多重推理

森本 晃次

第1話 プロローグ

この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、説定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和6年9月時点のものです。お話の中には、事実に基づいた事件について書いていることもあれば、政治的意見も述べていますが、どちらも、「皆さんの代弁」というつもりで書いております。今回の事件も、「どこかで聞いたような」ということを思われるかも知れませんが、あくまでもフィクションだということをご了承ください。


 季節は、新入生や収入社員で賑わう花見が終わり、サクラの花が散ってしまってからの、少し暖かさというよりも、暑さすら感じさせる時期が近づいてきた頃のことであった。

 一人の男性が、バス停から少し住宅街に向かって歩いていくところの、ガードレール近くに、花束を手向けていた。

 その場所は、実に寂しいところで、その花を手向けた時間というのも、夜10時を過ぎていて、時間帯としては、

「そろそろ深夜に差し掛かっている」

 といってもいいくらいではないだろうか。

 バス停から、住宅街に向かっての道は、坂になっている。

 そもそも、分譲住宅というと、どこかの丘になったあたりにできているのが普通で、当然、バス停から、住宅街に向かっているあたりが坂になっているという想像は、容易につくといってもいいだろう。

 この時間になると、路線バスもほとんど最終バスの時間となっていて、バスが通っても、乗っている人は数人。しかも、

「住宅街への入り口あたり」

 というと、降りる客もほとんどいないということであった。

 実際にバスを見ると、乗っている人は、2,3人しかいない。それを思えば、このバス停で降りる人がいないというのも分かる気がする。

 こんな時間なので、

「遊びにきた」

 という人もほとんどいないだろう。

 つまり、このあたりに住んでいる人しか使わないということで、

「平日のこの日に、誰も乗降客がいないということは、このバス停が最寄りということで、この付近に住んでいる人は、皆自家用車か、早い時間に帰りついている」

 ということになる。

 会社の帰りに、

「ちょっとどこかで飲んで帰る」

 ということもないのだろう。

 そもそも、住宅街への路線バスというのは、

「どこでも、こんなものではないか?」

 ということで、それだけに、夜の十時過ぎというと、この辺りは、

「完全に深夜」

 という様相を呈しているといってもいいだろう。

「都心へのベッドタウン」

 ということで、今から20年くらい前に売りに出されたこの住宅地は、最初こそ、

「あまり入る人はいなかった」

 ということであったが、できてから、5年くらいしてくると、住民が少しずつ増えてきた。

 というのも、この近くに、高速道路のインターができたということで、大型スーパーであったり、運送会社などの、物流センターができたことで、一気に人口が増えてきたのだ。

 もっとも、

「その計画を知ったうえでの、分譲住宅計画だったわけで、そういう意味では、5年というのは、少しかかりすぎだ」

 といえるかも知れない。

 それでも、20年も経つと、街も新興住宅というよりも、

「昭和の昔からあった住宅地」

 という雰囲気で、どこか、ほのぼのした感覚があったのだった。

 ということで、このあたりのは、

「昭和レトロ」

 を思わせるような、

「純喫茶風」

 といわれる喫茶店が数軒あったりする。

 元々、駅前に店を構えていたのだが、平成になってから、郊外型の大型ショッピングセンターができたおかげで、駅前の商店街が、すっかりさびれてしまったのだった。

 こんな光景は、ここだけのことではなく、他の街でもたくさん見ることができるのであった。

 純喫茶があるというのは、元々、

「大学生のため」

 というのが、このあたりに最初に、

「純喫茶」

 を構えたマスターの考えだった。

 ここには、

「K大学」

 の、理工学部関係が、移転してきた。

 そもそも、都心部にあったのだが、土地の高騰や、施設の老朽化などの影響で、

「どこか、適当な場所への移転」

 というものを考えていたのであった。

 そこで目を付けたのが、

「住宅地建設」

 というものと、

「インターができる」

 ということで、土地の売買による金額が下がったということで、結構早めに大学が目をつけていたことで、商談は結構うまくまとまった。

 土地の所有者としても、

「大学誘致」

 というのは、実にありがたかった。

「住宅地への宣伝にもなる」

 ということで、

「それぞれに、相乗効果があった」

 ということであった。

 大学が先に着工したのだが、実際に、整備されて、実用化が始まったのは、

「住宅街の方が早かった」

 大学の移転は、どうしても、

「実際に、元の場所で稼働しながらの並行作業だ」

