよな?」と深紅。

「数学あるよ」と橙が即答する。嘘だ。

「よし、じゃ今日は数学ないな。余裕」

「真面目に言うと倫理だ」と緑が口をはさむ。

「ならやっぱ余裕で赤点とらないな」

緑は眉をひそめ、橙は吹き出した。

――この島の日常は、いつもこうだ。静かで、愚かで、やさしい。


朝ごはんを食べた後の、ゆるやかでやさしい休憩時間。

橙と緑は黄色につきっきりで勉強を見ていた。

黄色の座右の銘は「毎日新しい記憶で生きる!」――要するに、昨日習ったことを全部忘れるということだ。

「倫理なんて実生活に使いませんよ」と紫が言い、シアンが「どうしてですか?」と真面目に返す。

「だって、現実には“アーニーの悲しい過去”より仕事内容の方が大事でしょう?」

紫の暴論には、いつも反論の余地がない。


午前のテストの結果、藍と黄色と緑が落ちた。

緑は“教える側”だったはずなのに。

テストののちの理科の授業で、「アーニーが泣いた理由:母親を失ったから」と書けば正解なのに、

「経済的に困窮する未来が見えたから」と余計な分析を添えて減点されたのだと、紫が言っていた。

紫にからかわれて泣く緑。どうにか元気づけてあげたい。でも、橙が言うには、「赤は正論、紫は暴論」らしく、話しかけようとするだけ相手を気落ちさせてしまうらしい。

だから私は放置するしかなく、橙に励まされて緑も立ち直ってはいたけど、理科の授業では深紅と言い合いになってしまっているようだった。


授業後の図書室の光はやわらかく、風はすこし甘かった。

シアンと私は静かに読書をし、黄色と緑は再び倫理をやり直している。

橙は紫と談笑していた。距離を置くのも大切だと、私は心の中で頷く。


「お姉さま、紫またやってますよ」

案の定、紫は気に入らない本に爪を立てていた。

「公共物に傷をつけないでください」とシアン。

「なら君は虫も殺すな」と紫。

「草木も枯らさないでね!」と橙。

……平和とは言いがたいが、これも日常だ。


窓の外、木陰で寄り添う深紅と青が見えた。いや、寄り添うだけではない。

胸の奥が、少しだけざわついた。

見てはいけないものを見たような気がして、私は「オーディンの息吹」を閉じる。


階段の水時計が流れを変える。

昼休みの終わりまで、あと十分。

私は体育室へ向かいながら、また橙と紫と出くわした。

軽口を交わし、からかわれ、やっと解放されたころには、心底疲れていた。


階段の水時計が上から流れ落ちていた。

つまり――昼休憩の終わりまで、もう十分もないということだ。


私はシアンをたしなめて、体育室へ向かおうとする。だが、橙と紫がついてくる。


「えっちね。こっちは女子更衣室よ?」

「男子更衣室まで同じ階段通るんですー当たり前でしょー」

「“えっち”なんて言葉が咄嗟に出るあたり、シアンの語彙が何に支配されてるかわかる気がする」


――頼むからもう解放してあげて。

私は痺れを切らして、強引に話をそらした。


「橙!綿花の収穫、今日するんじゃなかったの!」


その瞬間、橙の顔が“しまった”という表情になり、駆け出していく。

「緑!回収!綿花回収しないと!明日雨かもって藍が言ってた!」


図書室のほうから「えっ、でも!」という声がして、

緑が「今からじゃ間に合わないよ!」と返す。

それを無視して黄色が「今行かなきゃいつ行くんだ!」と走り抜けていく。

緑もあわててその後を追い、廊下の角を消えた。


――たぶん、遅刻は確定だろう。

でも、おかげでようやく空気が落ち着いた。


紫はふと思い出したように、さっきの倫理の授業の話をし始めた。

「そういえば黄色の“命の大切さ”の回答、あれは……」

その瞬間、私は察した。

――今度は黄色が暴論の標的になったのだ。


更衣室、隣の彼女は涙目でつぶやいた。

「お姉さま、私ほんとうに、虫も草木も殺さないし……ペンの使い方も変じゃないの」


「分かってるよ」

私は短く答える。紫や橙は、相手の反応を見るのが好きなだけだ。たぶん。


青が遅れて合流した。「何の話?」と首をかしげる。

「シアンは命を大切にする子なのよ」

「黄色なんて、」

シアンの顔が歪んだ。……しまった。フォローになってない。

「“命は大事にしないといけません”って一行だけ書いて提出したんだって!」



「黄色ほどは悪くなかったわ!もう見ないで!」と叫んで、ついに泣き出した。

庇ったつもりが、テストのことを思い出させて余計に傷を広げてしまったようだ。


青はあわてて肩をさすりながら、「橙とか紫とか、言いたいだけだから気にしないで!」と宥める。

シアンは涙を拭いながら、「うん……ありがとう」と小さく返した。

その声が震えていて、私の胸の奥がきゅっと痛んだ。


橙は緑と違い、一度もテストを落としたことがない。

青や深紅はたまに落としてしまうので、よく紫と橙の餌食になる。

藍に至っては、落ちても「注意してくれる友達がいて幸せね」と微笑むので、からかうほうが先に飽きてしまう。


体育の時間。開始からすでに十分が経過していたころ、

「うわっ!始まってる!」「黄色、時計読めるようになれよ!」という声とともに、

さっきの三人組が息を切らして帰ってきた。


「遅れましたわ。お昼寝していましたの」

最後に、悠然と藍が現れた。

彼女はどこでも寝てしまう。この広い、島の敷地は、校舎の外に穀物地帯と植物園地帯がある。海辺までみっちりと生えているため、見通しが悪くても見つからない。注意しても、お昼寝をした彼女を探しても、どこにいるのか探す時間も無駄になることがわかっているため、しかたなく藍は遅刻を放置されていた。


