第5話:Good Morning?


 本当に大切な贈り物は思いがけない時にやってくるんだよ。

 

 祖父の言葉だ。

 ミディールが生まれてすぐに亡くなった母。仕事で忙しい父に代わって幼少期のミディールの面倒を見てくれたのは祖父だった。

 春の国からわざわざ冬の国へ来てくれた。慣れ親しんだ故郷を躊躇いもなく世話をするために、数年間も暮らした。

 まるでこの寒く険しい国を古い友人の家のように親しんだ。

 本をめくり、暖炉の前で読み聞かせてくれた。歌を歌えば暖炉の火は踊り、料理をすれば精霊が手伝いに寄って来る。ペンを走らせれば新しい魔法が生まれる。


 冬の国を離れた今でも時折、手紙をくれる。

 祖父の夢を見たのは、昨夜祖父からの手紙を読んだからだろう。


 愛しのミディールへ

 十五歳の誕生日おめでとう。君なら上手く使えるだろう。

 追伸。栗のお嬢さんにもよろしく。


 手紙と同梱されていた贈り物は髪結い紐だ。雪羊皮紙の方が質量はあったので、気が付くのが遅れてしまった。そこには確かに祖父の手製であることが分かる魔力が込められていた。金と深緑の紐が編み込まれていて、派手過ぎず使いやすい色合いは、祖父にしては珍しくまともだ。

 祖父は偉大な魔法使いだ。年々、予知する力が強くなっている。身内にはその力をひけらかす癖があり、手紙にも如実に表れていた。

 こういう変わらない無邪気な祖父の言葉を見ると励まされる。

 しかし休日に髪を切ろうと思った翌日にこの贈り物が届いたのは、「髪を切るな」という祖父の言いつけに他ならない。

低すぎず、高すぎない位置で結わえて、服を着替えて運動靴に履き替えた。


 ミディールが住んでいるのはとある魔女の家で二階の一室を間借りしている。

 三階建ての一階二室ほどの狭いアパートだ。

メインストリートから離れた閑静な住宅街。 ブロンズ通りという赤褐色のレンガに囲まれた通りをミディールは走り抜ける。


 メイス・キャロルの朝は遅い。

 まだ誰とも言葉を交わさない静かな朝。

 日が昇ったばかりの空が白む中、雪が降っていない乾いた空気の、まだ暗い町を走るのがミディールの楽しみの一つだった。

 何者にも邪魔されないこの時間は、悩み事を整理するのにちょうどいい。

 

 そう。

 今のミディールには大きな悩みがあった。

 相棒の候補として選ばれたのが、まさかの妖精。

 コロポックル。

 小さくなることだけが取り柄の妖精が荷運びなど出来るはずもない。

 やる気はあるが何せ死にかけていたし、何より世間知らず。支え合うどころか、もはや保育状態になりそうだ。

いや。大丈夫だ。

配達科の授業は女児についていけるようなお遊びではないから、あっちから根を上げるに違いない。

 ランニングから戻ると玄関前にいたのはミディールの悩みの種。

 マロン・ポックル。

 メイド服に身を包んだ彼女は恭しくスカートの裾をつまんでお辞儀をする。赤らんだ頬、擦り合わせている手。この様子では外でかなり長い間待っていたらしい。

「風邪引くぞ」

「これくらいなら平気です」

「この間まで箱に入って凍死しかけただろう? メイス・キャロルの寒さを甘くみるな」

 冷え切った手が良い証拠だ。ミディールはマロンの手の甲を自分の額に付けた。

「こ、これは?」

「体を温める魔法だ」

「ぽかぽかします。やはりご主人様はすごい魔法使いだったのですね⁉」

「魔法を使ったこと、誰にも言うな」

「ルチア様にもですか?」

「あの人に口留めされているんだ。話せば背中に氷柱を入れられるぞ」

「ひっ」

 想像しただけで凍り付くマロンの髪の毛はぶわっとたわしみたいに逆立った。

 毛量があるので、結わえるのが大変そうだ。

 昔飼っていた雪羊のコットンを思い出す。たっぷりとしていて手入れが大変そうだ。

 マロンはとことことミディールの後ろに着いて来た。

「着いてこなくていい!」

「相棒という関係は常に傍にいるものと伺いました」

「それは従者だろ」

「何が違うのでしょうか?」

「——」

 この世間知らずにこれからも付き纏われると思うと今からうんざりだ。

適当に朝食を摂ろうとリビングに入ると、そこにはモーニングティーを嗜む寝間着姿の魔女がいた。

「遅いわよ、ミディ」

「その呼び方やめろ」

 師匠であるルチア・ニースは家主でもあり、同居人でもある。

 ミディールはカレッジに在学中までは師匠の家を間借りしているのだが、家事のほとんどはミディールがやっていた。

 家事は嫌いではないが限度がある。何せルチアがガサツで適当なので、家の片付けや食事の準備はミディールがやっていた。

 ——早く一人前になって部屋を出たい。

「ミディ……。素敵な呼び方です」

「真似していいわよ。ねえ、いいわよねえ? ミディ」

「……」

「怖い顔ねえ」

ピッチャーに入ったミルクを運んでいたマロンは、人の愛称談義に気を取られていた。

そのせいで襲い掛かる悪寒に遅れて盛大にくしゃみをした。

「へっくしょん!」

「——っ」

 ——こうなると思った。

 ミルクは打ち水のように広がり、綺麗にミディールの顔面にかかった。

頭からミルクを被ったミディールは、ほらみろと予想通りの展開に溜息を吐いた。

しかしミディールだけならまだしもひっくり返した張本人も頭から被っているのだ。

「あらあら」

一方、運良く被らずに済んだルチアは呑気に紅茶を啜っている。

テーブルも床もびっしゃりとミルクで濡れてしまった。

「あ、ご、ごめんなさい」

ぽたぽたとミルクを垂らしたまま、呆然とするマロン。

最低の朝食になってしまった。

「ミディール。お風呂に入れてあげて。私はお湯を沸かすから」

「……」

 嫌だ、と言葉に出さなくても通じるのが師弟関係であるが、師匠は弟子の気持ちなど知らんぷり。

「昔、ミルクのバケツをひっくり返した雪羊をお風呂に入れてあげたでしょ?」

「ひつじ……」

 確かにミルクを飲むのが下手な子羊が毎日のようにバケツをひっくり返すので、お風呂に入れるのはミディールの日課になっていた。放っておくと毛が凍り付いてしまうので、すぐに体を洗わなければならない。

「ああ、分かった。でも遅刻したらあんたのせいだからな」

「も、申し訳ございません!」

「お前じゃなくて……。ああ、もういい」

 顔面蒼白になったマロンはタオルで拭いもせずに何度も謝るのでルチアとディールは目を合わせた。

 妖精とは本来、人に好意的であっても悪戯好きで忘れっぽい、気ままな性分のはずだ。

機嫌を伺う妖精なんて会ったことがない。まるで長い間躾けられた犬のように痛々しい。

「まだ時間はある。さっさと入るぞ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る