第21話 敗北者たち
俺の眼球は、鼻先数センチで静止した刃を捉えていた。
衝撃波が遅れて届き、前髪を乱暴に撫で上げる。
かつて古氷龍の首を一撃で刎ね飛ばしたとされる、伝説の魔剣。
その切っ先を、漆黒の手袋に包まれた親指と人差指が挟んで止めていた。
まるで鉛筆をつまむかのように。
「な……」
シリウスの喉から空気の漏れる音がした。
碧眼の焦点が定まらず、痙攣するように揺れている。
彼は剣を引こうとした。
腕の筋肉が岩のように隆起し、額に青筋が浮かぶ。
全身全霊の後退動作。
だが、剣は虚空に溶接されたかのように、一ミリたりとも動かない。
「私の魔法を封じたと言っていましたね」
ヴィオラが、つまらなそうに呟く。
彼女は剣を摘まんだまま、ゆっくりとシリウスへと顔を近づけた。
「それで? 魔法が使えなければ、私がただの非力なメイドだとでも?」
ミシッ
嫌な音が響いた。
ヴィオラの指先が食い込んだ箇所から、魔剣の刀身に亀裂が走る。
最高硬度を誇るオリハルコン鋼が悲鳴を上げている。
「あ、ありえな……」
シリウスの顔から血の気が失せ、蝋人形のように白く染まる。
彼は見たのだ。
物理法則を超越した、彼女の異常な「力」を。
「小汚い粗大ゴミですね」
パキィィィィン!!
ヴィオラが手首をくるりと返す。
鈍い破砕音と共に、聖剣の中腹が砕け散った。
飛び散る破片がスローモーションのように空中を舞う。
力の均衡が崩れ、シリウスが前のめりになる。
ヴィオラはその隙を見逃さない。
彼女はドアをノックするかのように軽く、シリウスの胸甲に裏拳を放った。
ドォォォォォン!!
人体が吹き飛ぶ音ではない。
まるで砲弾が着弾したかのような轟音。
シリウスの身体が紙屑のように吹き飛んだ。
彼は後方の石壁に激突し、さらに壁にめり込み、瓦礫と共に埋もれる。
「シリウスッ!!」
後衛の魔術師が絶叫した。
彼は杖をヴィオラに向ける。
「ひ、ひるむな! 結界最大出力! ガロン、止めろ!」
指示を受けた
床石を踏み砕く重戦車の如き突撃。
魔術師はガロンに多重の防護魔法を付与している。
更にガロン自身は戦士のスキルを発動、身体能力は何倍にも向上していた。
ヴィオラは突っ込んでくる大盾に向かって無造作に歩き出す。
回避もしない。防御もしない。
ただ、真正面から大盾を片足で蹴り飛ばす。
しなやかな黒い靴の爪先が、美しい軌跡を描く。
ゴッ!!!
激突の瞬間、大盾が内側へひしゃげた。
付与された防護魔法が硝子のように砕け散る。
蹴りの威力は盾を貫通し、それを支えていた戦士の腕をへし折り、肋骨を粉砕した。
「が、ぁ……!?」
ガロンは血を吐きながら吹き飛び、気を失う。
ドサリ
動かない肉塊が一つ。
残るは二人。
影に潜んでいた
だが、ヴィオラは振り返りもしない。
彼女は自分のうなじを掻くような手つきで後ろへ手を伸ばし、狩人の顔面を鷲掴みにした。
「不快な羽音がしますね」
そのまま、頭を床へ叩きつける。
ゴッ
狩人の身体が跳ね、痙攣して動かなくなる。
静寂。
立っているのは、最後の一人。
結界を展開していた魔術師だけだ。
「あ、あ、あ……」
魔術師は杖を落とし、腰を抜かして後ずさる。
彼の自慢の結界はまだ稼働している。
ヴィオラの魔法は封じられているはずだ。
なのに、目の前の怪物は、魔法など最初から必要としていなかったかのように、彼の仲間たちを蹂躙した。
「なんなんだ、お前は……魔法使いじゃ、ないのか……?」
ヴィオラが、カツ、カツ、とヒールを鳴らして近づく。
魔術師の足元に、黒い影が落ちる。
「邪魔です」
ヴィオラが床を踏み抜く。
ズドンッ!!
踵が床石を貫き、地殻変動のような衝撃がホールを揺らす。
その振動で、床下に描かれた魔力回路が物理的に破壊され、全ての魔力杭が砕ける。
ホールの燐光がフッと消滅する。
結界の解除。
重苦しい魔力の圧力が霧散し、ただのカビ臭い空気に戻った。
「わ、私の最高傑作が……踏んだだけで……?」
魔術師は泡を吹いて気絶した。
この現実を受け入れるには、彼の常識はあまりにも脆かったようだ。
ヴィオラは彼を一瞥もしなかった。
彼女は瓦礫の山へと歩み寄る。
そこには、全身の竜鱗鎧がひしゃげ、血まみれになったシリウスが、虫の息で横たわっていた。
ヴィオラは折れた聖剣の柄を拾い上げた。
鋭利な断面をシリウスの首筋に突きつける。
「処理しますか? マコト様」
事務的な問い。
彼女にとって、これは戦闘ではない。
ただのゴミの分別作業だ。
俺はシリウスを見下ろした。
端正だった顔は血と埃にまみれ、誇らしげな金髪は赤黒く濡れている。
彼は虚ろな目で俺を見上げ、唇を微かに震わせた。
命乞いの言葉か、呪詛か。
殺せば、楽になるだろう。
後腐れもなくなる。
だが、それでは意味がない。
「殺すな、ヴィオラ」
俺の声が響くと、シリウスの瞳に微かな安堵の色が浮かんだ。
助かった、と思ったのだろう。
甘い。
俺はシリウスの髪を掴み、無理やり顔を上げさせた。
至近距離。
俺は、聖母のように慈愛に満ちた、優しい笑みを浮かべてみせた。
シリウスの顔が引きつる。
「勘違いするなよ、英雄様」
俺は囁いた。
「ここで死ねば、お前は『怪物と戦って散った悲劇の英雄』になれる。国は銅像を建て、吟遊詩人が歌にするだろう」
シリウスの身体が震える。
俺の意図を察したのか、彼の歯がかちかちと鳴り始めた。
「だが、生きて帰ればどうだ? 銅級冒険者のメイドに、手も足も出ずに惨敗した元・最強パーティー。……お前たちはこれから一生、その無様な称号を背負って生きるんだ」
死よりも重い、尊厳の死。
プライドだけで生きてきた彼らにとって、それは致死性の猛毒になる。
大衆の嘲笑、支援者の撤退、そして自己嫌悪。
「上に伝えろ」
俺は手を離す。 シリウスの頭が、ゴトリと床に落ちた。
「……次に俺たちに手を出せば、ギルドごと地図から消す、と」
シリウスは何も答えられなかった。
ただ、涙と鼻水を流し、喉の奥でヒューヒューと音を鳴らすだけ。
そこにはもう、かつての煌びやかな英雄の姿はなかった。
ただの、心が折れた敗北者が転がっているだけだ。
「行くぞ、ヴィオラ」
「はい、マコト様」
俺たちは背を向け、破壊された扉へと歩き出す。
夕闇が、俺たちの影を長く伸ばしていた。
背後からは、敗北者たちの啜り泣く声だけが、いつまでも響いていた。
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