オーバーウォール

@chihana-moriki

第1話

高林香澄、二十六歳。

 一人暮らし、彼氏無し。

 何故か毎年、女子からバレンタインチョコを貰う。



「お先に失礼します。」と言いながら席を後にする。

「高林さん、お疲れ様です!」周りの女子社員達が手を振りながら挨拶してくれた。

 定時に仕事を終えて、夜のバイト先へと足早に向かう。

 会社を出てすぐに『今日、バイトだっけ?』と春樹からメッセージが届く。


 澤村春樹は同期入社で、何かと気の合う同僚だ。

 私がサブでバイトをしている事も知っている。

『うん、バイト。来月は忙しくなってあんまり入れなくなるから、今月はちゃんとシフトに入ろうと思って。』

『じゃあ、帰りに顔出そうかな。いい?』

『もちろん。新作パフェ始まったよ。』





 私がバイトを始めたのは一年半前だ。

 大学を卒業して商社に就職をしたが、いつかは自分で喫茶店を開きたいという夢のため、貯金も兼ねてカフェでバイトをすることにした。

 同僚の大西優子は「香澄、死んじゃうよ!」と反対したが、入社して四年経っても仕事と家の往復、家に帰っても食べて寝るだけの生活だったので、今の生活のほうが断然楽しい。

 バイト先のカフェはスイーツも充実していて、最近ではキッチンも任せてもらえる様になってきた。


 

 〖ダンデライオン〗と書かれた木の扉を引き、扉の鈴を鳴らして中へ入ると、客席は半分程埋まっていた。

 今どきのオシャレなカフェではなく、少し昔らしさのある木の内装になっていて、三十人も入れば満席になる。

マスターがご両親から受け継いだお店なんだそうだ。

 この少し古い感じに惹かれて通い始めた頃、マスターからバイト募集の話を聞き立候補した。

 

 ホールはカウンター席とテーブル席があり、テーブル席はそれぞれソファが違い個性的だ。マスターが店を受け継いだ際にソファーだけは新しく新調したと聞いた。

 カウンター席の奥にはキッチンがあるが、間にはデシャップがあり、キッチンは見えない。

キッチンは食事とスイーツで作る場所が分かれていて、ドリンクはデシャップで作るように整えられている。

 基本は全て手作り。食事もワンプレート提供の週替わりになっていて、ランチは混む人気店だ。

 紅茶は茶葉で、コーヒーもドリップして提供しているところが、このお店を気に入った理由の一つだ。

食事もスイーツもドリンクも、ご両親がお店をやっていた時のままスタイルは変えていないそうだ。

ドリンクはホール担当の作業になっている為、今では茶葉やコーヒー豆を買って帰っては自宅でも同じように作っている。

 


「おはようございます。」と挨拶し更衣室へ入る。

黒いエプロンを付けてキッチンへ向かうと、大和とすれ違った。大角大和は、私と同じように本業とは別でバイトをしている二つ下の男の子だ。私よりも二ヶ月程遅れて働き始めた。

「うぃっす」と軽く頭を下げて、大和が横を通り過ぎる。

キッチンに入りマスターに挨拶をすると、

「高さん、今日はホール頼める?」と言われ、少しガッカリする。新作パフェ、作ってみたかったのになあ……と思いつつホールへ向かう。

 

「今日、まだ混みそうだなあ」と呟くと客席から帰ってきた大和が

「花見の季節ですからねぇ」と返してきた。

「桜井が急に休んだらしいですよ。アイツ、絶対に彼女と花見ですね。

で、俺が駆り出されました。サロンの予約が混んでなくて良かったっすよ。でも、花見客で道は混んでましたね。チャリでも時間かかりました。」と説明してくれた。


 

 


 大和は昼間はペットトリマーとして働いている。

 私のように将来自分の店を開きたくて、お金を貯めるためにバイトをしている。節約の為に実家住みをしているらしく、バイトの時には遅くなってもいいように自転車で通っている。

 大和はかなりのイケメンで、それを自分でも自覚している奴だ。大和目当てで夜に来るお客さんも多いので、夜のヘルプが必要な時は駆り出される事も多い。

 本人はお金が稼げるので

『いつでも呼んでください。』と、ほぼ断ったことは無い。

自分目当てで来たお客さんにもそつなく対応するのでリピート率は高く、当店ナンバーワンの位置づけだ。

 


