第17話 ナメクジの王様と怒れる少女
食事を終え、アマネは用意されていた衣服に袖を通した。
それは、湖のように美しい深蒼のドレス。
デザインこそ古風だが、仕立ては一級品。
そして何より、大切に手入れされてきたことが肌触りから伝わってくる。
鏡の前に立つアマネは、不慣れな装いに小さなため息を漏らした。
(はぁ、ドレスって柄じゃないんだけどなぁ)
背後に控えていたイロハは、その不満げな様子を察して言葉を添える。
「申し訳ございません。アマネ様の背格好に合いそうな衣服が他に見当たらず。まさか、賓客にメイド服をお出しするわけにも参りませんし」
「賓客、なんだ、私?」
「はい、アルト様からそのように接するよう命じられております」
「そのアルト様というのは、ルミナの王様で……魔族、なのよね?」
「はい」
「どうして魔族が人間の私を賓客扱いするの?」
この問いに、イロハはわずかに沈黙を挟んで瞳を逸らした。
「……いろいろあるんです」
「なに、今の態度?」
「そのことについては、アルト様に直接お尋ねください……現在、少々やけ気味で、まともに答えてくれるかどうかはわかりませんが」
「はい?」
「いえ、なんでもございません。ともかく、ルミナは人間と魔族が敵対しているわけではないので、ガターのようにあなたを無体な……ん? アマネ様」
「ガター……そうだ、あいつに……クッ!」
ガターの名を耳にした瞬間、アマネの脳裏に惨劇が蘇る。
ガターの手によって奪われた民間人の命。目の前で散っていった大切な仲間たち。
「ガター……魔族めっ」
少女の翡翠色の瞳に、憎悪が溶け込み、どす黒く染まっていく。
その様子に、イロハは小さな嘆息を漏らした。
(困りましたね。このご様子ですと、アルト様が『ナメクジ化』してしまうかもしれません)
――――城内・その回廊
イロハは現在書類整理の真っ最中のアルトのもとへアマネを案内すべく、回廊を歩き、執務室へと向かう。
その途中、アマネは城の内部を見回しながらこう話しかけてきた。
「天井は高い作りでいいわね。それに古そうだけど、隅々まで手入れされている」
「そう言っていただけると、管理を任されているメイド冥利に尽きるというものです。もっとも、人手が全然足りずに、見えている場所の手入れだけで精一杯なのが現状でして」
「そうなの? 言われてみれば、閑散としてるわね」
三階の吹き抜けから、一階のロビーを見下ろす。
とても広い城でありながら、いたのは二人のメイドだけ。
しかもそれは、猫の獣人族と――――魔族。
「魔族……本当にここは、魔族の――――チッ」
魔族の姿を見てまたもや、心に憎しみの炎が
その抜き身の殺意を感じ取り、今後の展開を予想して頭を抱えるイロハ。
(はぁ、ナメクジ化しちゃう……)
――――執務室・アルト
漆黒の執務机に山積みにされた書類を前に、私は深いため息を一つついた。
「はぁ……」
すると、書類整理の補佐をしていたブルックが言葉に小さな棘をつける。
「陛下、ため息など吐くものではありませんぞ」
「そうは言うがな、ブルック。少し出兵しただけで、何なんだこの量の書類は?」
机の上には、呪いのように積み重なった書類の山。
・王命証書 ・遠征登録簿 ・給与国庫支出明細 ・別動隊への行軍および作戦命令書 ・連絡文書および伝令書 ・予備に用意した徴発および購入許可書の骨子 ・人員および装備に関する書類 ・装備および消耗品の報告等――。
私はこれら書類たちにしかめ面を見せつつ、一束の書類を指さした。
「半分くらいは必要のない書類だろう?」
「陛下、書類もまた権威なのです。書類は王の『権威』を示す手段であり、国の公的記録としての機能もあります。特に王命証書は権威の最たるもの」
「王命証書は理解できる。では、この無駄に多い量は?」
「量は多ければ多いほど、権威の
「そんな
「ごほん、まぁ、今の半分冗談ですが……詳細な会計記録などは厳密さの証明であり、諸外国またはのちの世で、我が国の内政の在り方が評価されるという一面もありますので」
「まったく面倒な話だ。のちの世の評価まで考えないといけないとは……」
「さぁさぁ、ため息を吐く暇も愚痴を漏らす暇もございませんぞ。我々には時間がないのですからな」
「わかっている。本来ならこんな細かい事務仕事は王の仕事じゃないだろうに。文官がいないのというのは本当に……」
「ですから陛下、愚痴らず手を動かして……おや?」
コンコン、と控え目なノック音が響いた。ブルックが声を返す。
「何か用か?」
「イロハでございます。アマネ様をご案内してまいりました」
ブルックは無言で私に顔を向け、私もまた無言でこくりと頷く。
それを受けて、ブルックがイロハへ声を返す。
「許可が下りた。入れ」
扉は開かれ、メイド姿のイロハに続き、亡き母の深蒼ドレスを纏った少女――勇者セッスイの娘・アマネが入室してきた。
アマネはブルックと私を見るなり、体に緊張を走らせ、敵意に満ちた翠玉の瞳でこちらを射抜いた。
「魔族……椅子に座るあんたが、アルト?」
「いかにも。君はアマネだな。勇者セッスイの娘の」
「……これは何のつもり?」
「ん、何のつもりとは?」
私は抑揚をつけず、純粋な疑問として声を返したつもりだった。
だがアマネは、まるで挑発でも受けたかのように突如感情を露わとし、激高して声を荒げた。
「とぼけないで! 魔族が人間を助けるなんてあり得ない! 何を企んでいるの!?」
「別に企むなど……」
「嘘を言いなさい! あんたたち魔族は蛆虫よ! 民間人の命を奪い、私の仲間たちまでも! そんな奴らの言うことなんて――信じられない!」
「待て待て、まずは落ち着いて――」
「落ち着けですって! もしかして、あんたは私を懐柔しようとしているんじゃないの!? こんなドレスまで用意してさ! あいにく私はこんなひらひらした服なんかに興味ないの! しかも古臭いデザイン! これで喜ぶと思ったの!?」
「き、君……はぁ~」
矢継ぎ早に繰り出される罵詈雑言を前に、ため息しか出ない。
アマネの後ろに控えていたイロハが彼女の言葉を遮る。
「アマネ様、そう捲し立てられては、アルト様も答えようがありません」
「――っ! ふんっ、そうね。わかった、あんたの言い分を聞いてあげる。さっさと答えなさい!」
部屋に満たされた罵声の残響は、一時波を引く。
私は頭を抱え、彼女とルミナに横たわる価値観の相違。その隔たり、深い溝を痛感していた。
「……魔族と人間の対立は聞き及んでいたが、ここまでとはな」
「あんた、何を?」
「このルミナではそういった対立はない。そのため、こうも一方的に責められるとは予想外だった」
「はぁ?」
「初対面の少女に蛆虫呼ばわりされて、母の形見のドレスまで馬鹿にされるとは……つまり、私は…………傷ついた。ぐへ~……」
そう遺言を残すと、私は書類の上に突っ伏した。
全身から力は失われ、だらしなく体を机に預ける。
それを見たブルックとイロハが、同時にため息交じりの声を漏らす。
「まったく、ナメクジ化しておる場合ではないでしょう」
「あ~あ、ナメクジ化しちゃった……」
二人はそろって肩を
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