第53話「意趣返し」

夜の帳が深く降りる森の中、ゼノは地図を広げ、幹部やリディアとともに作戦を練っていた。


「この道を抜ければ、グリモー侯爵の領地だ。守りは手薄――勝てる!」


ゼノの声に、騎士たちの瞳が一斉に光った。

疲労で重くなった体も、闘志に呼び覚まされる。


夜陰に紛れて森を抜け、薄明かりの村近くへと進む。

村は静まり返り、瓦屋根に月光が反射する。

そこはとても静かだ、見張りの姿は見えるが、あまり気を張っているようには見えない。


「やはりほとんどの兵を連れて行ったか。我々が無傷で逃げ出すとは思ってもいなかったのだろう」


息を潜め、ゼノは静かに指示する。


「無駄な殺生は避けろ。侯爵に嫌々従っているだけかもしれない」


騎士たちは息を詰め、夜の静寂を切り裂かぬよう武器を握る。

数分後、東の空がわずかに白み始めた。

ゼノの合図で、一斉に奇襲を開始した。


村の入口にいた見張りは、想定外の事態に驚き混乱する。

見張りが合図を送る前に拘束できたのは、僥倖と言ってもいい。


「突入せよ!」


ゼノの号令とともに、騎士たちが影のように村へ滑り込む。

多勢に無勢で敵兵はほとんど抵抗もしてこない。


「物資を抑えろ!館に火を放て!」


これから長い戦いになるかもしれない。

だとしたら、物資はいくらあっても困ることはない。

何より、それを奪うことは敵の物資を減らすことになるのだ。

補給を滞らせることができれば、ヴァルハルゼンを撤退に追い込むこともできる。


そして、館を燃やすのは敵の基地となるのを防ぐためだ。

グリモー侯爵の館はそれなりに堅固ではあるが、占拠し続けるには無理がある。

周りも侯爵の味方ばかりなので、囲まれてしまう恐れがあるのだ。

それならエルバーン伯爵領まで退いたほうが安全だ。


その命令を聞いた騎士たちは倉庫へと駆け込み、食糧と武具を手際よく運び出す。敵の抵抗は少なく、領地全体が慌ただしい悲鳴で満ちる。



「無理に戦わなくてもいい、逃げる敵は放っておけ」


降伏などされても大した戦力にはならない。

むしろ面倒な事務処理が増えるだけだ。


倉庫から物資をあらかた持ち出してしまうと、今度は館に火を放つ。

逃げ遅れる者がいないよう時間を置いたのだ。

裏切った侯爵は許せないが、下の者には罪はない。


侯爵の館が焼け落ちるのを見て、騎士団は勝どきを上げた。


「少しは胸が晴れたわ」


ゼノはそう言って笑った。


「お疲れ様です、ゼノ」


今回もリディアは衛生兵と共にいたが、今回の戦も怪我人はいなかった。

国境を取られたとはいえ、戦力は丸々残っている。


「ありがとう、リディア。今日はエルバーン伯爵の領地で、屋根のあるところで眠れるだろう」


夜通し歩いていたので、リディアには疲れの色が見えた。

それを気づかうゼノの言葉に、リディアは微笑を返した。


***


「グリモー侯爵様、領地の者が……」


「うん、何事だ?」


グラウベルト王への謁見で褒美を約束してもらったグリモー・ハルデン侯爵は上機嫌だった。


「我が領地にゼノ率いる国境騎士団が攻撃を仕掛け、物資を奪われた挙句館を燃やされたそうです」


「何!?」


一目散に逃げたものとばかり思っていたが、このような意趣返しをしてくるとは。


「姑息な真似をっ!」


グリモー・ハルデン侯爵は、さっきまでの上機嫌をかなぐり捨てて吐き捨てた。

だが、ゼノがそれを聞いていたらこう言っただろう。


「裏切りの方がよっぽど姑息だ」と。


こうして国境攻防戦は幕を閉じた。

とは言ってもほとんど戦いらしい戦いはなく、双方に犠牲もほとんど出ていない。

ただ国境線が後退した現状は早く復元しなくてはいけない。

焼け跡に背を向け、ゼノは夜明けの空を見上げた。

炎は消えても、闘志の火だけは消えぬまま――彼はエルバーン伯爵領へと歩を進めた。

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