[完結]炎に全てを奪われた俺は、ヤンデレ幼馴染の愛に救われ、そして支配された

ロク

1話

橘昂輝が十歳の夏、街は焼けつくような陽光に覆われていた。

 舗装された道路は蜃気楼をゆらめかせ、公園の鉄棒は触れると火傷するのではないかと思うほど熱を帯びていた。


 それでも子供というのは不思議なもので、暑さも危険も、楽しさの前では薄れてしまう。

 昂輝も例外ではなかった。


「今日こそ逆上がりできるだろ、昂輝!見せてくれよ!」


「できるってば! さっき練習したんだから!」


 友達の声に背中を押され、昂輝は鉄棒へ向かう。

 手のひらにかいた汗が日差しで蒸発し、ざらついた砂埃が皮膚にまとわりつく。


 逆上がりを試みるが、鉄棒を握った瞬間、ビリッとした熱さに思わず手を離してしまった。


「あっつ……!鉄棒、今日めちゃくちゃ熱くない?」


「日光で焼けてるんだって!でもいけるいける!」


 友達は笑っている。

 その無邪気さが、なぜか昂輝を少しだけ勇気づける。


 再び鉄棒に挑戦し、勢いをつけて回転する。

 ふわりと世界が逆さになり、視界がクルリと回転した。


「おおっ! できたじゃん!」


「ほらー、言っただろ?」


 少し誇らしい気分になる。

 心が軽くなる。


 ──それは、人生で最も幸福な瞬間だったのかもしれない。


 あの黒煙を見るまでは。



「……なぁ、あれ見てみ?」


 友達の一人が空を指差した。

 視線の先には、夕焼けのオレンジ色に黒煙が一本、突き刺すように立ち上っていた。


「なんか火事っぽくないか……?」


「うわ……すげぇ煙……」


 黒煙は太い柱のように空へ向かい、先端は風に散らされて広がっていく。

 ぽつりと胸の奥が冷たくなった。


(嫌な……感じがする)


 理由はわからない。

 しかし次の瞬間、誰かが口にしたひと言で、心臓が跳ねた。


「……あれ、昂輝の家の方向じゃね?」


 世界がひっくり返ったようだった。

 風の音も、蝉の声も遠のき、心臓の鼓動だけが耳の奥で強く響く。


 気付けば足が勝手に動いていた。


「昂輝!?どこ行くんだよ!」


 友達の制止も耳に入らない。

 走った。

 無我夢中で走った。


 喉が焼ける。

 息が苦しい。

 汗が目に入り、熱で視界が揺らぐ。


(お願い……なんでもいい……違ってて……)


 願いは、虚しく消えていく。


 角を曲がった瞬間──視界が赤に染まった。



燃えていた。

 激しい音を立てながら、昂輝の家が炎に包まれていた。


 木材が爆ぜる音、瓦が割れる音、炎が空気を吸い込み、吐き出すような轟音。

 赤い獣が暴れているように見えた。


「父さん! 母さん!!」


 叫んでも返事はない。

 炎は全てを飲み込み、答える余裕などなかった。


「危ないから離れろ! 入っちゃだめだ!」


 大人の手が肩を掴む。

 しかし昂輝は振りほどこうと必死に暴れた。


「やだ!! だして!! 父さんと母さんが……っ!」


 腕に力が入らないほど抵抗し、涙で視界は滲む。

 砂埃と煙が混じりあい、息を吸うたび胸が痛む。


(なんで……? たった一時間……遊んでただけなのに……)


 炎は容赦ない。

 昂輝の“小さな日常”を跡形もなく壊していく。


 近所の人が必死に水をかけているが、火の勢いは衰えない。

 炎が吹き上がるたびに、昂輝の心がひとつずつ削れていくようだった。


「おかえりって、言ってよ……」


 ぽつりと漏れた言葉は、煙に溶けて消えた。



遠くでサイレンが鳴り始めた。

 それはまるで、ゆっくりと死を告げる鐘の音のようだった。


 消防隊員が次々と到着し、ホースをつなぎ、掛け声とともに放水が始まる。

 水が炎にぶつかり、白い蒸気を上げて天へと散っていく。


 夜の帳が落ちる頃には、家の半分が崩れ落ちていた。

 屋根の形も壁の色も、もう元の面影はない。


 炎が収まっても、昂輝の涙は止まらなかった。


 膝を抱えて座り込み、身体を震わせて泣く。

 背中をさする大人の温もりすら感じないほど、心は壊れていた。


(僕が……あの時帰っていれば……)


(僕が……火を止められれば……)


(僕が……守れれば……)


 少年の胸に深く刻まれた後悔は、そのまま未来へと伸びていく。


 この夜、彼は決意する。


──炎に奪わせない。

 二度と、こんな光景を誰かに見せない。

 消防士になって、人を救うんだ。


 涙と煙の中で芽生えたその誓いは、

 やがて彼の人生を導く、唯一の光になる。


 しかしこの夜、同じ街の別の場所で──

もう一人の子供が、自ら火をつけていた。



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