第2話 食欲のブタ


 嶺太郎が持って来てくれたタオルで身体を拭いて、ひざ掛けまで借りて。ようやく身体が温まってきた。その間に忙しそうではありながらもお客さんのふわふわしたペットたちと触れ合って楽しそうな嶺太郎を眺める。


 強面ではある。それは本人が言っている。けれど昔からふわふわしたものが大好きで、二年前にこのお店をオープンさせた。店名の〈flu-flu〉も『fluffy』から取っている。私のアイデア。そう、私の。



「ゴッ」



 いびきのような声に視線を落とす。私の膝に頭を載せたまま眠っているブタ。手のひらサイズで、ピンクで、でも左耳だけグレーだ。野良ブタなんて聞いたことがないから、どこかから脱走してきたか捨てられたかのどちらかだろう。



「お前さんは何者なんだろうねぇ」



 上下する背中を撫でていると、目の前にティーカップが置かれた。顔を上げると、手が空いたらしい嶺太郎もまじまじとブタを見ている。



「サイズ的にはマイクロブタだろうな。それでもまだ生後二か月とか三か月くらいじゃないか?」


「ほう。ブタも詳しいんだ」


「まあ、ペットにできる動物のことはある程度頭に入れてるからな。後でそいつが起きたらご飯だけ……」


「ブー」



 拼音の第三声みたいなイントネーション。いきなりの声に驚いたけれど、ブタは気にする様子もなくジッと真っ直ぐ、期待の眼差しを嶺太郎に向けていた。



「ご飯」


「ブィブィ」



 試しに言ってみると、うんうんと頷いているような仕草。しっぽも触れている。



「食いしん坊かよ」



 苦笑いを浮かべた嶺太郎は、ブタの頭を撫でようと手を伸ばす。しかしそれはお呼びではなかったようで、鼻で押し返された。



「どんまい」


「うっせ。とにかく、なんか作ってやるから待っとけ」



 拗ねた顔はしているけれど、動物のためならなんでもしてくれちゃうのが嶺太郎の優しいところ。自分はマンション暮らしでペットは飼えないくせに、拾いネコやら拾いイヌやら。全て次の飼い主へ縁を繋いできた。


 ご飯が確約されてすっかりご機嫌なブタの背中を撫でながら待っていると、やけにほくほくとした良い香り。秋めいた香りにブタの尻尾もぶんぶん揺れる。



「はい、お待たせ。っつっても、茹でて潰して、ミルクで伸ばしただけだけど。ほら、お前が食わせてやれ」



 嶺太郎からサツマイモペーストが載ったお皿を渡された。けれど、そのお皿は私の手から即座に消えた。咥えて持っていかれた。その上、取られないためか机の隅まで運んで食べる。



「わぉ」


「食い意地張ってんな、こいつ」



 嶺太郎はそう言いながらも嬉しそうにブタが食事をする姿を見つめる。そして、不意に真剣な表情で考え込む。



「どうしたの?」


「いや、とりあえず近くの牧場とか養豚場に連絡して、ブタの脱走がないか確認してみる。飼い主が見つかるならそれに越したことはないからな」


「そうだね」



 確かにその通りだ。親ブタが心配するような環境かは分からないけれど、あるべき場所で育つ方がきっと良いだろうというのは私にも分かる。



「で、飼い主が見つかるまでは志乃理が預かってくれないか? うちはマンションだし、まだ息子も小さいしな」



 確かに、私の家は庭付きの平屋だ。正確には昨日まではマンション暮らしだったけど、同棲していた珊瑚男とは別れたし。名義が珊瑚男になっていたから私は実家に帰ることにして、荷物も搬出済み。



「まあ、数日くらいなら。お世話の方法も教えてくれるなら」


「俺の仕事多いな」



 仕方がない。私は動物を飼うことなんてしたことがないし、間違った方法で育ててこの子の飼い主を驚かせても悪い。


 ひとまず、弟にメッセージだけ送る。実家を一人で管理してくれている弟。私の出戻りを快く引き受けてくれた優しいやつ。



『ブタと帰る』


「よし」


「どこがだよ」



 スマホを覗き込んできた嶺太郎はため息を吐いたけれど、これ以上に正確な報告はない。私は紅茶を啜る。



「ねえ、一時的に名前を付けるのはあり?」


「あー、それで覚えてしまうと厄介だからな。あまり付けない方が良いと思うぞ」


「そっか。それは呼びにくいね」


「こいつのためだと割り切ってくれ」



 すっかりサツマイモを食べ終わって満足げにまた私の膝の上で眠るブタ。よく食べてよく寝る子だ。感心感心。



「いや、食いすぎだろ、こいつ」


「離乳食、みたいな感じなら食べるのかな」


「多分な。正確なことは分からないけど、今の感じなら食べられるはずだ」



 料理は得意。嶺太郎から味付けはしないこと、柔らかくすること、なんてたくさんの注意を受けて、一つずつメモを取る。



「ブタって散歩するの?」


「するだろ。まあ、犬ほどは歩かないだろうけどな。軽く歩かせるくらいはしてやった方が良い。お前もな」


「私もか」


「通勤以外引きこもりだろ」



 言われてみれば、その通り。通勤も今までは徒歩三分だった。でも実家から通うとなれば十五分は歩く。そこそこ運動することになる。気がする。



「分かった。歩くよ」


「そうしてくれ。じゃ、後で俺の仕事が終わったらこいつの生活必需品を買いに行くから、ちょっと待ってろ」


「分かった。紅茶を飲んで待ってる」


「ケーキもサービスしてやるよ」



 また目を覚まして、目を輝かせて嶺太郎を見上げるブタ。



「ブタはダメだぞ。食うなよ?」


「プゴォー」


「唸るなよ」



 食い意地の張ったブタに食べられては敵わないということで、私までケーキはお預けになった。


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