バベルのひめゆり
宿仮(やどかり)
第1話 バベルのひめゆり
ひめゆりの塔が「ハベルのひめゆり」になったのは、神話なんだって優等生の沙羅が言ったことで、わたしは納得するしかなかった。
私たち横浜白百合学園の生徒は沖縄へ修学旅行に来ていたんだけど、その前日だかに日本の大臣がフェイク発言をして、日教組沖縄支部の案内役だったオヤジがひどく怒っていた。引率の高倉はただ平謝り。
そのせいなのか「ひめゆりの塔」が崩れて、三人仲良しとされていたスーがその下敷きになって入院したのだ。
「これが沖縄の民の呪いだ」とオヤジが言うもんだから、「じゃあ、これがバベルの塔なのか」と高倉が言い、その解説を沙羅がわたしにしてくれた。
「つまりよ。バベルの塔は聖書に出てくる例え話で、偉い王様が神様に逆らって塔を建てたのよ」
「それで、高倉の話はいいから、はしょって。ドバッといっちゃって」
「そこでは奴隷が必要だったんだけど、いろんな国の奴隷を連れて来たので、言葉が通じないから、めちゃくちやに崩壊した。天罰だって、さっき日教組のおじさんが言ってたでしょ。それを高倉先生が神話に置き換えたわけ。で、私たちはスーの面倒を見るように言われたの」
「つまりわたしたちも奴隷ってこと? スーは頭の打ち所が悪く天然なのに、なおさら天パーになっちゃったってことでしょ。ご愁傷様ね。ご苦労なこった」
「天パーって……」沙羅が呆れたようにわたしを見た。「今はそれどころじゃないでしょ。スーが大変なんだから」 ラウンジでソーダ水を飲みながら、わたしと沙羅はここが沖縄で、しかも病院の中だということも忘れて話し込んだ。
確かにそうだ。
スーは今、病院のベッドで点滴を受けている。顔色は青白く、頭には包帯が巻かれていた。
「でも、本当に沖縄の人の呪いなのかな……」
わたしはポツリと呟いた。
沙羅は少し考えてから言った。
「呪いかどうかは分からないけど、沖縄の人が怒ってるのは事実よ。大臣の発言もそうだし、基地問題もずっと解決しない。色んなものが積み重なって、今回の事故に繋がったのかもしれないわね」
沙羅は、この暗い洞窟のはしごを降りていくつもりだ。さらに踏みこんで考えようとしている。
日教組のオヤジは毎日見舞いに来ていた。 スーの母親は深々と頭を下げ、何かにつけて謝っていた(逆だろうが!)。 高倉先生もスーのベッドの傍から離れようとしなかった。
沙羅が心配そうに覗く。
沙羅は抒情的演技派のスーを警戒しているのだった。高倉を取られそうで。
去年の文化祭の『黒い雨』の舞台で黒い涙を流していた沙羅を思い出した。
高倉はスーの演技指導に熱が入りすぎて、そこは入浴シーンだからと高校生演劇ではあり得ない発言をするのだった。
そんなことを思い出したわたしは笑いが込み上げてきた。
実際に三人娘と言われるが、沙羅はスーのいないところではけっこうひどいことを言っていた。わたしたちの秘密だけれども。
わたしはもともとスーの感情的なところが合わなかった。だってクールビューティーのわたしだもの。
わたしたちは、スーの代わりに観光することはできなかった。
毎日病院へ通い、スーの好きな本を読んだり、ホテルであった出来事を話したりした(沙羅の秘密は隠して)。
スーはまだぼんやりしていて、わたしたちの言葉への反応は少なかったけれど、ときどき小さく微笑むことがあった。
ある日、日教組のオヤジが沖縄の歴史について話してくれた。
琉球王国のこと、戦争のこと、基地問題のこと。
オヤジの話は教科書で習ったものとは全く違った。生々しく、感情がこもっていて、胸に刺さった。
感化されたのは、高倉と沙羅のほうだけど。
「沖縄の人は、ずっと我慢してきたんだ。色んなものを奪われて、傷つけられて。でもそれでも、強く生きてきた。だから今回の事故をただの偶然だとは思えないんだ」
オヤジの言葉を聞いて、優等生の沙羅は沖縄の痛みを理解しなければと反省文じみた手記を書き始めた。
それがスーの無意識を刺激して、そうしてわたしたちは“ひめゆりの穴”に落ちてしまったのだ。
スーは「ひめゆり」の言葉の元になった水汲み看護学生の短歌に感動したのか、そこが龍宮だと言いはじめた。
わたしは驚いたけれど、精神科の先生は「オープン・ダイアローグが順調のようです」と言った。
ここで沙羅に「オープン・ダイアローグって何?」と説明を求めたら、スーが回復している証拠らしく、もう少しこの“ゲーム”につき合ってくれと言われて、わたしたちはさらにスーの看病を続けることになった。
数日後、スーは少しずつ回復し始めた。
言葉も戻り、わたしたちの顔も認識できるようになった。
ただ、このゲームは終わらなかった。
「みんな……ありがとう……」
スーは弱々しく言った。「私……大丈夫だよ……」
その言葉を聞いて、わたしたちは涙が止まらなかった。スーは治ってない!
退院も無理かと思ったら、精神科の先生いわく「ぜひ記録して学会発表したい」とのことで、沙羅の手記は続けられることになった。
スーは少し髪が伸びて、本当に天パーになっていた。でも気にする様子もなく、笑顔でわたしたちに手を振った(またここに戻るのに)。
そして高倉は「引率者として俺も残るから」と、偉そうに言った。
「とりあえず水買ってきてくれ」と、わたしと沙羅に命令するのだ。
今回の修学旅行は、わたしたちにとって忘れられない経験だった。
それはただの観光旅行ではなく、沖縄の歴史と文化、そして人々の痛みと優しさに触れる——貴重な機会だ、と沙羅は優等生ぶって言うのだけど、パシリにされたわたしは怒り心頭だった。
病院で読んでいた台湾人漫画家・高研『隙間』を思い出し、沙羅との“隙間”を考えてしまった。
「わたしはテッポウ百合になったのか?」と皮肉ると、沙羅は「上手いこと言うわね。ここはテッポウユリの塔ね」と返してくる。
沙羅のそういうところが、わたしは嫌い……
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