 大和ときちんと話したのは、マスターが私と大和の歓迎会を開いてくれた時だった。大学生バイトの桜井くんが酔いつぶれて、トイレで失態をしてしまった。

 なかなか帰ってこない桜井くんを心配して探しに行ったのを見た時、見た目で損してそうな子だな、と思った。まあ、それは今でも感じているが。

『あの、大変です』と困り果てた大和の顔はなかなかの見ものだったが、桜井くんの後始末をしている私の姿を見た時はかなり引いていた。

まあ、普通はそんなもんだろう。

 

 私が大学時代に居酒屋でバイトをしていた時、トイレの後始末は決まって下っ端の担当で、断る選択肢は無かった為いつもやらされていた。

サークルの飲み会でも、女子の介抱役は何故か決まって私だった。だから、別に苦でも無かったのだ。

 しかもマスターが用意してくれたお店が情緒たっぷりの沖縄風居酒屋だったので、春樹とまた来たいなと思った。だから、ちゃんとして帰りたかっただけだ。

 後日、彼女が出来た嬉しさで飲みすぎたと桜井君から聞いた時は、じゃあしょうがないなと許したが、大和は何やら不満そうだった。


 

 


 扉の鈴が鳴り、振り向くと

「よっ、おつかれ」と言いながら春樹が入ってきた。

「あれ、早かったね?」

「うん。急ぎの仕事も無いし、終わりにしてきた」と、慣れたようにカウンター席に座る。

「ディナープレートと新作?」と言いながらお冷を出す。

「今日はパフェだけでいいよ。あとコーヒーをホットで。」と言って、春樹はお冷を一口飲んだ。

「了解、待ってて。」と言ってキッチンへ向かった。


 ドリンクのオーダーを大和に入れてから、キッチンへ入る。マスターは食事の準備でバタバタしていたので、

「マスター、新作パフェ作ってもいいですか?」と聞いてみた。

「えー、助かるー。お願いー。」と返事があったので、やった!と心の中でガッツポーズを作りながら取り掛かっていると、対面で大和がドリンクの準備をしながら

「あの人よく来ますよね。彼氏さんっすか?」と聞いてきた。

「あのさ、よく来る男だから彼氏って直結すぎない?」と作業しながら答えると

「いや、仕事終わりにわざわざ来るって……そうだろうと思いますよね。高さん、週末もバイト入ってるし、会う暇無いから来てんのかなって。」大和も作業の手を止めずに返してきた。

「男女をすべて色恋に当てはめるのはどうなの。」チラッと大和を見て尋ねると

「へぇー?」と生意気そうな返事。

「仲のいい同期よ。」そう言うと、再びパフェ作りに戻った。


 新作パフェは花見シーズンに合わせて、イチゴをメインにピンクで仕上げている。可愛さに満足して、ホットコーヒーと一緒に

「お待たせ。」と春樹の元へ運んだ。

「おぉ……女子力高いな…」と一言呟き、口へ運ぶ。

「んー、美味いな。癒されるわー。」満面の笑みだ。

「やっぱり癒されたかったのか。例の件、まだ揉めてんの?」と聞くと

「大方は落ち着いたんだけど、後処理がね。皆嫌がるとこだから、俺が引き受けてんだよ。ま、慣れてるしね。」とパフェを食べながら答える。

「ま、あれに比べればね。」と言って肩をポンと叩く。

「だな。」と答えると、春樹は真剣にパフェに取り組み始めた。


 

 私と春樹の癒しはスイーツだ。

 ひょんなことから知った共通点は、今では会社終わりのスイーツ巡りや、お互いの手作りを持ち寄って食べ比べしたりするようになっている。

私のバイト先もスイーツに力を入れているので、週に一度は来る常連客となっている。私の将来の夢を応援してくれている数少ない味方だ。

 ふと視線を感じて目をやると、大和がムカつく顔で見ていた。またか、と傍まで行き

「何よ?」と聞くと

「いや、何でもないっす。お似合いだなあと思って。」と返してくる。からかわれたようで少し腹が立ち、

「苦労を共にした仲間ですから。大切な友人なの。」と言い返すと、真顔になった大和は

「ふうん」と一言呟きキッチンへ入っていった。



 

