56 婚約者候補
微睡みの中で時折見えるのは、ゆらゆらと歪んだ室内。
耳を塞がれた時のような音が気持ち悪い。
口元に何か装着されているようだが、ぼんやりとした頭では上手く動くことが出来ず、確かめる事もままならない。
──ああ、意識が遠のく。
次に目覚めたのはガラスの蓋の付いたベッドの上だった。
「そのままお休みください」くぐもった神殿長の声が聞こえた。
とろとろと瞼が落ち、眠りについた。
再び目覚めると窓際の部屋に、金属の枠組みのベッドに寝かされていた。
「もう大丈夫ですよ」神殿長の落ち着いた低い声がした。
「⋯⋯酷く痛んだのだが⋯⋯、痛くない、ね」脚を確かめようとしたが、神殿長に止められた。
「もう二日程は安静になさって下さい。お目覚めですから、王妃陛下にお知らせします。明日にはお会いしても宜しいかと」
「母上にお怪我は?」
「ご安心下さい。無傷でございますよ」
アルドーは安堵し、眠りに落ちた。途中液状の栄養食を口に運び、また眠る。何度かそれを繰り返した。
額から耳のあたりを触れられた感触。そのまま左頬を軽く包まれた。冷たくて気持ちがよい。ふいに離れたそれは、左手へと移った。握られた左手の甲に柔らかな感触。
──これは、クリス?
「⋯⋯ん」アルドーは身じろぎする。
アルドーの左手に頬を寄せたクリスが顔を上げ、目が合った。
「ああ、クリス。君は無事?」アルドーは自分の左手を握ぎるクリスの指に口づけた。
「わ、わたくしはっ⋯⋯」
陽の光に透けた薄紅色がかった金の髪が、目の前にサラサラと流れる。
クリスの菫色の瞳がどんどん潤んでいく。
──ああ、朝露に濡れた花のようだ。
「目覚めて君がいるなんて、なんて幸せなんだろう。よく顔を見せて」
アルドーは手を引き寄せ、両手で顔を包んだ。軽く唇を啄む。
クリスの瞳から零れ落ちる涙が、アルドーの顔を濡らした。
「ああ、また泣かせてしまったな。どうしたら泣かせずにいられるのかな⋯⋯?」
「⋯⋯アルドー様が無茶をなさるからです。フラッハ様がお怒りでしたよ」
クリスは困った顔でアルドーの両手をそっと離し、ベッド脇に置かれた手巾でアルドーの顔を拭う。アルドーはそれを受け取り、クリスの顔を拭った。
「フラッハには悪い事をしたな。必ず戻ると言ってしまったのに。でも、君も母上も無事だったなら、私はそれでいい。私に当たらなかったら君が撃たれていただろうから。⋯⋯神殿長から傷口は綺麗に塞がったと聞いたよ。あとは何日か安静にしていれば良いと言われた」
「良かった。あんなに血が出て⋯⋯。咄嗟に止血しましたが、少しはお役に立てたのでしょうか⋯⋯」
「朧気に見ていたけれど、随分手際が良かったね?」
クリスがガラスで怪我をする人が多いと答えるので、アルドーは感心して頷いた。
「本当にガラスが好きなんだね」と、たまらず笑ってしまう。
「痛みもほとんど無い。古代機械は凄いね。何故これが王族だけに使われているのか疑問に思うよ」
「⋯⋯でも、今は殿下が無事で良かったですよ」
ドアが開き、フラッハが現れた。クリスは立ち上がり、膝を折る。
「フラッハ。ごきげんよう」アルドーは笑顔を作った。
フラッハは眉間に皺を寄せて、ズカズカと大股でベッドに近づいて来た。
上から腕を組んで見下ろし、何か言いたげなのを我慢している風だ。
「⋯⋯アンバーブロウ嬢。そろそろお時間です。外に案内が待ってますので、国王陛下の所へ」
「承知致しました。では、アルドー様、ご無理はなさらないよう」クリスは一礼して去って行った。
フラッハと二人、後ろ姿を見送る。すっかり気配が消えた後、ぐるり、とフラッハがアルドーの方を向く。