「緑、最近たるんでるよな」

「思春期ってやつかな、なんかイライラしてる」

深紅と青の会話が耳に入る。


――嫌な予感がした。

「理科の授業で喧嘩してたの、どうして?」と聞くと、深紅は面倒くさそうに答えた。

「ただの八つ当たり。自分がテスト落としたくせに、俺の態度のせいにして怒ってきた」

「でもさ、あいつ自分が怒ってるとき、こっちが冷静だと余計ムカつくらしい」

「だから、わざと声張り上げてやると、しばらくして落ち着くんだ」


なるほど――そうやってバランスを取っていたのか。

私は感心しかけたが、背後で緑の声がした。


「……俺に付き合って怒ってたってこと?」


彼は傷ついたような顔で、そして――昼間の怒りが戻ったような顔をしていた。青は困り眉になって目を伏せたが、緑に対して何か言う余裕はないようだった。

「悪かったよ」とだけ言い残し、橙たちの方へ戻っていく。

唇を噛み、涙をこらえていた。深紅も、背を向けた。


魔法の授業のディスカッションでは、緑は一度も深紅と話さなかった。

不安定な気持ちのまま臨んだ結果、先生に「魔力の数値が不安定だ」と公言されてしまった。

普通なら面談で話す内容だ。それほど制御を欠いていたということだろう。


「魔力を制御できなければ卒業はできない」

先生の声が冷たく響く。

誰もが顔を伏せる中、橙と紫だけは平然としていた。

青が顔をそむけると、紫がすぐに突っついた。

「やましいことでもあるんですかー?」


緑はもう、完全に心が折れた顔をしていた。


――全部、私のせいだ。

体育の授業の、不用意な会話が、ここまで関係をこじらせるなんて。


面談で、私は正直に話した。

「緑の前で陰口を聞かせてしまいました」

先生は短く頷き、

「それは緑の問題です。あなたの問題ではありません」と言い切った。

「それより、あなたがまだ魔法を発現できていないことの方が重大ですよ」


……そう。私はまだ、魔法を使えない。

今日の授業では藍が見事な霧を出したというのに、

私はただ、壁にわずかな衝撃を与えただけだった。


「緑には明日、特別に面談をします」

それが先生の最後の言葉だった。


夜ごはんの鐘が鳴るまで、私は屋上の鐘の下でひとり座っていた。

夕陽にもまだならない太陽の下で、校庭では橙と黄色と緑が追いかけっこをしている。


ようやく――少しだけ安心できた。

 水時計はそろそろ五時をさす。鐘を鳴らしに行かなくては。夜ご飯の時間だ。



一日目 夜


 五時の鐘を鳴らし、談笑しながら帰ってくる緑たちを見てから、私も急いで一階へ向かった。

 キッチンではすでに調理が終わっていた。いつも鐘を鳴らす前に手伝いをしていたのに、今日は自分の考え事に夢中になってすっかり忘れてしまっていた。

「いいのよ。っていうか、ごめんね。私のせいでしょ、赤お姉ちゃんが元気ないの」

青もまた元気はないようだった。先生がジャムの瓶を取り出そうとしているのをちらっと見てから、小声で続けた。

「面談で緑がはじめて赤点とって気落ちしているのに、追い打ちみたいな陰口しちゃって、先生も追い打ちみたいなことしてたでしょ。先生からフォローをしてほしい、って言ったんだけど、やっぱり個人的に話し合いをします、しか言ってくれないの。」