 

 私は恋愛に興味が無い。

 恋愛というものを自分の人生から切り離してもう六年だ。

 


 大学生の時。私は忘れられない恋愛をした。

 同じサークルだった同級生の男の子。目立ってかっこいいわけではなかったが、優しくて面白くて皆の人気者だった。私はそんな彼が大好きだった。

 二年生なってすぐ、彼に告白されて付き合うようになった。毎日が幸せで、夢のようだった。

一生一緒に居たいと、初めて心から願った相手だった。

 

 でも、付き合ってもうすぐ一年という頃に別れは突然やってきた。

 学年で一番可愛い佐藤環と付き合っているという噂を聞き、居てもたってもいられずに彼を問いただしたが、噂だと信じていた私の心は見事に打ち砕かれた。

「ごめん、付き合ってる。」淡々と彼は言った。

「何で……。私は? 彼女は私じゃないの?」

「ごめん」彼は、ただ淡々と答えるだけだ。

「何で? 私の何が?」そう聞くのが精一杯だった。

「お前といると楽しいよ。でもさ、お前って女らしさ皆無だよな。

サバサバしたとこ好きだったけど、環と比べると全く魅力無いんだよな。特に着飾る訳でも無いしさ、化粧っ気も無いし、何でもハッキリ言うし。

しかもお前、女子に人気あるからさ、色々面倒なんだよな。」と言った。

「私がどんな人間かなんて付き合う前から分かってた事を、今更理由にするの? 面倒って何? 」

 今の状況も、言われてる内容も。現実味が無くて、他人事のようだった。

 

 そして、彼は言った。

「……お前、つまんないんだよ。アレの時。」

「え?」またもや、何を言われたのか分からなかった。

「反応薄いし、良いのか悪いのか分かんねえから、萎えるんだよな。

なんか、段々その気が起きなくなってきてさ。そしたらお前に興味無くなっちゃったんだよな。

でもその点、環とはアレの相性も良いし、見た目だって可愛いし、甘えてくれるし、ちゃんと女の子してるとこもすごくいいんだよ。」と、笑って言った。

 何で笑ってるんだろう、この人。佐藤さんの事を考えて笑ってるの? 何それ…と震える手を握って

「浮気してたってこと?」と聞いた。

「お前に興味無くなったんだから、浮気じゃないだろ。ただ本命が変わっただけってことじゃん。

その内伝えようと思ってたんだけど、バレちゃったし……。まあ、悪いけど、そういう事だから。」そう言うと、彼は片手を上げて去っていった。


 

 私の恋は、呆気なく終わった。

 今思えば、なんとも自己中な言い訳で、失礼極まりない別れ方だ。

 

 結果、私が捨てられたという形になった。しかも佐藤環は学年のアイドル的な女の子だったから勝ち目は無いと思ったのか、周りの友人達は腫れ物に触れるような感じでその話題には触れようしなかった。

 そのあと一度、彼女から『話がしたい』と人づてに打診を受けたが、もう関わりたくない一心で断った。

 勿論、サークルも辞めた。

 心配してくれた周りの女子達から、『甘いもの好きなら、是非!』と誘われてスイーツサークルへ入ったのがキッカケで今の夢を持つようになったのだ。



 だが、この傷は根深かった。恋愛する事を諦めてしまう程に。

 


 『女らしくない』のか、私は。

 確かに、着飾ったりするのは苦手だ。

 化粧にもあまり興味は無いのでメイクは最小限だし、ファッションも実用性重視だ。でも、彼と会う時には私なりに見た目も気をつかって努力したつもりだ。バイトをして服を買い、化粧品も揃えた。

 だが、そもそものスペックが彼女に負けているのだから、きっと頑張ったところで勝ち目は無かったのだろう。

 女らしさが皆無?

 女子に人気あるから面倒って、何?

 私のせいなの?全部私が悪いの?


