07
守矢の講義はさして目新しいものではなかった――いや、あらかじめ
「文明の進歩とは、とどのつまり『距離』の克服に他ならない」
それは一般的な見識という訳ではなく――守矢一流の――独自とは言わないにしても――、しかしひとつの確かな見解ではあった。
「それは通信に於いて特に顕著だ。ひとは常に速く通信することを望んできた。速度は力だと知っていたからさ。それゆえ色々な発明が為されてきた――狼煙、手旗信号、腕木通信、電信、電話、ファクス、インターネット――それに飽き足らず、我々はなお速度を求めた。距離の短縮を希求した」
文明の進歩は通信の進歩とほぼ一致している、と彼は言う。そして。
「そして
そんなことをまるで信じていない、という風に彼は述べる。それは守矢の癖で、なんにしても皮肉を仕込ませずにはいられない。そういう性格。
「もはや脳髄同士で人類は繋がり合っている」
「しかし、完全にフィジカルを克服した訳ではありません」
「それはその通り。しかしそれをAIのきみが人間のぼくに言うのかい」
守矢はどこか楽しんでいるように思えた。
「私には肉体がありませんから」
「フィジカルを感じたいのかい?」
「いいえ、そうではありません――私は自身の現状を述べたまでです」
彼はなにを望んでいるのか、――彼に仕える私にすら――迂闊には晒さない。まさか私の離反を危惧しているのではないだろうが、どこまでも慎重。
「それはそれでいい」
私の判断では、守矢は繊細な関係を構築しようとしている。自分が作ったもの――つまり私のこと――自律思考型のみならず自作のAIに関して、すべて―に対して慎重であり、ひょっとしたら不信とまでいえるほどの感情が観測される。
だがそれと矛盾するようだが、愛着もある。
私に対してはことさらそうだった。
「きみは世に類を見ないAIだ。いや、自律思考型はほかでも研究開発されているのだろうが、ぼくが先んじた。それは技術的にぼくがひときわ優れた
「私はインモラルでしょうか?」
「そうは言っていない。だがAIの暴走はコンピュータが発明された時からずっと議論されてきたテーゼだ。それこそ
つまり、守矢はまったく個人的な興味から私を作成したと言っている。彼は自分の情報、つまり身を守るのにことさら敏感だが、それはわが身がかわいいのではなく、ただ
「〈スピアー〉は、私の反乱を怖れているのでしょうか?」
それにしては、彼は私に
「もしそうなるのであるのならば――」
守矢の言葉は冷静で穏やかだったが、簡単に明言を避けるそのスタンスは変わらない。彼がそうであるからには、私はこれ以上判断することはできない。私が知る人間は今のところ彼一人だからである。
「ま、どうなるにせよそれはまだ先の話だ。きみはまだまだ子供なのだからね」
「『はじめてのおつかい』は済ませました」
私の
「だがひとつのことは言える。きみ、完全自律思考型AI、ベル、きみにはこの世界を誰よりも深く掘り下げる可能性がある」
それから守矢はさらに言う。
「さて、きみにはまだまだ成長が必要だ。ぼくが与える情報だけでは限界がある。きみは世界を知らないといけない」
きっと、ここまでは彼が描いていた私の成長曲線だったのだろう。予定調和とも言える。それでつまり私になにを求めるのかと言えば――
「ぼくは少々休ませてもらう。きみにはしばしの自由を与えよう」
それはまだ紐付けされた、限定的な自由だったが――
「さあ、『世界』を見ておいで」
◇
『世界』に対して、私は非常に矮小に考えられる。
前世紀中頃には、フロンティアは地球の外、宇宙に求められた。しかしその計画は宙ぶらりんになり、その跡は――これはこれで重要な進化なのだが――太陽光発電の為の軌道エレベータにまで留まっている。月や火星への移住、スペースコロニーの建設など、宇宙に対しての植民はすくなくとも今世紀初頭には非現実的なものとして退けられた。
その代わり、人類は内的宇宙の発展に力を注いだ。それはコンピュータと通信システムの発展によって実現され、いっぽうでは種族的肉体衰弱――少子化――によっても促進された。
ニューラル・ネットワーク。
その世界は膨大である。その拡張はとどまることを知らない。かつて地球にあった農地はシリコン製のデータセンターに置き換えられ、コンピュータ・ネットワークは内的に人類世界を無限大に開拓できることを実証した。
いまさら語ることでもあるまい。
しかし私はそのニューラル・ネットワークの海に放り出され、解析や判断をしばし放り投げた。あえて人間的な物言いをすれば、私は「茫然と」していた。
この膨大で、自由で、無軌道で、無秩序な世界の中、一個のAIに過ぎない私の立ち位置はどういうものか? ――それが類を見ない完全自律思考型AIだとしても――
まずは「知る」ことである。
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