 ということで、計画自体、少々長いスパンで見ていたということであった。

 大学から、住宅地までは、実際にはそこまで近いわけではないが、駅からバスに乗れば、

「先に住宅地を通って、その先に大学の施設がある」

 ということになっていた。

 大学の学生の家が、住宅地にある場合、大学が終わってどこかに遊びに行くと考えた時、

「一度、駅前まで出てから、電車で都心部に移動」

 ということになり、遊んで帰る場合は、

「結局また、駅まで電車で移動して、そこから、バスに乗って、住宅街にまで帰る」

 ということになるのだ。

 だから、大学ができた当初は、この深夜に掛かるくらいの時間であれば、

「都心部で遊んできた学生が、最終に近いくらいの時間帯、もう少したくさん客がいたに違いない」

 ということであった。

 確かに、その住宅街ができた頃を知っている人はそう思うだろう、

 しかし、今では、この時間乗っているとすれば、

「スーツ姿のサラリーマンが数人乗っているだけであった」

 それでも、

「まあ、こんなものだろう」

 というのが、

「これも時代の流れ」

 といえばそれまでで、5年くらい前と、まったく違っているような気がすると考える人もいるだろう。

 その、

「花を手向ける男」

 というのは、

「年齢から言えば、30歳を少し超えたくらいになるだろうか」

 自家用車でやってきて、バス停に遠慮する形で車を路上駐車させていたが、実際には、

「そんな配慮など必要ない」

 というくらいに、乗降客もいないわけである。

 実際には、この時間のバスは通過していき、バスの乗客の誰も、

「そんなところで花を手向けている人がいる」

 などということを分かっていた人は誰もいないだろう。

 バスの運転手も、

「車が停車している」

 ということで意識はあっただろうが、あくまでもそれだけのことで、

「反射的によけているだけ」

 というだけのことだったに違いない。

 当然、クラクションなど鳴らすわけもなく、お参りをした人も、バスが通ったとしても、それをわざわざ意識するということもなかったに違いない。

 この辺りは、昭和の頃は、本当に山しかなかった。

 ただ、山頂には、

「城址」

 と呼ばれるところがあり、

「南北朝時代に築かれた」

 という山城があった場所ということで、

「自治体の観光課」

 とすれば、

「文化財保護」

 ということで、しばらくは、

「住宅地などにはしない」

 という地域に指定していたのであった。

 しかし、

「城址公園」

 として整備されているわけではなく、山頂に少し石碑が残っていたりするだけで、

「重要文化財指定」

 というところまでは至っていなかった。

 ただ、ちょうど近くに大学誘致の話があったことと、その大学の考古学チームが、このあたりに眼をつけたということで、昭和の、ちょうど、高度成長期という時代あたりから、

「何か遺跡が出るかも知れない」

 というウワサガあり、それに伴って、

「大学の研究チームが入る」

 ということで、一応、10年をめどに、

「発掘目的」

 とされたのだった。

 しかし、

「10年ではらちが明かない」

 ということで、さらに10年の延長が認められたが、それでも、結果としては何も重要な出土物が見つかったわけではなかった。

 それで、それ以降は延長しなかったことで、世紀末前くらいに、

「文化財保護地域」

 からの指定が外れたということであった。

 そこで、民間に払い下げられた土地に、

「住宅街」

 であったり、

「物流センターの誘致」

 というものの建設予定が固まっていき、実際に、

「住宅街への転用が決定した」

 ということであった。

 住宅街建設に関しては、それほど大きなトラブルはなかった。

 昔であれば、

「立ち退き問題」

 であったり、

「ゼネコンによる談合」

 などという問題が、昭和時代であれば、日常茶飯事であっただろうが、

 実際に、

「バブル崩壊後」

 というのは、

「どうしても、保守的になることで、おとなしくなるという傾向がある」

 ということになる。

 そのおかげで、土地開発が、途中で停滞するということもなく、何とか予定通りに分譲地が出来上がっていったのであった。

 近くの商業施設や、学校や病院といった。

「街を形成する施設も、順調に出来上がっていき、順風満帆の様相を呈していた」

 ということであった。

 ただ、どこの街でも同じなのだろうが、昭和の頃、賑やかだった駅前がすっかりさびれてしまっていて、ほとんどの人が駅を降りると、駅前のバス停に列を作っているということであった。

 実際に、駅前のさびれた街並みには、マンションが立ち並び、

「この街をベッドタウンとして使っている」

 という人は、交通の便を考えて、駅前のマンションに住むという人も多いだろう。

「分譲マンションを買う」

 というよりも、

「賃貸住宅」

 を借りるという人が多いのではないだろうか?

