第3話
「──っ、いい加減にしろ。俺は」
言い掛けて、セシリアに気付き口をつぐむ。身なりの良い男性がバルコニーに出てくるところだった。黒を基調としたスーツに金糸の刺繍、肌がわずかに濃い色をし、ダークワインレッドの髪は左右がちょうどよく刈り上げられている。その整った顔立ちには、眉間のシワが目立っていた。
後から追ってきた付き人らしき男性が、同じようにセシリアを見て、慌てて頭を下げる。
「騒がしくしてしまい失礼しました。……ファブラ様、私は先に戻っております」
そう短く告げて身を翻す。セシリアが返事をするよりも早く、その付き人の姿が見えなくなった。二人が残されて、静けさが戻る。少ししてファブラと呼ばれた男が咳払いした。
「突然すまなかった。人がいるとは思わなかったんだ」
「いえ、気にしないでください。私ももう行くつもりでしたから」
セシリアが扉を目指す。けれどその途中、ファブラの前を差し掛かった頃にパッと手を掴まれた。驚いて顔を上げる。ファブラが「失礼」と口を開く。
「たしか、君はセシリア嬢ではないか? ハーヴェスト家の」
「ええ、そうですが。なにか?」
「そうか! これはタイミングがよかった。話があるんだ、君の婚約者について」
「メルセスのことで……?」
「少し時間をもらえないだろうか」
その提案にセシリアは戸惑う。見慣れない男性と二人きりになるのは、できれば避けたい。けれど、メルセスの情報が得られるのなら、少しでも欲しかった。
「……わかったわ」
悩んだ末に承諾を返す。「ありがとう」と返され、改めて、と促されバルコニーの奥までエスコートを受ける。
備え付けられている椅子に座るよう勧められて、セシリアがその通りにした。風が冷たいから、とファブラがジャケットを貸し、彼が隣に腰を下ろすと早速と話し始める。
そうして語られたのは思いもよらない内容だった。
* * *
「つまり……メルセスが貴方の領地で勝手をしているのね」
話をするうちに、ある程度打ち解けた二人。セシリアがファブラの訴えをまとめた。簡単に言えばメルセスの行動に迷惑しているといった内容だった。
てっきり婚約者の女性関係でも聞かされるのかと、身構えてしまっていたセシリアは拍子抜けしてしまう。自分の他に婚約者候補を探しているメルセスのことだ。恋人のいる子でも手当たり次第に声をかけていてもおかしくない。だけど実際に聞かされていたら、それはそれで嫌だったはず。
複雑な感情の彼女を置いて、ファブラは頷く。
「ああ。俺たちの領土は川を挟んで東西に別れている。他のところよりだいぶ分かりやすいと思うんだが、彼は自分の領地から見える景色が気に入らないらしい」
「それは……たしかに言いそうね」
ファブラの言葉に『顔が気に入らない』と言われたことを思い出して、胸がチクリと痛む。羽織っているファブラの上着の端をギュッと握って溜め息を吐いた。
「メルセスはこだわりが強いのよね」
「そうらしいな。この間抗議しに行ったときは一方的に理想を聞かされたよ。屋敷の窓から川向こうに、葡萄の房が連なる景色が見たいってね」
「景観は彼のための絵画では、ないのだけど」
「本当にそうだ。我が領地の民らは皆、生活あってのもの。勝手に小屋を壊そうとするなど論外だ」
怒りを露にするファブラに、セシリアも深く頷く。間を置いて、ファブラが一つの提案をした。
「もしよかったら、一度我が領に来てみないか? 現場を見て欲しいんだ。婚約者なら彼のことを良く知っているだろう? 何か解決の糸口になるようなものがないか君の視点から、見てくれると助かる」
「あなたの領に、私が? 解決するならメルセスの父に言うのはどうなの?」
まだカールベル領の領主は父のガブライアンだ。父に言われれば、さすがのメルセスもすぐに主張を聞き届けるはず。けれどファブラは緩く首を振る。
「とっくに言ったさ。けどこの件に関しては息子に一任している、と」
「珍しいわね」
「向こうの領主がその態度でいるなら、こちらとしてはメルセス卿と話す他ない。だが彼とは話し合いが平行線を辿っている」
「苦肉の策で私に声をかけたってことね」
その言葉にファブラは頷く。
「君が承諾してくれるなら、すぐ手筈を整えるんだが」
「そうね……」
メルセスのカールベル領の隣は、同じ伯爵位の、つまりファブラのブルーフィグ領が広がっている。カールベル領はよく行っていたが、その先の印象はない。本来ならば相手のいる未婚の女性が、他の男の領地に行くなど醜聞になりかねない。
だが今は、婚姻を保留されている状態。それもメルセス個人の感情だけで。
いずれ婚約解消にもなるかもしれないのだから、今さら気を遣う必要なんてない。セシリアはファブラの方をわずかに見上げて、承諾した。
「わかったわ。日程が決まり次第、ハーヴェスト家に連絡をちょうだい」
その返答に、ファブラは目を瞬かせる。直後、パッと表情を明るくさせた。彼は思わずセシリアの手を取ると、自身の額につけてホッとした様子を見せる。
「ありがとう……正直、手詰まっていたから嬉しいよ」
「っ! あの」
「ん? ああ、悪い。つい」
言いながら手を離す。すぐにサッと手を引っ込めるセシリアを見て、フッと表情を和らげる。
セシリアはそのまま、顔も見ずに早口で答えた。
「とにかく今日はもう帰るわ。あなたからの連絡、待ってるから。上着、ありがとう」
すっくと立ち上がるセシリアがジャケットを押し付けるようにして、ファブラに返す。慌てて彼が受け取り視線を戻す頃には、バルコニーの出入口へ向かう後ろ姿だけが見えた。
パタンっと閉まる音を残して周囲には、再び静寂が戻っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます