第5話


 たくさんの人がオオアリクイじゃない指定害獣じゃない人面獣心の輩に殺されたあの事件から、もう半年が経ちました。

 キョウも二か月ほどで無事に社会復帰……までは行かないけども、外に出る時は手を繋いだら落ち着く程度までなったので、学校に復帰している。


 もっとも復学したのは以前通っていた所ではなく、新東京市のある小学校だ。丁度学年が変わる時だったので、お世話になっている英子さんの家近くに転校することになった次第である。

 学校への挨拶では保護者の英子さんに加えて、厚生省と文科省のお役人が事情を説明してくれたので、同じクラスにする等の配慮をしてもらってる形だ。いや、申し訳ないというか、こんな色物を二人も受け入れてくれて、先生方には本当に感謝してる。


 そんでもって今はというと、在籍する四年ろ組の教室で、昼食後の休憩中。

 キョウはといえば、まったりぼんやりと座っている俺の左隣に引っ付いて、手をにぎにぎして俺成分を補充中。これはもう休憩時間の恒例行事ともなっていて、女子連からは暖かな目で見られていたりする。


「佐藤と田中、まーた引っ付いてやがる」

「七月なのに、べたべたべたべた、あっついわー」

「あんなにべたべたしてよ、佐藤ってほんと女くさいよなー」


 でも、これがなんだか気に食わないのか、絡んでくる男子児童が三人程。

 こちらは相応に歳と経験を積んだことがあるだけに、スルー一択だ。


「そのうち子どもできるんじゃね?」

「うぇぇ、俺達まだ子どもだぜ、そりゃないって」

「そ……、そ、そうそう、ないないないって!」


 なんとでも言ってくれ。

 直接的な暴力には断固として対応するが、この程度は煽りにもならんわ。


 あ、そうそう、俺の名前だが、佐藤大智である。

 キョウは田中京香。俺達は新たな人生を生きるので、かつての名前は過去にぽいーですわ。


「おい、聞いてんのかよ」


 おっと。

 手出しはダメって、あっ。


「ひっ」


 キョウ、ステイっ!


 音を立てて立ち上がったキョウの右手をギュっと手を握り、引き留める。

 沸点が低いのはナノマシン投与前と同じなのか、不機嫌になるとたまーに手を出そうとするんだよね。


 幸い大人しくなってくれて、今は小さく唸りながら、こっちに手を伸ばそうとした男の子を睨みつけている。

 キョウって顔立ちは整ってる方だから、無表情で睨まれるのはかなーり怖いと思う。加えて、日中のほとんど無言で過ごしてるから、謎めいた圧力も発生してるかもしれない。


 でも、こうして単純に睨む程度ならいいんだ。キョウはナノマシンによる強化によってか、同年代の子と比べるとかなり力が強いから本当に殴ったら大惨事の再来だよ。実際、今も握り返された俺の手にヒビがががが……。


【修復を開始します】


 ミシミシというかじんじん痛いというか、おねがいーっ!


【個体キョウの強化率は落としているのですが、確認の都度、高くなっております】


 痛みが治まってきて、ほっと一息。

 これさ、かなり問題だよなぁ。下手すると、社会に出れなくなる程度に。


【肯定であります。個体キョウの安定と制御は喫緊の課題であります】


 俺の言うことはそれなりに聞いてくれるんだけど、他の人の話はまったく聞かないし、そもそもの受け答えが昔と比べ物にならないくらいに劣化してるし、表情もほとんど表に出なくなって意思疎通に不自由してるし、どうしようかね、ほんと。


【距離を置くことや突き放す等の荒療治は推奨しません】


 どうなるのか想像できないから、俺も嫌だ。


 キューちゃん的には、どうしたらいいと思う?


【当方としては、これまでの間接的な摂取ではなく直接的な摂取を実施することが解決の一歩であると推奨いたします】


 ですよねー。


 でも倫理が倫理で俺を苛むしで、でも人が大ケガするような事態は困るしで、でも幼子に手を出すようで心理的な抵抗感がで、でもキョウの未来も考えるとなで……、はー連日悩むのに疲れてきたから、もうどうにでもなれーってしたらダメかなー。


【思考や決断を放棄することは推奨いたしません】


 だよねー。


 ………………。


 覚悟、決めるか。


 見た目実態は同い年だし、もうこれ以上の引き伸ばしは危険が危ないし、仕方ない。


 これからは人目のないところで……、家に帰って寝る時にきすしてキューちゃんを移します。


【当方はマスターダイチの判断を支持します】


 うん。

 見通し、甘かったかなぁ。


【それでは、個体キョウの感情抑制を一部解除いたします】


 えっ?


 と思ったらぐいっと引っ張られて目の前に少し怒ったような綺麗な顔。


 それがすっと近づいて、唇が塞がれた。


 教室が驚愕と興奮の悲鳴で埋め尽くされる。

 その間にも続く口づけ……、キョウさん、至近距離で目を見つめたまま、こっちの口に舌入れてくちゅくちゅって、学びやで白昼堂々、これはかなりマズいですよ!


【後数分で満足すると推定されます。しばらくはこのままでお願いします】


 ちょっ。


【個体キョウの安定に必要なことであります】


 だからって!


【一つお教えいたしますと、個体キョウのマスターダイチへの好意は、ナノマシン摂取前から存在しておりました】


 今、それを言うんかい!


【個体キョウのプライバシーに配慮して、黙秘しておりました】


 俺への配慮はっ!


【当方でフォローが可能な範囲であると判定しております】


 俺のピュアな心への損害を無視しないでくれっ!


【当方の辞書にあるピュアという言葉は、マスターダイチではなく個体キョウが該当すると判定いたします】


 そこは認める。

 でもちょっと愚痴らせてくれ。


【お受けします】


 俺の世間体が死んだ! この人でなし!


【肯定であります。当方は制御AIであります】


 ……はい、すっきりしました。


 ええ、ええ、わかってますとも。こちらが文句を言うのは無理筋だってことはさ。

 けど、もうちょっとこう、手心というかなんというか、状況に配慮してくれても良かったんじゃない?


【マスターダイチが日々の積み重ねてきた信用により、特に大きな問題は生じないと判定いたしました。また人目によって、マスターダイチの理性を制御する必要があるとも判定いたしました】


 いやいやいや、そんなまだ齢一桁……二桁になったくらいなんだから、そんなヤバァいことしません。

 そこは信じてほしいかったなぁ、ここまでずっと同じ布団で寝て悩み続けてきた俺の倫理観と理性をさ。


【世の中には、男はみなケダモノだもの、という言葉があります。その言葉を否定できる方だけが、当方を批判してください】


 批判……できねぇっ!


 ちらりと横目で周りを見る。


 近くにいた三人組。

 驚嘆を露わにして後ずさった子、顔を赤くして微妙に前かがみな子、なぜか目と口を開いて頭を押さえてる子。


 その背後で目を爛々とさせている女子たち。


 ……これどうやって収拾をつければって、あたたたっ、キョウさんやそんなに強く頭を両手で握らないでって、割れる割れちゃうからっ! んぁーーーっ!

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