好感度が見えるようになったけど、毒舌な幼馴染の数値がバグってる

とっきー

第1話 世界は嘘でできていて、彼女だけが壊れている

 世界は、残酷なほどシンプルで、救いようのない数字でできていた。


「あ、市川(いちかわ)くんおはよー! 今日も早いねっ」


 教室に入った瞬間、鈴を転がすような声が鼓膜を揺らす。


 クラスカースト上位、愛想の良さで男子に人気のある女子・佐々木(ささき)さんだ。彼女は花が咲いたような笑顔で僕に手を振っている。


 だが、僕の目に見えているのは、その笑顔ではない。


 彼女の頭上に浮かんでいる、無機質なフォントの数字だ。


【好感度:12】


 低い。あまりにも低い。

 12という数値は、経験則から言えば「道端の石ころ」と同レベルか、それ以下だ。


 つまり彼女の「おはよー!」は、「視界に入ったから反射的に音を出しただけ」という意味になる。


「……うん、おはよう」


 僕は引きつりそうな頬を抑え、なんとか無難な挨拶を返して自分の席へと向かった。


 僕、市川 蒼(あおい)がこの奇妙な「好感度カウンター」を見るようになったのは、三日前のことだ。


 自転車通学中に電柱に激突し、生死の境をさまよう……ほどではないが、派手に頭を打って気絶した。目が覚めたときには、人の頭上に0から100までのパラメーターが見えるようになっていたのだ。


 50がフラット。80を超えれば親友や恋人レベル。


 逆に20を下回れば、嫌悪や無関心の対象。


 この三日間で僕が知った真実は一つだけ。


 **『人間は、息をするように嘘をつく』**ということだ。


 仲良さそうに話している男子グループの頭上が全員【30(義理)】だったり、優しそうな担任教師が僕を見る時の数値が【5(ゴミ)】だったり。


 視覚化された本音は、僕のメンタルをゴリゴリと削っていった。もう誰も信じられない。人間不信待ったなしだ。


 だからこそ、僕は憂鬱だった。

 これから会う「彼女」のことを考えると、胃がキリキリと痛む。


 ガララ、と教室のドアが乱暴に開く音がした。

 教室の空気が、ピリッと凍りつく。

 現れたのは、腰まで届く艶やかな黒髪と、日本人離れした整った顔立ちを持つ少女。

 幼馴染の、氷室(ひむろ)凛(りん)。


 黙っていれば深窓の令嬢に見える彼女だが、その性格は凶悪なまでに攻撃的だ。特に、腐れ縁である僕に対しては。

 凛は教室内を見渡すと、僕の姿を捉えた瞬間、眉間に深いシワを刻んだ。


 そして、カツカツと足音を立てて僕の席まで歩み寄り、見下ろすようにして言い放つ。


「……チッ。朝からアンタの冴えないツラ見るとか、何の罰ゲーム?」


 おはようの代わりが舌打ちだった。

 教室の数人が「うわ、またやってるよ」とヒソヒソ噂するのが聞こえる。


「おはよう、凛。今日も機嫌悪そうだな」


「はあ? 当たり前でしょ。アンタと同じ空気を吸ってるだけで肺が腐りそうなんだけど。弁償してくんない?」


 辛辣すぎる。

 昔はあんなに可愛かったのに、高校に入ってからはこの調子だ。僕のことが嫌いなら関わらなけばいいのに、なぜか彼女は毎日こうして罵倒しにくる。


 もし、彼女の頭上に数字が見えたら。

 きっと【0】……いや、マイナスを振り切っているに違いない。


 僕は恐る恐る、凛の頭上に視線を向けた。


「……え?」


 思わず、声が漏れた。

 そこにあったのは、予想していた「0」でも、他の生徒のような「2桁の数字」でもなかった。


【好感度:▒▒Error▒▒■■■999999999↑↑❤️】


「は……?」


 バグっていた。

 いや、バグっているどころではない。


 真っ赤なエラーメッセージのような文字化けと、桁あふれを起こしてカンストしている数字の羅列。そして、末尾には毒々しいほど鮮やかなハートマークが点滅している。


「何マヌケ面してんのよ。キモい」


 凛が侮蔑の眼差しを向けてくる。

 言葉は鋭利な刃物だ。表情も冷え切っている。


 だが、その頭上のウィンドウだけが、

【好感度:∞(測定不能)……❤Love❤……】

 と、ファンシーなピンク色で脈動していた。

(な、なんだこれ……壊れたのか? 僕の目)