 昔のように、

「30年ローン」

 などということで、ローンを組むという人もいるだろうが、

「転勤のある人にはできることではない」

 ということであったり、

「バブルの崩壊」

 ということによって、

「ローンを払えるような社会環境ではない」

 ということになっていた。

 というのも、

「ローンを払う」

 ということは、

「毎月決まった金額を払い続ける」

 ということで、

「ボーナス時期には、その分多めに」

 ということであったが、バブルが崩壊した時は、会社から、

「リストラ」

 ということで、会社にいられなくなるということが出てきた。

 それまで、

「当たり前だ」

 と言われた、

「終身雇用」

 などというようなものではなく、

「実力主義」

 ということで、会社を転々とするのが、優秀な社員と言われ、それこそ、

「海外企業のような会社」

 ばかりになってきたということであろう。

 それによって、ローンを払うことが難しくなったのだ。

 しかし、

「バブル崩壊以前」

 であれば、

「頭金さえあれば、分譲マンションの方が得」

 とも言われたものだ。

「30年ローン」

 ということで、確かに、一見高いように思われるが、実際に、総額から、その年月を割って、月々の払いを計算した場合と、賃貸マンションの家賃を、これから30年払っていくということを比較した場合では、

「分譲マンションを買う」

 という方が安いと言われることもある。

 だが、金銭的なことだけを考えるとそうなのかも知れないが、これが、実際問題ということで幅広く考えると、そうもいかないのが、現実であろう。

 というのは、

「転勤がある」

 ということも一つであるが、

「分譲マンションであれば、簡単に他に移る」

 ということもできないといえる。

 隣に、問題となる人が引っ越してきた場合、賃貸であれば、

「他に引っ越せばいい」

 といえるが、

「買った物件」

 ということであれば、そうも簡単にはいかないだろう。

 それを考えると、

「身軽な賃貸」

 の方がいいというのは当たり前のことである。

 特に、

「バブル崩壊」

 ということで、

「明日は何が起こるか分からない」

 ということになると、

「分譲住宅など怖くて買えない」

 といってもいいだろう。

 昔は、

「一軒家は、サラリーマンの夢」

 と言われたが、

「分譲マンションというものでも、サラリーマンの夢」

 ということになるだろう。

 特に今の時代は、

「物価上昇が果てしない」

 という時代であり、そのわりに給料はほとんど上がらないということで、まったくひどい状態だ。

「政府もまったく機能していない」

 ということで、

「国家をあてにもできない」

 そうなると、

「自分の身は自分で守る」

 ということで、結局は、

「住宅問題で、余計な金を使うわけにはいかない」

 ということになるであろう。

 自分たちにとって、

「いかに今後の問題に響いてくるか?」

 ということを考えてしまう。

 特に今の時代は、

「老後は地獄」

 といわれる時代である。

 それこそ、昭和の頃までは、

「定年退職、おめでとうございます」

 ということで、

「55歳で定年」

 ということになれば、

「年金で、悠々自適の生活が待っている」

 と言われていた。

「それだけ、年金制度が充実(いや、それが当たり前なのだが)していたわけで、今のように、悲惨な状況になる」

 ということはないのだ。

 今の時代の定年というと、

「まだ、結構な会社が、定年を60歳ということで、会社が、何とか、再雇用を」

 という程度である。

 しかも、

「年金は65歳から支給」

 ということになるわけで、確かに、

「60歳からの早期需給のできる」

 というが、実際に60歳からもらうとなると、その支給の割合は、

「65歳からもらえる場合に比べて、約3割減くらいになってしまう」

 というではないか。

 今の年金支給額」

 というものも、実際に60歳まで正社員としてもらっていた給料の、

「半分近くにされる」

 という理不尽な状態で、

「やる仕事は変わらない」

 というところが多い。

 へたをすれば、

「無理難題」

 というものを押し付けて、社員に、自分から、

「辞めます」

 と言わせようというひどいところも、結構あるということである。

 それこそ、今の時代は、

「人生100年時代」

 といわれるが、老後の仕事がそう簡単に見つかるというわけでもなく、だからこそ、

「60歳以上は、姥捨て山状態だ」

 といわれるのである。

「何が人生100年時代だ」

 ということで、

「100歳まで生きるとすれば、後半の40年は、地獄でしかない」

 ということだ。

「昔だったら、楽隠居なのに」

 ということで、

「老人ホームに入れられて、寂しい思いをする」

 などと、昭和時代ではそういう問題があったが、今では、

「老人ホームにも入所できない」

 ということで、

「老人ホームに入るなんて贅沢」

 といわれる時代になってきたのであった。

 そんな時代が、平成から今の令和につながってくるわけだが、この住宅地は、

「そろそろ20年」

 ということで、ある程度、

「平穏な時代」

 が続いていた。

 しかし、実際には、世の中には、いろいろな問題が山積していて、特に、

「消えた年金問題」

 であったり、

「世界的なパンデミック」

 などという問題。

 さらには、

「派遣切り」

 などという問題であったり、

「地球破壊による自然災害」

 という問題まで、多岐にわたっていて、実際には、

「どれも無視できるというものではない」

 ということになるだろう。

 逆にそれだけに、大きな問題ということで、

「時間が経つのが早い」

 と感じるだろう。

 これが若ければ若いほど、

「平穏」

 と感じるのかも知れないが、ある程度年齢を重ねてくると、

「その時々の節目節目を感じさせる」

 ということになるのだ。

 だから、

「年を取るごとに、時間が経つのが早い」

 といわれるのも、無理もないことだと考えられるのだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る