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週末を挟んで、月曜日。今日は朝から雨が降り続いていて、最初から消化試合のつもりで登校した。雨の日はファストフード店やフードコートが、あたしよりもずっと満たされている連中で埋め尽くされていて、ダイナマイトか何かで吹き飛ばしてやりたくなる。だからあたしは放課後に入って、真っ先に図書室へ向かった。
担任の監視があって超面倒な教室掃除だったあたしと違い、大野は今週、掃除当番が比較的簡単な音楽室だった。あたしよりも先に来ていて、定位置で本を読んでいる後ろ姿が見える。あたしは彼の隣の椅子を引きながら、訊いた。
「今日、違う本じゃん」
本を全く読まないせいで、ブックカバーの色程度でしか、あたしは本を識別する術を持たない。文字を読むのは苦手だが、だからって漫画も好きではないのだった。
「昨日までのはどうしたん?」
「読み終わった」
「本ばっか読んでて楽しいの?」
そもそも本を読むために大野はここへ来ているのに、こんなに矢継ぎ早に話しかけるべきでないのは知っている。
でも、先週に初めて話した大野は、良くも悪くもあたしを特別扱いしなかった。腫れ物のように扱わないし、嫌悪感を持って邪険に接したりもしない。あたしはそんな大野のことが、恋愛感情とかの類でなく、静かに気になり始めていたのだ。
大野は相変わらずページに視線を這わせながら、静かに呟いた。
「新しいことを知るのは楽しい。知識は、いくら遣っても減らない貯金のようなものだから」
そんな発想に至ったことはなかった。今はとにかく「要らない」と思っていることばかり詰め込まれてばかりの毎日だから、これ以上の新しい物事はもう何も入らない心地しかしない。
大野はそれを減らない貯金、つまり財産なのだという。本当にそうだろうか。
「読めば読むほど、自分ってなんも知らないんだなー、って思わない?」
思っていることをすぐ口にするもんじゃない、と幼い頃によく親から怒られた。あの頃の両親はまだ仲が破綻していなかったから、もし父に言われたら母に、母なら父に……みたいに泣きついていたことを思い出す。
あの頃のあたしは、知らなかった。孤独というものがこんなにも寂しくて、冷たいのだということを。ずっと変わらないものなんて、そうそうこの世界に存在しないということも。
急坂を転がるように暗くなってゆくあたしを眺めながら、大野は不思議そうな顔をしている。
「どういうこと?」
「いや、あたしこんなことも知らないでよく生きてこられたなー、とかさ。そう思ったら、新しいことを知れば知るほど、怖くなったりしないのかなって」
取り繕おうとするほどに声が大きくなってしまって、カウンターの方から咳払いが聞こえた。いつもなら(直接言えってんだ)と内心で逆ギレするところだが、今のはあたしが悪い。無言でヘコヘコと頭を下げる。
「そんなこと、考えたことがない」
大野は相変わらず本を読みながらそう返事をしてきたが、今日の彼が少し違ったのは、いつもひとたびページを開いてからは読み終えるまでずっとそこにへばりついていた視線が、ふいに窓の外に向いたことだった。
「でも、そう言われればヒヤリとする気もする」と大野は言う。ページは手で開かれているが、彼の視線は今も動かない。その瞳には、窓に叩きつけられる無数の雨粒が、やがて重力に負けて滑り落ちてゆく様子が映っているだろう。
「でしょ?」
「だけど、退屈よりはいい」
「退屈?」
「変化がない毎日なんて、一日ずつ緩やかに死んでいるのと同じようなものだろ」
変わり映えのない毎日。ただいたずらに消化し続ける日々。何もないところから何かを生み出せる人物は実際、ほんの一握りしかいない稀有な存在だ。あたしは間違いなくそうじゃないし、大野だってそうじゃないかもしれない。
でも、あたしと大野は決定的なところで異なっている。
大野はまだ、何も諦めてはいない――。
「だから僕は、きみが心配だよ」
急に矛先が自分に向いてきて、内心吃驚してしまった。大野が単にあたしの名前を知らないから「きみ」なのか、あるいは女の子の名前を呼ぶのが気恥ずかしいだけなのか。いずれ訊いてみたい気がするけれど、いま気にするべきポイントは、間違いなくそこではない。
「なんで心配なのさ」
「きみは図書室に足繁く通っているのに、未だに一度も本を手にしているところを見たことがない。だから、退屈じゃないのかなって」
足繁くはないよ。雨の日しか来ないし。
とはいえ、大野がそう言うってことは、まったく無関心なふりをしながらも、ずっとあたしの存在を知覚してくれていたという証明だ。
でも、だめだ。
認められた気になってしまう。
ここにいてもいいと言われたような感覚に陥ってしまう。
大野はあたしを裁かない、稀有な存在なのだと信じてしまう。
彼が求める静寂を、沈黙を、勘違いした馬鹿なあたしが侵してしまう。その時、大野は再びあたしを赦してくれるだろうか。
この沈黙を壊したら、二度と戻れない――。
「うるさい」
精一杯の強がりで、あたしは本当の気持ちを煙に巻く。
窓の外の雨は今も弱まる気配をみせず、雨粒が煙のように舞っていた。
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