リロード・フロム・ゼロ

ムンムン

第1話


――終わりの始まり



 コントローラーを握る指先は、驚くほど冷静だった。

 画面の中、最後の敵が爆散する。


《VICTORY》


 勝敗を分けるのはいつも一瞬だ。判断、反射、予測、そのどれもが噛み合った時にだけ、この文字は表示される。


 ――また勝った。


 俺は神原凌央。

 高校二年。

 そして、何の役にも立たない、ニートだ。


 現実の俺に取り柄はない。

 出席日数は赤点どころじゃなく、学校とも親ともほぼ断絶状態。

 現実の会話では言葉が詰まるのに、ゲームの戦況だけは神の視点で見える。


 だから、居場所はここだけだった。


 FPSランクマッチ、世界上位。

 ネットでは《ゼロ》というIDで知られていた。



「――サーバーメンテナンスを開始します」



 無機質なアナウンスが流れ、画面が暗転する。

 いつものことだ。

 俺はコントローラーを置いて、背もたれにもたれた。


 ……今日も、生き延びただけか。


 ふと目を閉じた、その瞬間。



 ――地面が、硬かった。



 目を開ける。


 天井じゃない。


 空だ。

 灰色に濁った、見慣れない空。


「……は?」


 身を起こす。

 瞬間、石の感触が手に伝わる。濡れた石畳。

 見渡すと、瓦礫の山。崩れ落ちた家屋。

 遠くには、裂けた城壁らしき影。


「……なに、ここ……」


 コスプレ会場? ドッキリ?

 冗談のスケールを完全に超えていた。


 立ち上がった瞬間、背筋に悪寒が走る。


 ――足音。


 振り返る間もなく、低い唸り声。


 犬に似た魔物が、瓦礫の影から飛び出してきた。


「う、わ――っ!?」


 反射的に走る。

 逃げるなんて、リアルじゃやったことなかった。


 肺が焼ける。脚がもつれる。


 背後で、爪が石を削る音が近づく。


 転倒。

 次の瞬間、視界に牙。


 ――死んだ。


 ……いや。


 違った。


 俺はギリギリで瓦礫を拾い、振り回した。

 奇跡的に当たる。魔物が怯んだ一瞬で、俺は這うように逃げる。


 そのまま、崩れた建物に身を隠した。



 数時間後。

 震える手で、息だけを数えていた。


 喉が焼けるほど渇いている。

 腹は、空気みたいにぺしゃんこだ。


 助けなんて来ない。


 当たり前だ。

 ゲームだったらNPCが歩いている賑やかな街――

 ここは、その死骸みたいなものだった。


 人影も、声も、ない。



「……なにが、“異世界転移”だ」



 現実にあったとしたら、これは夢想じゃない。


 ――ただの地獄だ。



 日が暮れた頃、遠くから悲鳴が聞こえた。


 女の声。

 助けを求める叫び。


 身体が、動かなかった。


 俺には、助ける力がない。

 逃げることすらままならない。


 しばらくして、声は途切れた。


 ……たぶん、死んだ。


 俺の知らない誰かが。

 俺が動かなかったせいで。


 胸が、締めつけられた。


 胃の奥がひっくり返る。



「……結局さ」



 俺は、瓦礫に座り込んで空を見上げた。



「ゲームが強いだけで……

 肝心なとき、俺は何もできないんだな……」



 ずっと、逃げてた。


 現実からも。

 人からも。


 そして今、世界からも。



 教会の塔が、夜空に突き刺さるように立っているのが見えた。


 ……高さ、だいたい30メートル。



 俺は、歩いた。


 塔へ向かって。



 階段を登る間、何も考えなかった。

 考えれば、足が止まる。


 塔の縁、ひび割れた石の上に立つ。


 風が吹いた。



 怖くない。


 なにひとつ、惜しくない。



「……ゲームなら、“詰み”って言うんだ」



 もう続けられない。



 足を踏み出した。



 落ちる。


 空が回る。


 視界が白に染まり――



《SYSTEM ERROR》


《RELOAD SYSTEM UNLOCKED》



 音が、消えた。


 光だけが、満ちて。



 ――次の瞬間。



「……っ!!」


 俺は、瓦礫の路地で目を覚ました。


 朝の光。


 さっきと同じ場所。

 同じ石畳。



 全身、無傷。



「……」


 胸に手を当てる。


 鼓動が、うるさいほど鳴っている。



「……俺、死んだ……よな?」



 塔の上で、確かに。


 なのに、今ここにある。



 ふと視界に、見慣れない文字が浮かんだ。



《RELOAD POINT:SYNCHRO-NODE A》



 ゲームのUIみたいな文字。


 俺にだけ見えているそれを、ただ呆然と見つめた。



 ――世界は、終わってなんかいなかった。


 終われなかったのは、俺だ

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