第四話 少しだけ我慢なさい

#14


 戦機の機室キャブの中で笑いを浮かべたランシマンの手元にきらめく物を見たとき、反射的にナットは、〈ウォレ・バンティエ〉に肘で〈カリダネク〉の機体を押させていた。


 それで短矢クォレルの矢筋が逸れてくれたのかも知れない。


 ランシマンの射た短矢は、開け放たれた〈ウォレ・バンティエ〉の視察孔に飛び込み、ナットの右の頬を掠めてその皮膚を裂いた。……咄嗟に首を捻ったことで耳介が貫かれなかったのは幸いだった。


 ナットが尋常でなかったのは、自分に向け放たれた短矢がまさに頬を掠めるその瞬間、首をわずかに捻って避けようという瞬間も、相手――〈カリダネク〉の機士〝ザック・ランシマン〟――から目線を逸らせなかったことだ。


 だから、乾坤けんこん一擲いってきの短矢が外れたと見るや次の攻撃に入ろうとした〈カリダネク〉の機先を制することができた、と言えるのだろう。


 ……が、それは理屈だ。


 実際のところ、一瞬に〝生〟と〝死〟との交錯を見たナットは、解放したのだ。



 把手ハンドルを握り直した次の一瞬、ナットの双眸には、確かに殺気が満ちていた。


 一か八かの攻撃に転ずるためのを取ろうと離れようとする〈カリダネク〉の腕を、ナットは〈ウォレ・バンティエ〉の左手に掴ませた。

 そしてそのまま、左手一本ながら、力任せに〝ぶん回させ〟る。

 このとき、〈ウォレ・バンティエ〉が発揮してみせた膂力パワーは、度を越していた。


 小柄で軽量な〈カリダネク〉は一溜ひとたまりもなかった。

 華奢な素体が大きく振られた遠心力に耐え切れず、腕部、肩部、胸部と、つぎつぎに歪み、折れ、ひしゃげて損壊していく。


 〈ウォレ・バンティエ〉は、そんな〈カリダネク〉をなおも引き摺り回し、最後には門塔の壁面に向かって放り投げるように掴んでいた腕を離したのだった。戦機の衝突に煉瓦積みの壁は崩れ、煉瓦が周辺に飛散した。


 叩きつけられた〈カリダネク〉は大破し、完全に動きがなくなった。



 素体そのものの膂力りょりょく、瞬発力、堅牢さの違いが如実に表れた結果といえばそれまでであろうが、〈ウォレ・バンティエ〉にここまでの〝実力〟を発揮させたのはナットだった。その交感能力に、一部始終を目の当たりにしたナットの仲間たちも言葉を失っている。


 そんな中、誰よりも早くただ一人、〈ウォレ・バンティエ〉に向かって動いたのがエステルだった。

 ……ザック・ランシマンが放った短矢クォレルが、〈ウォレ・バンティエ〉の頭部/展望塔キューポラに吸い込まれたのを見たときから、彼女は気が気でない様子だった。


「……ナサニエル! ……ナット・ジンジャー、あなた怪我は――……っ‼」


 その声に向き直ったナットの顔の右半面、頬から下が真っ赤に染まっているのに、エステルは絶句する。彼女には出血は相当なものと見えた。


 実際、その出血の量は相当なものだったが、ナットには、別段、気にする様子がなかった。声を失ったエステルの隣に進み出てきたハリーの「――ナット! 門だ、門を押し開けろ、ぞ!」の声に肯いて返すと、擱座かくざした〈カリダネク〉の脇を抜け、門塔に連なる正門へと〈ウォレ・バンティエ〉を導いた。



 ――あんなに血を流して、気が遠くなるものではないの?


 そんなふうに思いながら、砦門を破ろうとしている〈ウォレ・バンティエ〉を見やるエステル。


 ほどなく〈ウォレ・バンティエ〉はかんぬきを外し、門扉を内側から押し開けてしまった。


「姫様っ」

 エステルはサー・ケネスの声を聴いた。声の方を向くと、サー・ケネスがいつの間にか馬上の人となっている。

「――手綱をっ」 ……言って、左手に引いていた空馬の手綱をエステルへと投げて放った。


 エステルは手綱を手に取ると、ふわり、鞍上へとその身を躍らせた。

 馬上から周囲を見渡す。

 すぐ脇を二頭の馬――鹿毛の一頭にはナットの仲間 (デリクとハリー)の姿が、もう一頭の青鹿毛の方には戦機技師バートとターラの姿があった…――が、押し開かれた砦門目がけて駆けていく。

 エステルはサー・ケネスとともに、その後に続いた。



   ♠   ♡   ♦   ♧



「行ったな、シミオン」


 本砦ダンジョンの一室――元の主人、サイラスの執務室であった部屋――の窓から中庭を見下ろしていたダライアス・エイジャーが、隣に立って共に〝戦機による大立ち回りからの脱出劇〟を見修めた男に言った。

 それは〝手筈をのに抜かりのないこと〟を確認する響きを帯びたもの言いだった。


「はい」 小男シミオンは辛気臭い声で応じた。「……ここから先は〝森の者〟らと大犲オオヤマイヌの仕事。レイディ・エステルのあとをつけた彼らが、グロシンの残党のアジトを突き止めるでしょう」


