ルートVII 〜世界が捨てた悪役令嬢を、最底辺の俺が奪うまで〜

ななくさ

Prologue

第0話 Route.Ⅶ「断罪の日」

 処刑台にしては、やけに照明がいい――と、俺は場違いなことを考えていた。


 卒業舞踏会の夜だったはずの匂いだけが、しつこく居座っている。

 断罪の式だ。式次第が頭に貼り付いている。だから俺は、壊しに来た――腰に下げた鞘と。

 

 天井の高い大広間の真ん中だけが焼けるみたいに明るい。魔導灯の光が真上から叩きつけられて、赤い絨毯と、その上に立たされている女の輪郭だけを、いやらしいほど綺麗に切り抜く。床にはまだ香の甘さが残っていて、絹が擦れる音も死に切っていない。


 王太子が一段高い位置に立っていた。背筋を伸ばしたまま、声だけを落とす。


「貴様を処刑する」


 宣告が壁に跳ねて戻ってくる。戻ってきた音が二重になって、外周の貴族たちの胸を薄く叩いた。扇が揃って揺れ、揃って止まる。止まった瞬間だけ、会場の空気が固くなる。


 中心にいるのは、アナスタシア・エヴァロスト。

 公爵令嬢。王太子の婚約者。そう呼ばれる立場のはずなのに、手首には細い鎖が噛んでいる。背筋は折れていない。折れていないせいで、鎖の細さが余計に目立つ。


 俺の位置は裏方だ。ホールの端、垂れ幕の影。道具箱の陰に紛れて息を浅くする。中心まで十二メートル。近いのに遠い。絨毯の継ぎ目の数まで数えられる距離が、今は壁みたいに感じる。


 読み上げが始まった。紙の角が揃いすぎている。声は滑らかで、引っかかりがない。


 読み上げが進む。彼女の喉が小さく動いた。唇が開きかけて、閉じる。


 朗読は台本の読み合わせみたいに整っていて、句読点の位置まで――俺の頭の中の“筋書き”と同じだった。背中が冷える。


 腰の内側で鞘が小さく骨に当たる。鈍く響く。そこにあることだけは、痛いほど分かる。勝手に手が行きそうになるのを、指の関節だけで止める。


 王太子が紙から目を上げた。中央から外周へ一度だけ視線を掃く。掃除みたいに冷たい。


「連行しろ」


 護衛が二人、動く。二人のうち一人が、アナスタシアへまっすぐ近寄った。靴底が絨毯を踏む音が妙に揃って、胸の奥がざらつく。


 俺は袖口の内側から丸石を二つ出した。片割れは、さっき窓の外に噛ませてある。こっちは合図だ。床を這う白煙で目を奪う。遅れて、外が割れる。――その二つで、十二メートルを削る。


 俺は石を床へ叩きつけ割った。手元で割ると鞘のせいでただのガラクタになる。だから投げる。


 乾いた割れる音がひとつ――遅れて、窓の外が爆ぜた。


 破裂音が高いところで跳ね、ガラスが一斉に白く砕ける。光の中で破片が銀になって散り、次の瞬間、外の冷気がなだれ込んだ。硝い匂いと一緒に白煙が押し込まれる。煙が床を這い、赤い絨毯の赤を薄めながら会場の真ん中へ広がってきた。


 銀貨を溶かして手に入れた。戻ってこない金だ。


「目が――!」

「何だ、今の!」


 扇がばたつく。咳が連鎖する。貴族の輪が一歩、二歩と崩れて、その崩れが通路になる。俺はその隙間に身体をねじ込んだ。


 肩が当たる。肘が当たる。香の甘さに粉っぽさが混じって喉がざらつく。腰の内側で鞘がまた骨に触れて、擦れた熱が残る。残るまま進む。


 十二メートルが、息ひとつぶん短くなる。


 護衛が止まったわけじゃない。段取りが一呼吸だけ乱れただけだ。だから、その一呼吸で届かなければ意味がない。


 煙の向こうで、白い輪郭だけが浮く。アナスタシアの白だ。護衛の腕が伸びる。


 俺は、その腕より先に手を出した。


 アナスタシアの手首をつかむ。細い。骨がある。鎖の金属が指に滑って冷たい。


「おまえ……」


 驚いた顔が仮面の継ぎ目から覗き、すぐ戻ろうとする。俺は息を吸う。粉が喉の奥に張り付いて、声が少し掠れた。


「拾いに来た――白馬はない」


 白馬、の単語で瞳が一瞬だけ揺れた。揺れたまま、次の瞬間には公爵令嬢の顔に戻る。戻る速度が、余計に痛々しい。


 煙が薄くなる。薄くなるほど視線が刺さる。中央の光が、俺たちを拾う。


「クロウ・ヴェイル貴様何をしている」


 王太子の声が、今度は俺を指した。


「その女から手を離せ」

「二度はない」


 握った手の中で、アナスタシアの指が一瞬だけ固まった。


 アナスタシアが一歩、前に出ようとする。自分の足で立って、自分の言葉で片付けようとする癖だ。


 俺は引き留めた。手首を掴む形から、握る形に変える。止めるために必要な力だけを乗せるつもりが、指に余計な熱が混じる。


「アナスタシア」


 名を口にすると、喉が少し痛い。粉のせいじゃない。


「道はある。救いじゃない」


 俺は一歩だけ後ろへ体重を預け、握った手に“引き”を作った。強くは引かない。強くすると、彼女は前に出る。


 返事はない。だが、指先が動いた。


 アナスタシアが、手を握り返す。


「泥だらけの王子様だこと」


 口元だけが笑う。笑っているのに、声は揺れていない。揺れていないのが怖い。


 王太子が、ためらいなく言った。


「捕らえろ」


 近衛が寄る。槍先が煙の薄い場所から伸びてくる。足音が同じ拍で迫って、背中の皮が薄くなる。


 俺は後ろへ引く。引いて、方向を変える。舞台袖の裏――控えの裏通路へ。


「行くぞ」


 声が自分でも汚い。失点だ。声で注意を引く。引いた分だけ背中が危ない。鞘が腰に当たって、骨に小さく響いた。


 俺は走り出した。絨毯の端から石の床へ移る瞬間、靴底が滑りかけて膝が笑う。笑ったまま踏む。


 裏通路は冷たい。


 冷たさが、ただの空気の温度じゃなく、七年前の――あの日の寝室の冷え方と重なってしまい、俺の背骨が勝手に固まった。

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