暗黒騎士メイドは平穏を許さない〜最底辺から始まる、望まぬ異世界蹂躙〜

藤田来須

第1章 暗黒メイドと業火の女王

プロローグ 絶望と目覚め

 寒かった。

 骨の髄まで凍りつくような、絶望的な寒さだった。


 真冬の公園。吹きっさらしのベンチ。

 

 俺の手には、飲み干した安酒の空き缶が握られている。喉を焼くような安物のアルコールで感覚を麻痺させようとしたが、指先の震えは止まらない。

 

 今はただ、死神の足音が聞こえるのを待つのみだ。足元には同じ空き缶が何本も転がっている。


「……はは、ざまあみろ」


 白く濁った息と共に、乾いた自嘲が漏れる。

 

 俺の名前は、マコト。24歳。

 いや、かつてそう呼ばれていた「ゴミ」だ。


 生まれてからずっと、孤独だった。孤児院で育ち、親の顔も知らない。

 

 それでも、真面目に生きていれば報われると信じていた。

 必死に就職活動をして、ようやく人並みの生活を手に入れた矢先だった。


 ――横領。

 それが、俺に着せられた罪状だった。

 信頼していた上司が、裏帳簿の罪を全て俺に擦り付けたのだ。警察の取り調べ室で、刑事は俺の言葉など聞かず、ただ調書を埋める作業だけをしていた。


『お前みたいな身寄りのない奴がやるんだよ』


 実名報道された瞬間、俺の人生は終わった。

 会社をクビになり、アパートを追い出され、誰も俺の味方になってくれなかった。

 

 俺には帰る家もなければ、頼れる家族もいない。

 たった一人で、世界中の悪意に晒された。


 もう、疲れた。


 誰も信じられない。誰にも期待したくない。

 

 俺の言葉なんて、誰も聞いてくれないのだから。





『――願いを』


 意識が途切れる寸前、脳内に直接響くような声がした。

 幻聴か。あるいはこれが走馬灯というものなのか。


『あなたの願いを一つだけ、叶えてあげましょう』


 幻聴の言葉に俺は耳を傾け、ぼんやりと考える。


 金か? 名誉か? それとも復讐か?

 

 いや、そんなものは虚しいだけだ。

 

 俺が欲しかったもの。幼い頃からずっと、喉から手が出るほど欲しくて、一度も手に入らなかったもの。


(俺は……)


 薄れゆく意識の中で、最期の思考を紡ぐ。


(金も、地位も、権力もいらない。ただ、誰かに愛されたかった。裏切らず、疑わず、ただ俺の味方でいてくれる誰かが欲しかった……)


 それだけでいい。

 

 世界中が敵に回っても、そいつだけが俺の味方なら。それ以上の救いなんて、ない。


 視界が暗転する。

 

 ああ、やっと眠れる――。


 ◇       


 ……暖かい。

 

 真冬のベンチの冷たさではない。羽毛布団よりも柔らかく、陽だまりのような温もりが、後頭部を優しく包み込んでいる。

 

 俺はゆっくりと瞼を開けた。


 木漏れ日が眩しい。最期に見た灰色の冬空ではなく、鮮やかな緑の葉が風に揺れている。

 

 そして、視界の中央には――


「――目を覚まされましたか、ご主人様」


 この世のものとは思えない、絶世の美少女がいた。

 

 夜の闇を溶かしたような艶やかな黒髪。


 宝石のアメジストを思わせる、美しく輝く紫色の目。


 陶磁器のように白く滑らかな肌。

 

 彼女は俺の顔を覗き込み、慈愛に満ちた瞳で見つめていた。


「……あ?」


 俺は飛び起きる気力もなく、ただ呆然と彼女を見上げた。

 

 今の今まで、俺はこの見知らぬ美少女の太ももの上に頭を乗せていたらしい。

 いわゆる、膝枕というやつだ。


 彼女は優雅な所作で立ち上がる。

 

 その服装はこんな森の中には不釣り合いで、奇妙だった。

 

 黒を基調としたクラシカルなロングスカートのドレスに、白いエプロンとヘッドドレス。

 

 メイド服だ。だが、ただのメイド服ではない。所々に高貴さを思わせる金と紫の意匠が輝き、まるで夜会服のような品格を漂わせている。


 彼女はスカートの裾をつまみ、恭しく一礼する。

 その瞳の奥には、世界中の人間を敵に回してでも主人を守り抜くという、狂気的なまでの執着が渦巻いていた。


「はじめまして、ご主人様。私の名はヴィオラ。マコト様にお仕えするためだけに存在する奴隷。職業クラス暗黒騎士ブラックガードでございます」

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