 もし小男の風貌をバートが見たなら、その瞬間に彼の眉根は怪訝に寄ったかも知れない。

 ――ダライアスの隣に控える男、シミオンとは、門塔の整備場で〝戦機技師長〟と紹介された、男だった。


   ♠   ♡   ♦   ♧


 砦門を内側から破った〈ウォレ・バンティエ〉は、中庭を駆け出していく四騎を先に行かせ、その後に続いた。


 一行を先導したサー・ケネスは、ナットらが引っ立てられ連れてこられた道を途中まで行くと、森へと通ずる獣道のような細道に分け入った。ここまでで追手の蹄の音は聞こえてこなかった。

 それから小川にでると下馬し、馬を引いて岩場まで水流を辿って行く。浸食されてできた天然の洞窟をくぐり、そこから続く崖に囲まれた渓流をさらに上っていった。足場の悪さは兎も角、道幅の狭さは戦機にとってギリギリである。


 〈ウォレ・バンティエ〉で後を追うナットは、戦機が追従できる道のりじゃないのではないか、との思いを呑み込みつつ、冷や汗をかきつつ慎重に、戦機の四肢を操って一行の後に続いた。

 やがて、一行がそこそこ大きな滝の落ちる水場へと至ると、サー・ケネスはナットの納まる機室キャブを見上げ、言った。


「ウォレ・バンティエを滝の裏へ」


 ナットは言われた通りに〈ウォレ・バンティエ〉に滝を潜らせた。滝の裏は人手で掘り広げられていて、ちょうど戦機が一体、膝を突く姿勢をとって収まることができた。


 一行は、ようやくひと息をつける場所に落ち着いたのだった。



 ……だがこのとき、水辺を囲う崖の上から様子を窺う気配があったことを、一行は知る由もない。



   ♠   ♡   ♦   ♧


 ナットは〈ウォレ・バンティエ〉の機室キャブの中で大きく息を吐いた。

 水流の落ちる音に気が落ち着いてくる。気付けば、〈カリダネク〉との戦いを思い返していた。

 自分が〈ウォレ・バンティエ〉をあのように操ったということが信じられなかった。

 あんなに素体に負担の掛かる〝組打ち〟を躊躇なく仕掛け、四肢の破壊をも顧みずに相手を屠った自分という機士……。〝生命いのちの遣り取り〟というのは、こういうことか。


 ナットの意識の向き先は、相手へと移っていく。


 あの直前、相手騎士はクロスボウを直接、生身の自分に向けて放った。

 それをナットは卑怯なことと思っていない。あれほどに狂暴な力を発揮する格上の戦機と対峙した機士にしてみれば、あれが起死回生の一手だったのだ。

 あの機士は生きているだろうか。



 ――…コンコン……と背後で乗降扉ハッチが鳴った。

 それで意識の戻ったナットが、身を竦めて背中を丸め、扉を内側から固定する金具を解錠操作する。の外開きの扉が開かれると、心配そうな目の少女がそこにいた。


「ナサニエル、そこから出なさい」


 ナットは少女の言う通りに機室を出た。彼女は自分の〝運命の女性ひと〟なのだから、その女性ひとの言葉には、最大限、応じるものだと勝手に思っている。

 機室を出たナットは、足場の悪い戦機の腰の装甲の上でエステルに見上げられることとなった。


 彼女が何事か囁いたようだった。……それはナットの知らぬ『古語エンシェント』だった。

 十分に陽の光の入らないほの暗い滝の裏に、やわらかく光が灯る。

 光は、彼女の摘まむ鎖の下の小さな三稜鏡プリズムから放たれていた。


 その光に照らされた彼女の表情かおは、息を呑んで固まっていた。


「サー・ケネス!」 それからエステルは、ナットから視線を離さずに老騎士を呼びつけた。「――あなたの腰の水筒をっ」

 ほどなくサー・ケネスが〈ウォレ・バンティエ〉の背を上がってくる。老騎士はナットの顔に傷を見るや、ほぉ、と頷いて笑った。

「男前を上げたな」 傷は〝男の勲章〟だと思うのが老騎士なのだった。


 上着ブリオーの上にたすきに掛けていた布を解いたエステルは、そんなサー・ケネスの顔を上目で睨んで、その手から水筒を手繰たくるようにして栓を抜いた。盛大に水筒の中身を布にかけはじめる。したる間もなく強い香気が周囲に漂った。

 その強烈な香気――〝北部の酒は強い〟ことで知られている――には、ナットでさえ、くらくらとてられ顔を赤らめたのだったが、彼女は全く平気な様子で、傷口を洗い清めるのに十分な酒気を浸した布切れを、ナットの裂けた頬に充ててくる。


「いっ‼ ――…ぅ……」

「少しだけ我慢なさい」


 少女は、傷口の周りを丁寧に拭いながらも、泣顔気味のナットをぴしゃりと静かにさせた。

 ナットは声を上げまいと歯を食いしばり、近い距離にある少女の顔の、真剣な目の表情を見て思った。――この娘は自分よりずっと年少とししたに見えるのに、なんだか年上のような感じだ、と。



 ……そして、このときのが、この先のふたりの関係性の中心ということになったのである。

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