「色々言いたい事はあるんですけどね、我慢しますよ。こうして生きていらっしゃるなら!」
腕を組んだまま不貞腐れて言う様は侍従候補のフラッハではなく、間違いなく友人の距離のフラッハだ。三学年になった頃からずっと、ふてぶてしいながらも侍従候補の態度だった。
「ははは。いいんだよ、全部話してくれて」アルドーは少し嬉しくなって声を出して笑ってしまった。
「なに笑ってるんですか。もう! じゃあ言いますけどね、何イチャイチャしてるんですか!」
「え、そこ!?」
「アンバーブロウ嬢を迎えに来た侍従長が困ってましたよ! ずっとドアの向こうでアワアワしてたんですからね。殿下ったら、嫁入り前のお嬢様なのに! って。殿下がアンバーブロウ嬢を愛おしく想っているのは、良く知ってますけどね。でも、それ以上は駄目ですよ。彼女が大事なら自制しないと」
「はい」羞恥で顔が赤くなり、両手で隠す。
「それと、王妃陛下を身を挺して護った事は周知されました。婚約者候補に挙がった、と元老院との話し合いで決定したそうです」
驚いて顔から手を離すと、フラッハは姿勢を正してアルドーを見ていた。
「報告は以上です。さ、これからは説教です。覚悟して下さい」ニヤリ、とフラッハは笑った。
『部門別発表会』から四日後、学園から帰宅したクリスのもとへクラーワの使いがやって来た。
「明日学園に馬車を回すので、王城へ来るように」そう使者は告げた。
「クローステール男爵にも召喚要請が出ています。こちらが書状です」ノアが了承の旨を伝えると、使者は一礼し去って行った。
翌日クリスが連れて行かれたのはクラーワの自室ではなく、アルドーのいる医療室だった。
案内人は「国王陛下と謁見の予定がございます、時間になりましたら迎えにあがります」そう言って、医療室を出ていった。
そして再び案内人の後を追う。大広間で父とともに両陛下に謁見するのだという。
先程泣いてしまったのが気になるが、仕方が無い。と、思っていたが、控室で王妃の侍女たちに身だしなみを整えられた。
髪を梳き、目元の赤さを抑える為に軽く化粧をされた。先に到着していたノアに心配されながら、大人しくされるがままに整えてもらう。
大広間の階の下で
静かに貴き気配を感じる。滑らかな衣擦れの音。ひた、と止まり、ノアとクリスはさらに礼を深くする。
「クリス・アンバーブロウ。此度は我が王妃への献身と、第二王子の救命。誠に大儀であった」
「もったいなきお言葉、身に余る光栄でございます」淑女教育を施してくれたセーレナに恥をかかさぬ様、淀みなく応ずる。
「さて、クローステール男爵ノア・アンバーブロウ、そなたの娘の功績を鑑み、アルドー第二王子の婚約者候補としたいが、如何か」
ノアは深々とした一礼した後、しばし言葉を詰まらせた。
「⋯⋯恐れ多くも畏きお申し出、私共には過ぎたる誉れにございます」
「私は、アルドーが心底惚れているし、婚約者でいいと言ったのだが、王妃が順序立てろと言うのでな」そんな恐縮する二人を見てベニニタスはクラーワを見つつ言う。「なあ、クラーワ」
「陛下、クリスの立場を考えて下さいませ。いくら功績があろうと、男爵家の娘なのですよ。周りからどれ程の扱いを受けるかわかりませんわ。クリス、引き続きミニュスクール公爵のもとでよく学びなさい」
「温かいお言葉を励みに、今後も一層精進してまいる所存です」
「ああ、よく励みなさい。それと、キアラの件だが、リカルド・フォンターナが離婚に応じた。もうしばらく待たれよ」
それを最後に謁見は終わり、貴人はその場を離れた。
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