 『つまらない』のか、私は。

 彼は初めての相手だった。

 いつも痛いだけで我慢している内に終わってたのに、どうすれば良かったんだろう。

 何か努力が足りなかったの?

 相性がいいって何?

 私のせいなの?私が全部悪いの?



 結局、答えが出なかった。あれから恋愛はしていない。

自分を変えることも出来ないままだ。

 新しい誰かを好きになる気力も無いので、そういう対象で男性に興味を持つ事など無い。

 もし恋愛をしたとしても、いつか来る夜を共にする勇気など無い。またあんな想いをするのかもしれないと思ったら、もういいと諦めた。

 だから今、周りの男性とは最低限の付き合いのみで保たれている。誘われる事もあったが、キッパリと断っていた。 仕事上の付き合いのみだ。

 あれ以来、私の人生からは恋愛が切り離され、一人で生き抜く為のプランのみが設定されている。


 


 

 そんな私の中で、春樹は特殊な存在だ。

 仕事だけでなく、プライベートでも付き合いのある珍しい存在となる。

 春樹とは同期入社して同じ部署に配属され、どんな時でも励ましあって頑張ってきた。

 半年が経った頃、大口の顧客への大きな発注ミスが起こり、罪を逃れたい先輩達に濡れ衣を着せられた。指示などされていないのに、指示を間違えた結果ミスを起こしたことにされ、最悪の状況に追い込まれた。

 

 その時、春樹が全部を背負って責任を取ろうとしたが、私は二人で生き残る道を選んだ。やってもいない事で責任を取る必要なんて無い、負けたらダメだと。死にものぐるいでやった結果、損失は出たものの何とか持ちこたえ、私たちは退職を免れた。

 やらかした新人、というレッテルを貼られている中での毎日は地獄のようだった。

 ご飯は喉を通らず、横になっても寝られず。

 栄養ドリンクを一生分かという程飲み、自分達を奮い立たせ、なんとかしてやるんだという気力だけで乗り切った。

 その名残なのか、自分のような疲れた後輩を見過ごせない春樹は、常に栄養ドリンクを持ち歩いている。

 

 一件の後私達は、春樹が何処からか手に入れてきた濡れ衣の証拠を上司に突きつけてやった。

先輩達は体のいい左遷となり上司も謝罪してくれた。

 その後、私達は会社側から希望部署への配属を打診され、春樹は元より希望していた部署への移動が叶い、今はそこで頑張っている。

 私は今の部署が居心地が良くて気に入っていたので、特に希望は無いと回答した結果、同じ部署に居座っている。

 そんな苦労を共にして繋がっている春樹は、特別な同期であり大切にしたい友なのだ。

 そして、私の深い心の傷を知る、唯一の男だ。私がもう傷つかないように、会社の中ではいつも前に立って守ってくれている。



 思い出しながら春樹を見ると、パフェを食べ終えてこちらを向いた。

「ご馳走様。香澄が作ったんだろ?美味しかった。」

そう言う春樹の顔が、いつもより元気がないように感じた。

「春樹、何かあった?」と聞くと

「まあ…ちょっと母親とね。」と返してきた。

実家を出てからあまり帰っていないと春樹が言っていたのを思い出した。家庭の事情なので詳しくは聞いていない。

「私で良ければ、聞くけど?」と言うと

「サンキュ。とりあえず今は大丈夫。」と答えた彼の表情は複雑な心境なのを物語っていたが、帰り際の春樹はいつもの笑顔だった。

 



 微笑みながら見送って振り返ると、ニヤついた大和が立っていて

「やっぱり、いい雰囲気じゃないすか。」と言った。

「それは、どうも。」とお辞儀をする。

「付き合わないんすか?好き同士に見えますけど。」

 ホントに何なの、コイツは。

「好きだよ。でも、恋愛はまた別でしょ。」と答えると

「それって、どう違うんすか?」と大和は言った。

これ以上突っ込まれるのも面倒になり

「私、恋愛に興味無いから。」と牽制した。


 大和は少し考えてから、

「ふーん、勿体ないっすね。高さん、イケてるのに。」と言った。

 まさかの褒め言葉だ。

「あら、どうも。大角くんのようなイケメンに言っていただけて光栄ですわ。」と一応お礼を述べた。

「俺の周りにはいないタイプです、高さん。」

 確かにいないだろうな、と思ったが

「それは……いないんじゃなくて、寄ってこないんじゃないの?」と、疑問形で答えた。

「え?そうなの?」と、大和は驚いた感じだったが

「だと思うけど?」とだけ答えて、キッチンへ入り片付けを始めた。

一方的に会話を終了された大和は、不満そうな感じでホールへ戻って行った。

 



