白と黒の間

大人のおもち

第一章 白の書

Episode.01 志願と覚悟

 指定された会議室の前で、崇真たかまさは立ち止まった。

 白を基調としたジャンプスーツは、余計な装飾の一切を排した、機能性のみを追求した設計だった。だが、その簡素さゆえに、崇真の整った顔立ちと均整の取れた体躯は際立っていた。


 父には何も告げていない。自ら戦将せんしょうとなると決意したときから、それは変わらない。司令部が自分のような人間を受け入れないことなど、最初から承知していた。それでも、あの瞬間に抱いた決意は、今も揺るいでいない。今日の面談で、その想いをすべて伝えるつもりだった。


 気を引き締め、崇真は扉をノックする。


「戦将への志願者、信条しんじょう崇真です。入室の許可をお願いいたします」


 やや間を置いて、穏やかな声が扉の向こうから返る。


「入ってください」


「失礼いたします」


 そう言って扉を開け、一歩踏み出す。静かに扉を閉め、部屋の中央まで進んで立ち止まり、姿勢を正した。


「私は神州維新府しんしゅういしんふ総大将、神城大悟かみしろだいごです。戦将を志願した理由をお聞かせください」


「はい。私がまだ幼い頃、戦将の方に保護されました。そのときの記憶は今も鮮明です。理解できる年齢になったときから、戦将を志しておりました」


 声は落ち着いていた。緊張はしていたが、揺らぎはなかった。


「事情は理解しました。しかし、戦将とは君が思っているより遥かに過酷な務めです。人助けをしたいだけであれば、衛兵としての道もあったのではありませんか?」


「要塞砦の内は守れても、外界までは守れません」


 神城総大将が一度目を伏せ、わずかに息を吐く。


「君はまだ若い。理想と現実は異なります」


「それでも、私の決意は揺るぎません」


「いいですか。戦将になれば、異形と戦うことになります」


「はい。覚悟はできております」


「君にはできません」


「そのために学府にて教導を受けてまいりました」


「無理なものは無理です」


「諦めたくはございません」


「無理だ」

 反論は許されぬ空気だった。それでも――声に出さねば、今までのすべてが意味を失う。


「……それでも、私は諦めません」


「いいから、黙って私の言うことを聞け!」


 声が荒んだ。感情が、言葉に滲んだ。

 崇真は、その変化に気づいていた。規律を貫くはずの人間が、私情を挟んだのだと。


「神城総大将、先ほどから、どうされたのですか?」


「……申し訳ない、少し感情的になったようだ」


 わずかに視線を落とし、神城総大将が謝意を示す。


「私も信条殿に尋ねたいことがございます。目付の綾部理人あやべりひとと申します。私も神城総大将と同じ意見です。しかし、そこまで君を突き動かすものは何ですか?」


「はい。私に戦将となる資格がなければ諦めるつもりでおりました。ですが、力があるとわかった以上、この力は誰かを守るために使うべきだと考えました」


 その答えに、しばし沈黙が続いた。

 やがて綾部目付が口を開く。


「神州維新府の理念に反してはおりません。私は賛成いたします。皆さんはいかがでしょうか?」


 神城総大将を除く者たちが、無言のままうなずいた。


「……賛成多数のようですね。これにて面談を終了といたします。今回は、私が信条殿を案内してもよろしいでしょうか?」


 神城総大将が手を挙げ、意志を示す。


「私にやらせていただけませんか。もう少し、信条殿と話したくなりました」


「承知しました」


「信条殿、私が案内しよう」


「はい」


 崇真は頭を下げ、再び神城総大将の背に続いた。


 扉が閉まり、廊下に出る。

 崇真は一礼してから、神城総大将の隣に並ぶ。


「……なぜ、黙っていたのですか?」


「反対されることは、初めから承知しておりました」


「反対するのも、無理からぬことです。お前を──息子として、心から案じているがゆえに」


 言葉が胸奥に沈み、痛みに似た感覚が残った。


「父上……私は、たとえ血が繋がっていなくとも、父上を本当の父として尊敬しております。だからこそ、こうして向き合いたかったのです」


「それでも、えにしを付ける儀式は容易なものではありません。覚悟だけでは乗り越えられぬ痛みもあります」


「はい。そのすべてを含め、学びを重ねてまいりました。承知のうえで、覚悟はできております」


「それならば、私から言えることはもうない。あとは、お前自身の道を進みなさい」


 神城総大将は無言でエレベーターに鍵を差し込み、ボタンを押した。


「このエレベーターは、神州維新府の中でも限られた関係者しか使えません」


 ふたりが乗り込むと、扉が閉まり、機械が静かに昇降を始める。

 何も聞こえないこの空間で、自分の呼吸だけが鼓動のように響いていた。


「私を学府に通わせたことを後悔しておられますか?」


「そうだな。多くを学べば、志を手放すと思っていた。血は繋がらずとも、お前を家族として守りたかったのだ」


「それでも、私は民を異形から守りたく存じます。戦えるとわかった以上、その力を手放したくはありませんでした」


 神城総大将はわずかに笑った。


「……やはり、そういうところは私に似てしまったか」


 崇真はわずかに微笑を返した。

 エレベーターが止まり、ふたりは重厚な扉の前に立つ。


「ここは厳重に管理されており、網膜認証および指紋照合が必要です」


 崇真は無言でうなずき、わずかに息を整えた。


「扉が開いたら中に入り、係員の指示に従いなさい」


 扉が開き、崇真はひとりで中へ入った。

 扉が閉まると、静寂が場を包んだ。


『私の声が聞こえていたら、右手を上げてください』


 崇真は言われた通りに右手を上げる。


『右手の袖を肘まで上げてください。台座の上で横になり、右手を溝に合わせ、そのまま動かさないでください』


 崇真は横たわり、右手を指定の場所に置いた。

 すぐに装置が動き、手首が固定される。


 次の瞬間、鋭い衝撃が手首を貫いた。

 焼けた鉄を流し込まれるような痛みが、体内を走る。


 歯を食いしばり、声をあげまいと必死に堪えた。

 父を心配させたくなかった。それだけが、崇真を支えていた。


 その数秒が、永遠のように感じられた。


 やがて装置が停止し、右手が解放される。

 浅く乱れた呼吸を整え、体を起こす。


『私の声が聞こえていたら、左手を上げてください』


 崇真は無言で左手を上げた。


『お疲れさまでした。今、扉を開けますので、そのままお待ちください』


 右手には、重厚な金属の腕輪──縁が装着されていた。


 この縁を介して体内に流し込まれたのは、霊統因子れいとういんし――内側から肉体を強化する、戦将にとって不可欠な力である。

 定期的な投与を怠れば、命に関わる。


 崇真はゆっくりと息を吐き、拳を握る。

 掌に残る熱を確かめながら、思いを新たにした。


 次は、自らの戦武せんぶを見つけなければならない。


 外に出ると、神城総大将が微笑を浮かべていた。


「戦武保管室へご案内いたします」


 再びふたりでエレベーターに乗る。


「事前に知っているのと知らないのとでは、大違いですね。私のときは気を失いました」


「これ以上、神城総大将にご迷惑をおかけしないよう、堪えました」


「立派になったものです。私情を挟まぬつもりでしたが、つい心配してしまいました。私も、まだまだ修行が足りません」


「……今だけはお許しください。今の私があるのは、父上のおかげです」


「崇真……ありがとう」


 扉が開くと、神城総大将は一つ、咳払いをした。


「信条殿、ついてきなさい」


 崇真は無言でうなずき、その背中を追って歩き出した。

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