 佐々木さんの【12】は正常に表示されている。凛だけがおかしい。


 あまりの事態に僕が呆然としていると、凛はふん、と鼻を鳴らした。


「……ネクタイ」


「え?」


「曲がってんのよ、だらしない。それだから万年ボッチなのよ」


 凛は乱暴な手付きで僕の胸元に手を伸ばすと、グイグイとネクタイを締め直した。

 力が強すぎて首が締まる。


「ぐ、ぐるじい……!」


「うるさい。少しはマシになったわね。……感謝しなさいよね、ゴミ虫」


 彼女は捨て台詞を残し、長い黒髪をなびかせて自分の席へと戻っていった。


 周囲からは「うわ、氷室さん怖っ」「市川、朝からカツアゲされてんじゃね?」と同情の視線が飛んでくる。


 しかし。

 僕は見てしまった。

 彼女が僕のネクタイに触れている間、あのバグった数値が、

【好感度:幸福度MAX! 接触検知! 幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ】

 という、狂気じみたログを高速で流していたのを。


 ……ゴミ虫って言ったよな? 今。


 放課後。

 僕の精神的な疲労はピークに達していた。

 原因は「数値」のせいだ。他人の悪意や無関心が可視化される世界は、想像以上にストレスが溜まる。


「あーあ……帰ろ」


 今日は日直だった。

 相方の男子は【好感度:15】で、「部活あるからあと頼むわー」と嘘をついて帰ってしまった。黒板を一人で消しながら、僕はため息をつく。


 その時だ。


「……何してんの」


 背後から、低い声がした。

 ビクリとして振り返ると、帰ったはずの凛が教室の入り口に立っていた。


 腕を組み、不機嫌オーラ全開だ。


「凛? どうしたんだよ、まだ残ってたのか」


「アンタがあまりにトロいから、視界の端に入ってイライラしただけ。……あいつに押し付けられたわけ?」


「あいつって、相方の? まあ、部活があるらしいし」


「ハッ、バカじゃないの。あいつ帰宅部でしょ。インスタのストーリーにカラオケなうって上がってたわよ」


 凛はスマホの画面を僕に突きつける。

 そこには、相方の男子が他校の女子と楽しそうに歌う写真があった。


「うわぁ……」


「アンタって本当に救いようのないお人好しね。脳みそ溶けてるんじゃない?」


 罵倒しながら、凛はスタスタと教卓へ歩み寄る。

 そして、黒板消しを手に取った。


「貸して。見てらんない」


「え、いいよ悪いし。凛には関係ないだろ」


「関係大ありよ! アンタがいつまでもグズグズしてると、私が……その、見てて不快なの!」


 彼女は乱暴に僕の手から黒板消しを奪い取ると、背伸びをして高いところを消し始めた。


 夕日が差し込む教室。

 オレンジ色の光の中で、彼女の横顔は腹が立つほど綺麗だった。

 

 口を開けば毒しか吐かない。

 いつも僕を馬鹿にする。

 でも、こうして助けてくれる。


 僕は恐る恐る、彼女の頭上をもう一度確認した。


【好感度:SYSTEM ERROR / 感情容量オーバー / 好き好き大好き愛してる誰にも渡したくない私だけの蒼私だけの蒼……】


 ……怖い。

 シンプルに情報量が怖い。

 文字が洪水のように溢れ出し、ウィンドウからはみ出している。


 彼女が黒板を消す手を動かすたびに、頭上のハートマークがポコポコと増殖していた。


「……何ジロジロ見てんのよ。殺すわよ」


 僕の視線に気づいた凛が、顔を真っ赤にして睨みつけてくる。

 その言葉とは裏腹に、数値のログにはこう表示されていた。


【心拍数上昇:140 / 状態:極度の照れ / 翻訳:もっと見て】


「……」


 僕は理解した。

 この能力は、「他人の本音を知って絶望するための呪い」じゃないのかもしれない。

 

 この、素直になれない面倒くさい幼馴染の、分かりにくすぎる愛を受信するための――唯一の翻訳機なのかもしれないと。


「おい、聞いてんのかクズ!」


「……聞いてるよ。ありがとう、凛」


 僕が素直に礼を言うと、凛は「っ!?」と目を見開き、ふいっと顔を背けた。

 耳まで真っ赤だ。


【好感度:限界突破(LIMIT BREAK)!!!!!!】

 

 頭上でファンファーレのような文字が踊る。

 どうやら僕の高校生活は、人間不信になる前に、このバグった幼馴染に振り回されて終わる運命にあるらしい。

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