 

 その人と再会したのは、翌週の、珍しくヘルプを頼まれた日だった。

「いらっしゃいませ」と振り向いた瞬間、心臓がドクンと跳ねた。 入ってきたのは佐藤環だった。


「高林……さん?」学年のアイドルだった彼女は、相変わらずの可愛らしい目で私をじっと見つめた。

 戸惑っている私を見つけた大和が、間に入ってくれた。

「いらっしゃいませ。お二人様ですか?」

「あ……はい。……あの……。」と手をモジモジさせながら、何かを言いたそうにしている。一緒に来た女性が

「私、先に座ってる。」と大和の案内で奥へ入っていく。

「……あの、高林さん。……お久しぶりです。……ここで働いてるんですか?」と、彼女が小さい声で聞いてきた。

「いえ、商社に勤めてます。ここはバイトで。」

「そうなんですね……偶然……。

……あの……」と言葉が詰まる。

 何を言おうとしているのか、察してはいる。彼との事を言おうとしているのだろう。



 二人は半年程で別れた、と噂で聞いた。あれ以来二人とは関わらないようにしていたから、実際はどうなのかは知らないし知りたくもなかった。浮気しといて半年か、とは思ったが。

「あの時は、ごめんなさい。」と彼女が軽く頭を下げる。

「いえ、仕方がないことですから。」

「あの時、お話がしたかったんですけど、高林さんにはお会い出来なかったから……。……当たり前ですけど。」

俯いたまま、彼女が言う。それに答えるように

「そう見えないかもしれませんけど、別に私、強い人間でも無いので。……でも、こちらもすみませんでした。」と言った。

状況がどうだったにせよ、理由も言わず一方的に断ったのだ。この機会に、一言謝るべきだと思った。


 すると彼女は、

「違うんです!」と、手を祈るようにギュっと握りしめて顔を上げる。暫くの沈黙のあと、

「私……高林さんのこと好きだったんです。」と言うと、彼女はポロリと涙をこぼした。

「え……?」何を言われたのか、すぐには理解が追いつかなかった。

「すみません……言ってる意味が、ちょっと……。」とだけ口から出た。


「あ…いきなりごめんなさい。えっと…。」

 彼女は、思わず流れてしまったであろう涙を拭って深呼吸したあと、続けて言った。

「高林さんは知らなかったと思うんですけど、彼、かなりだらしない人だったんです。高林さんと付き合ってても、色んな女の子と遊んでました。」予想外の情報ばかりで、全く頭が追いつかない。

あの彼が、遊び人だった?

「佐藤さんと浮気した以外にも、という?」と疑問を投げかけると、彼女は真っ直ぐ私を見つめて

「はい。」と、はっきり答えた。

 

 

 ふぅ……、これはなかなか……。と深呼吸した所に

「私、女の子が好きで。」と彼女が続けた。

「高林さんのこと、好きだったんです。大学一年の時からずっと。でも、好きすぎて友達にもなれなくて。

そんな時、友達が彼と遊んでるって聞いて……。それも、軽い付き合いじゃなかったんです。」と言われ、いまだ思考が追いつかない私は語彙力が無くなり

「なるほど。」としか言えない。

「私、腹が立って。とにかく、彼を高林さんから引き離したい一心で……結果あんな事になってしまって。」

彼女の話している顔が、後悔しているのを物語っていた。

 

「じゃあ、彼が好きで付き合ったわけじゃなかったって事ですか?」と、率直に聞いた。

「はい。私が好きなのは高林さんでしたから。だから、すぐに別れました。ボロクソ言って。」さっきとは真逆で、やってやりましたと言わんばかりの顔だが、どうにも彼女がボロクソに言っている姿が思い浮かばない。

