ルートVII ~世界が手放した悪役令嬢は、俺が貰っていく~

ななくさ

第0話 Route.Ⅶ「断罪の日 ―The Seventh Fate ―」

「――アナスタシア・エヴァロスト。

   ここに、君との婚約を破棄する」


 その宣告が、会場の隅々まで澄んだ声で響き渡る。

 この国の次期国王――セドリック・ルーミナス王太子の口から告げられた言葉だ。


 彼女の口元が、飲み込んだ言葉の代わりに、かすかに震えたまま止まる。

 周囲を取り囲むのは、自分たちの正義を一片たりとも疑わない断罪者たち。


 その間にも、王太子の弾劾は続いていく。

「これまでの数々の非行、エミリー・グレイスへの度重なる侮辱――」

 

 ゲームの画面の向こうで、何度も見てきたシーンだ。

 けれど、これは画面じゃない。

 ここにいる彼女は、ちゃんと息をして、生きている。

 

 喉の奥で途切れる息遣い。

 救いを探すように――けれど誰にも届かないと知っているかのように、ドレスの裾を握りしめる震える指先。

 すべてを諦めたように、ゆっくりと落ちていく視線。


「エミリー・グレイスに対する殺害計画も、すでに調べはついている」

「よって貴様を、国外追放――いや、処刑とする!」

 

 処刑。

 その単語が出た瞬間、彼女の瞳から光が消えた。

 死を受け入れるように、そっと瞼を閉じる。

 その瞳。その表情。その立ち居振る舞い――そして、その沈黙。

 そのすべてが、「王太子の婚約者」として生きてきた彼女を縛る鎖そのものだった。

 

(……ふざけんな。こんな茶番が、あいつの『運命』だと?)

 その絶望の解像度が、俺の心臓を不愉快なほどにかき乱す。


 今、この場で彼女に運命を押しつけている世界には、反吐が出る 。

 彼女を断罪して、正しそうな顔をしている連中が、ひどく醜悪だ。

 彼女を取り巻くすべてが――心の底から気に入らない。


 俺は、静かに結論を出す。

「――やっぱり、お前らに彼女はやれねぇな」

 だから俺は、彼女を攫う。

 

「連行しろ!」

 王太子の合図で、兵士たちが彼女の細い腕に手を伸ばした――その瞬間。


 ドォォォォォォォォンッ!!

 けたたましい爆発音が、ホールの静寂を粉々に打ち砕いた。


 次の瞬間、ガシャン、と高窓のガラスが何枚かまとめて砕け散る。

 割れた窓から、白煙がどっと流れ込んだ。


(……おいおい、ちょっと火力盛りすぎたか? ガラスまで割るつもりはなかったんだけど)


 俺が事前に仕掛けておいた、手製の花火――という名の簡易煙幕弾たちだ。


「な、なんだ!?」

「て、敵襲か!? 今の爆発音はなんだ!」

「煙だ! まさか火事か!?」

「護衛はなにをしている! 殿下をお守りしろ!」

 

 悲鳴と怒号が渦を巻き、王都の中心街さえ静かに思えるほどの喧騒がホールを満たす。

 その混乱の中心へ、俺は迷わず飛び込んだ。

 

 煙の向こう。

 今にも折れそうな枯れ木のように、ただ呆然と立ち尽くしている彼女のもとへ。

 その手首を、乱暴に掴む。

 

「……っ、おまえ!?」

 アナスタシアが目を丸くする。

 驚きと、信じたくなさそうな色が混ざった瞳に、俺の顔が映る。

 

 俺はニヤリと笑って、わざと芝居がかった口調で告げた。

「迎えに来ましたよ、お姫様」

 

 彼女が――こういう、“白馬の王子様が迎えに来るおとぎ話”みたいなシーンに、

 心のどこかで憧れていることを、俺は知っている。

 

 だから俺は、その“お行儀のいい夢”ごとまとめて、台無しにしてやる。

 おとぎ話じゃなくて、この世界の現実で――俺のやり方で。

 

「逃げるぞ!こんな馬鹿騒ぎは仕舞いだ!」

 俺は彼女の手を取り、半ば強引にその場から引き剥がそうとする。


 彼女はぐしゃぐしゃな顔で、俺の手を振り払おうとする。

「……っ、バカじゃないのか、おまえは」


 涙で歪んだ顔のまま、アナスタシアが叫ぶ。

「なんで来たんだ! 私のことは忘れろと、あれほど――!」


「あー、そんなこと言ってたか? 悪い、忘れたわ」


「……っ、嘘つき」


 アナスタシアは唇を強く噛みしめ、潤んだ瞳で俺を睨み上げる。

 そこには罵倒よりも先に――言い返す言葉を失った戸惑いが滲んでいた。


 煙が少しずつ晴れていく。

 王太子たちの視界が、俺たちを捉える。


「貴様は……ヴェイル!」

 王太子の腰巾着の一人が、血相を変えて叫ぶ。

「クロウ・ヴェイル! 何をしている!」

 続けて王太子が怒鳴った。

 

 俺は肩をすくめ、わざとらしく王太子たちを見やった。

「……あ? お前らが『ゴミみたいに』捨てたもんを、拾いに来ただけだよ」

「見る目のねぇ持ち主の代わりに、俺が貰っていく」

 

(お前らがどれだけ『ゴミ』扱いしようが、俺にとっちゃ――最初から宝だ)

 

「その女は、もはや罪人だ。庇い立てするなら、貴様もただでは済まさんぞ!」

 その言葉に、俺の背後で彼女が息を飲む気配がした。

 

 だから俺は、言ってやる。

 虚勢でも強がりでもない、いまの俺の――覚悟を。


「上等だよ」

 

 腰に佩いた、ボロボロの鞘を抜き放つ。

 中身なんて入っていない、ただのガラクタだ。

 だが、今の俺にはこれがお似合いだ。


 彼女には、王太子の婚約者としての肩書きも、家の名誉も、

 今しがた読み上げられた罪状も、この世界が勝手に用意した“運命”も、

 まとめてぶら下がっている。

 それごと抱えた瞬間、王家も貴族も世界も、まとめて敵に回る。


 ――でも、だからなんだ。


 そんな肩書きも、罪状も、“運命”とやらも――知ったことかよ


 俺は、押しつぶされそうになっている彼女を、真っ直ぐに見据える。  

 告げるべき言葉は、決まっていた。


「――たとえお前が、どんなに厄介ごとを、どれだけ背負わされていようと――関係ない」


「俺がお前を救いたい。それだけだ」


王太子も、シナリオも、世界も関係ない。

 

「全部まとめて、俺が背負ってやる。

 だから――黙って俺についてこい」


 その言葉のままに、俺は迷わずアナスタシアに手を差し出した。

 

 アナスタシアは一瞬だけ目を伏せて、それから迷うように、けれど確かに、俺の差し出した手を握る。

 

 それを合図に、俺たちは走り出す。

 罵声と怒号が飛び交う、破滅へ向かうレッドカーペットの上を。

 

 手には、ひびが入り今にも砕けそうな『鞘』。

 隣には、世界から否定された『悪役令嬢』。

 

 ――十分だ。

 それだけあれば、俺はどこまでだって逃げてやる。

 

(……ここまで、長い七年だったな)

 背後で吠える王太子たちを置き去りにしながら、俺はこの世界に降り立った日のことを思い出していた。

 

 あの、クソみたいな運命が始まった日のことを――。



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