Episode.07 以心の食卓

 翌朝、崇真は静かに目を開けた。


 支度を整え、いつものように正座すると、師匠の前で頭を下げる。


「師匠、おはようございます」


『崇真、体調はどうだ?』


 崇真は背筋を伸ばした。


「はい、問題ありません。食事を済ませたのち、訓練を始めたいと考えております」


『崇真、俺から一つ頼みがある』


「はい、何でしょうか?」


『兵糧食を食わせてほしい』


「それは構いませんが、急にどうされたのですか?」


『電脳空間に初めて入ったときに思った。戦武には知識があるが、俺の時代にはなかったもんだから、つい気になってしまった。だが、崇真の楽しみを奪うのも悪いと思って、なかなか言い出せなかった』


「師匠には何かお返ししなければと思っていたところです。食べる際にご注意いただければ、大丈夫です」


『本当か!』


「はい。師匠、参ります。以心伝心」


 肉体の主導権が入れ替わり、師匠が微笑んだ。


「崇真、ありがとうな」


『お安い御用です』


 師匠は立ち上がり、部屋の片隅に設置されている絡繰食事処からくりしょくじどころの前で顎に手を添えた。


「……どれにするか悩むな」


『師匠、三食すべてお譲りしますので、どうぞ召し上がってください』


「いや、今回限りでいい」


『かしこまりました。師匠は、味についてもおわかりになりますか?』


「いや、戦武にとって食うことは不要だから知識にはねえな」


『では、僭越ながらご説明いたしましょうか』


「頼む」


『兵糧食には、醤油、味噌、塩味の三種類があります。

 これは両親から聞いたことですが、醤油と味噌は改良されており、昔とは味が異なるようです』


「食感は同じなのか?」


『醤油は表面がサクサクしています。

 味噌は全体的にしっとりとしています』


「塩も違うのか?」


『はい。塩味は、噛むと砕けるようになっています』


「少し考えさせてくれ」


 しばらく考えた末、師匠は味噌味を選択した。


「崇真、水に味があるのか?」


『はい。万能調味料が水に溶けることで、甘味、酸味、苦味を選ぶことができます』


「なるほどな。好みによって分かれてるんだな」


『はい。私は苦いものがまだ早かったようで、甘いものにしています。父からは「大人になればわかります」と言われました』


「この機会に、俺も試すとしよう」


 師匠は操作盤を押し、兵糧食が受け皿に落ち、プラスチックのコップに水が注がれた。


『師匠、先に兵糧食を口に含んでください。

 口の中のものをしっかり飲み込んでから、水を飲んでください。

 口の中に残ったまま水を飲むと、大変なことになります』


「気をつけるとしよう」


 師匠は兵糧食をつまみ、まじまじと見つめている。

 その視線は、どこか探るようだった。


「本当にこれだけで満腹になるのか?」


『はい』


 師匠は兵糧食を口に放り込み、咀嚼しながらうなずいた。

 そして、口の中のものを飲み込み、水を飲み干した。


「なるほどな。俺の知ってる味噌とは違うな。水に味があるってのも悪くねえ。腹八分目ってところだな。よくできてる」


『お気に召したようで何よりです』


「崇真、食器はどうすればいい?」


『師匠、私がやります』


「食ったのは俺だから、後片付けもやる」


『承知しました。タオルでコップの口元を拭くだけで結構です』


「水も無駄にはできねえってことか」


 師匠はコップを拭き、元の場所に戻した。


「そういえば、風呂はどうしてるんだ?」


『ミストシャワーです。すぐに乾くので、そのまま着替えています』


「崇真、色々と勉強になった。体を返す」


 肉体から力がすっと引いていく。

 師匠が去ったその気配を静かに飲み込み、崇真は姿勢を正した。


「師匠、また何かあればお申しつけください」


『いや、もう十分だ』


「かしこまりました。では、訓練を始めますので、本日もご指導よろしくお願いいたします」


『おう、実戦訓練だがな。俺から言うことは何もねえ』


 崇真は静かに息を整えた。

 握った拳に、思いのほか力が入っていたことに気づく。


 ……私は、知らず知らずのうちに、師匠に甘えていたのかもしれない。


 この後、崇真は電脳空間に入った。

 だが、そこに待ち受けていたのは、訓練と呼ぶにはあまりに静かすぎる、異質な時だった。

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