「話がしたい、って、その事だったんですか?」

「はい。私は嫌われる覚悟だったのでいいんですけど、あいつの本性だけはどうしても伝えたくて…。」とまた泣き出しそうな目で話してくれた彼女は、なんとも愛おしい感じだった。

「そうだったんだ……。」

 顔も見たくないと思っていた彼女が、まさか私を守ってくれてたなんて。想像もしなかった。



 私の緊張が解けてゆく。

「佐藤さん。今更ですけど、ありがとう。」と微笑むと、彼女は顔を赤らめて再び泣き出す。

 この言葉が適切だったのかは分からないけど、素直に感じた想いを口にした。言うべきだと思った。

「そんな……。私……。」と言葉を詰まらせる。

「本当に、話してくれて良かったです。実は、ちょっとトラウマだったので。」と笑って彼女の手を握ると、少しビクッとして顔を上げる。

「 じゃあ、良かったんですね……話して。」と微笑む。


「でも、女性が好きなんて個人的な事、話して良かったんですか?私が偏見のある人かもしれないのに。」と聞くと

「あるんですか?」と聞き返された。

「無いです。人の心の問題ですから。」と即答すると、

「やっぱり。そうだと思いました。私は、高林さんのそういう所も好きでした。」と満面の笑みを浮かべて、少し緊張が解けた顔になる。

 

「高林さん、大学で女子人気ナンバーワンだったんですよ。みんな高林さんと友達になりたくて。まあ、私は邪な気持ちもありましたけど。」と照れくさそうに言う。

その顔を見て、佐藤さんと友達になれていたら可愛がっただろうな、と思ってしまった。

「だから、高林さんが別れた時はみんなホッとしたんです。あんなクズと離れて良かったって。でも、ヨリを戻すのは避けたかったから、みんな悲しそうな高林さんを見てるしかなかったんです。」と言った。

 そうだったんだ。あの時は、周りからも否定されたと思っていた。

 


 彼女は自分の話すべきものを終えたのか、一緒に来た女性が案内された席へ目をやった。それを見て、

「うちの店、パフェがオススメなので是非食べてみてください。」と席まで案内した。

 ホールから戻ってくると

「あの人、知り合いっすか?」と大和が聞いてきた。

「うん、大学時代の友達。」と少し微笑んで答えると、

「なんか、嬉しそうですね。仲良かったんすか?」

「んー、仲良かったわけじゃないけど、嬉しいのは当たってるかもね。」と素直に答えた。


 彼女はおすすめしたパフェを食べてくれて、帰る時に

「ご馳走様でした。」と笑顔で言った。

「是非また来てください。シーズン毎にスイーツが替わるので。次回は私が作ります。」と伝えると、遠慮がちだった目を少し潤ませて、

「また来てもいいんですか?」と言った。

「勿論。お待ちしてます。」とお辞儀をする。扉の鈴を鳴らし、軽くお辞儀しながら彼女は帰って行った。



 

 佐藤さんが帰ってすぐ、今度は大和の元カノが来店した。

『動きの止まる大和』という珍しいものを見た。元カノは、ビックリするほど綺麗でスレンダーな女性だった。

 彼女が帰ったあと、

「さすが大角くん。綺麗な女性とお似合いですよ。」といつもの仕返しを兼ねてからかうと、少しむっとした顔で

「いや、元カノですから。今もこの先も、何も起こらないっす。」と拗ねた感じで言い放った。


 

 


 その日、私は佐藤さんとの会話を思い出していた。偶然にも過去の真実を知り、あの時は追いつかなかった思考が馴染んできた。


 『女子に人気があるから面倒』という彼の言葉の意味も、ようやく理解出来た。彼女の話を聞いたあとでは、確かに面倒だったのだろう、と納得した。

 本当の彼は、私の知っている彼では無かった。

 恋に盲目になって偽りの彼に騙されていることに気が付かない私を、周りの人達が守ってくれたのだと知り、嬉しかった。

男を見る目が無かったのは確かだが、私はこのままでいいんだと、救われたようだった。

あの辛かった時間も、いい経験だと思えばいいんだよと、励まされたようだった。

自分を責めなくてもいいんだよ、と慰められているようだった。

 