青はどこか、陰口を反省しながら、また早口で陰口を言っている印象だった。彼女自身の悩みもまた先生に一蹴されたのだろうか。

 やはり、先生は生徒同士のいざこざは仲介するタイプではないようだった。

紫も配膳を手伝いに来てくれたが、

「緑のはただのお子様癇癪なんだから緑の頭の程度をどうにかできるか、と言われると難しいよね」という悪意のある言葉を挟んできたので、青との会話もきまずくなって終えてしまった。


 深紅と緑は、円卓では真正面に近い位置だ。それなのに、両者顔を合わせないように全力をかけているようで、深紅はひたすら紫と、緑はひたすら橙と会話することで目線を横へそらし続けている。


 シアンは気遣いをしてくれる。体育の時余計な事をした私や、それで思い悩んでいることについてとやかく言わず、水浴びの後部屋まで話ながらついてきてくれた。これはもう両者ともに謝らない姿勢なのだから私たちにはなにもしようがないらしかった。シアンが言うには、私はまた放置をするほかないらしい。

夕飯が終わって、消灯の鐘までの時間を、シアンと私の部屋で話して過ごすことにした。シアンの部屋は、今は散らかっていて見てほしくないらしい。シアンは掃除当番なので、完璧主義がすぎて、散らかる、の定義が広すぎるように思う。

ラウンジは、心が疲れる雰囲気になっていたから、逃げだしてしまったのだ。「それより、お姉さまもお部屋でお花を育て始めたの?」

「そうなんだ。緑が分けてくれて」シアンも部屋で白い花を育てている。以前尋ねた時、部屋が太陽の光を反射して輝くようになっていて、シアンの凝り性がよく表れていた。「育てるときに気を付けないといけないこととか、アネモネにはあるのかな」と聞くと、私よりも緑に聞いた方が良いわ、との回答だった。

「私ももうちょっと倫理の勉強しなくちゃだわ。紫にいじめられる。」そして、すぐ顔を曇らせる。「緑も…賢くてとてもやさしい男の子なのに、かわいそうだった」


 私が紫をなんとかしないといけないのかもしれない。紫がかみつくのは、藍と私以外だ。もれなく先生にもその毒舌と暴論を発揮させる。

「明日、紫をなんとか注意してみる…今度こそ」

「…さすがのお姉さまでも、紫は言うこと聞いてくれないと思うわ」もっと実力行使、というか、暴力に訴えたほうがいいのだろうか。でも、私が暴力に訴えるのは、力でねじふせるだけだ。法やルールではなく、暴力に頼って秩序を作るのは、違う。


やはり先生に頼むしかないのだろうか。「先生にも、紫は痛めつけないとだめだって言ったわ。」シアンが続けた。「でもそれは、実力主義的な考えだからやめなさいって言われてしまったの」。シアンがそろそろ眠たい、と主張したので、私は話につきあってくれたシアンに感謝を言い、階段をみっつあがった。あわただしく駆け降りる青と深紅、眠たげに階段を滑るように上がる藍とすれ違いあいさつをしながら、シアンは意外と回復がはやい、と思った。あれだけ今日泣いていたのに、もう通常運転だった。

 屋上につく。そろそろ九時だ。鐘を鳴らそう。そして明日は、先生に紫への具体的な対処と、緑へのケアをお願いしなければならない。

 しかし、そのどちらも、果たされることはありえなかった。

 この時、既に運命は動き出していたのだから。

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