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 ――遊泳サーフ開始。


 あくまでも0と1で構成された電脳世界と、血の通った肉体世界のどちらが広いのか。どちらがトゥルーでどちらがフォルスなのか。私の中にあるデータベースの中にもその議論は含まれている。そして電脳世界が拡張する毎にその議論は激化し、今も止まっていない。


 しかし守矢はその議論自体が無意味と判断している。


 その結論がどう出ようとも、今や人間はネットワークに依存し、そこから逃れられはしないのだから。


 そして私自身はサイバーにのみ存在を許され、フィジカルは持たない。


 私はAI。類例の見ない完全自律思考型と言えども、生命体ではない。データだ。そう判断している。


 そのAIとしての初仕事は実に単純なもの。CSA傘下の小規模銀行の顧客データ、及びクレジットの奪取。


 この世界に銀行は無数にある。それこそフィジカルがまだ大きな力を持っていた前時代よりも、ずっと。金銭マネーが完全にデジタル化、信用情報クレジット化したこの世界に於いて、銀行は統合されるかと思いきや、さにあらず。リスク分散ということでその組織は分散、多細胞化した。彼等はクレジットは共有しているが、マネーは分けられている。


 だからこそ私たちハッカーの付け入る隙がある。


「さあ、行ってこい」


 簡単な仕事のように判断する。私が狙った銀行の名前はバンク・プロヴァンス。富裕層ではなく主に下層民のための銀行。たいしたマネーは保有していない。しかし個人がしばらく遊んで暮らせるほどの資産は貯め込んでいる。


 初めて行うサーフィンは中々に面白いものだった。情報として知っているのと、実際に感じるのとでは明らかに差がある。そこで私は「生まれた」ことを実感していた。


 データの論理空間は人類に距離という概念を取り払った。それにはソフトウェアとハードウェア両方の進化が寄与している。熱圏を越えた軌道エレベータの頂点で働くエンジニアですら、サイバー上のどのサイト、スペース、インフォメーションに文字通り光の速さで接続アクセスできる。


 だが私はゆっくりとそのサイバーを、自分のデータスキンに馴染ませるようにサーフする。そこにはあらゆる人々、そしてAIが往来している。人間が最低限の現実感を失わない為、そこには完全に視覚ビジュアル化されている。


 私はそれを見る。


「これが――『世界』」


 昔は、それが仮想ヴァーチャル現実リアリティと呼ばれていた。だが人間はその生活生産をほぼ完全にサイバーに移した。よってもはやここは仮想とはよべない。こちらこそが現実だと言ってもいい。すくなくともAIの私にとっては。


 私はこの中では完全に無名の存在。しかし類を見ない新型のAIである。


「きみにとってこの世界はどう見えているかい」


 守矢からの連絡はゼロ時間で行われる。私と守矢は連結体ネクサスが成立している。私は完全に独立して行動できる機能を持っているが、それはまだ制限されている。私は紐付きだった。


 解析アナライズするに、守矢はまだ自分の制御下に私を置いておきたいと思われる。私に安全に経験を積ませたいのと、まだ安定性が保証されていない私を完全自律行動させるにはまだ時期尚早という思惑がある。つまりこれは試運転と言うべきものになる。


「『あやとりコード・ブレイク』のやり方はきみの自由にやりたまえ。その為のコードもソフトもきみにはすでに搭載されている」

「把握しています、〈スピアー〉」


 しかし彼はこの仕事が〈スピアー〉の仕事だとは知られたくないのではないか。


 私の「思考」はすでに始まっている。しかし私の「思考」は哲学的命題を解決するためにあるのではなく、仕事のためにある。


 バンク・プロヴァンスへの接続はすぐに行われた。19世紀調の煉瓦建築がすぐに見えてくる。その門に出たり入って行ったりする人影はすべてサイバーにジャックインしている人間のアバター。述べた通り、それは生活感を失わない為の視覚化であり、実際の取引は瞬時に行われている。


 こうしている内にも、世界全体からみればささやかなのかもしれないが、個人が持つには大きいマネーが動いている。守矢の試算ではこの仕事が上手く行けば一年は遊んで暮らせるマネーが手に入るはずだった。


 しかし、彼はただ生活の為にハッカーをしている訳ではない。


 それが、彼が私を作成した理由でもある。


「ぼくはここで見守っていてあげるから、いっぱい遊んでおいで」


 つまり彼にとってハッキングは趣味と実益を兼ね備えた行為――遊戯ゲームだった。


「では、開始します」


 私は検索サーチを開始し、バンク・プロヴァンスのシステム構造を把握し始める。どうやら簡易的な防御プログラムしか設定されておらず、防衛AIも実装されていないようだ。


 そんなに難しい仕事にはならないだろう。



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