 一歩踏み出せば、私もまた恋愛が出来るのだろうか。

愛を共有できる相手と巡り会えるのだろうか。

切り取られたはずの未来の一部が、少し顔を出したような気がした。


 


 

 それから更に少し経った平日、仕事帰りにいつもの様に店にやって来た春樹は、

「今月は、土曜日って全部バイト?」と聞いてきた。

「うん。土曜日は、朝から入って夕方まで。」

「そっか……」

「どした?」

「月末の土曜日、来てもいい?」

「いいけど……何?何かあるの?」

「実は……お見合いするんだ。」

「お見合い!?あー、まあ……そんな歳だよね。でも、春樹なら大丈夫じゃない?推薦状出せる。」

「いらねぇよ。それに、俺まだそんな気無いんだよね。でも親がうるさくてさ、相手いないなら見合いしろって。」

「そっか。じゃあ、親にそう言えばいいじゃない?そんな気持ちで見合いしたら、相手にも失礼だよ。」

「分かってる。でも親がとりあえず見合いしてみろ、って譲らなくてさ。ダメなら後はお前に任せるって言われたから。」

「なるほどね。でも、いい人かもよ?」

「そうかな……。」

春樹のなんとも言えない顔が、複雑な心境なのを物語っている。姉妹に挟まれた唯一の男子、プレッシャーもあるのだろう。優しいが故に断りきれない、そんな人だ。

 


 実のところ、春樹は社内でも人気がある。大和ほどのイケメンでは無いが顔立ちは整っているし、ホンワカした雰囲気も相まって癒されるとファンが多い。

加えて、女子に挟まれて育った為、女心を理解しているのが大きな加点ポイントだ。


 だが、一線を越えられない何かを感じる、と皆が口を揃えて言う。

以前、女子達に相談された際に、誰かが均衡を破ってみたら?と提案してみたが、澤田さんが悲しむかもしれないから出来ない、と未だに勇者は現れていない。


 当の本人も、私と付き合っているのでは?、という噂を否定も肯定もせずにいる。違うって言ってもいいよ、と何度言っても

『俺は香澄のボディガードだから』と言うだけで彼女が出来る気配は無かった。

 何かあれば協力するよ、と伝えてはいるが未だに協力要請はもらっていない。どちらにせよ、私がとやかく言えることでは無いのは確かだ。



「じゃあ、来たら香澄オリジナルのスイーツ出してあげるよ。マスターに許可貰っておくから。」

「お、やった。じゃあ、楽しみに来るわ。」

「その代わり、誠意を持ってお見合いしてくるように。」

「……分かった。」

 いつもの笑顔で、春樹は帰って行った。


 


 

 見合いか……。ふふ、嫌そうな顔してたな、あいつ。

そんな春樹の顔を思い出した時、そういえば春樹の恋愛話って聞いた事がないな、と気がついた。協力要請もしてこないし、どうなんだろう……。

 佐藤さんの事も話したいし、その時にでも聞いてみようかな、と久しぶりに春樹と飲みに行こうと思いついた。

 


 佐藤さんを思い出すのと同時に、大和の元カノを思い出した。 これぞ女子!を形にしたような綺麗な子だったなあ、と。

佐藤さんといい大和の元カノといい、存在自体が奇跡な女子だな、と感心するばかりだ。

 話し込んでいるのを見て大和にコーヒーを持っていった時、大和を見つめる彼女の目は熱を帯びていた。まだ好きなんだろうな、と直感した。

 美男美女カップルって、まさにこれだろう…と思ってしまった。絵になりすぎて、うっかり拝んでしまうところだったのは大和には内緒だ。

 

 その彼女と帰り際にすれ違った時、ふと目が合った。

『ありがとうございました』という気持ちで微笑むと、何か言いたい事があるような視線を向けられた。



 その時、大学時代に話したこともない男子から、よく同じような視線を向けられていたことがあるな、と思い出した。

そういえば、あの視線…何だったんだろ?自分では全く答えが思いつかなかった。


 あ、佐藤さんなら分かったりするのかな……?

また来てくれたら、その時に聞いてみようかな……と閃いた。

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