第39話「影の砦」

朝の霧が山間を包む中、ガロとヴォルドは北東の砦へ向かって歩みを進めていた。

二人の足取りは慎重だ。森を抜け、峠を越え、誰にも気づかれぬよう小道を選ぶ。

「この道で間違いないよな」


ガロが低くつぶやく。


「おう。峠を越えれば見えるはずだ」


ヴォルドは木の枝を払い、視界を確かめながら答えた。


リディアは村に残っていた。

体を鍛えることを意識しているとはいえ、まだまだガロとヴォルドについて行くには足手まといだ。

暖かい日差しが差し込む家の縁側に座り、二人の無事を祈る。

心は落ち着かない。ゼノのことが気にかかる。兵糧は足りているのだろうか。敵の影は近づいていないか。


「どうか、ご無事で……」手を胸に当てて瞳を閉じる。


峠を越えると、山の北側に小高い丘が見えた。

その上には、粗末だがしっかりした砦の輪郭が浮かんでいる。

木造の見張り台、土塁、旗こそ掲げられていないが、警戒の厳重さは明らかだ。


「あれが話に聞いた砦か」


ガロが声を潜める。


「こんな場所に砦を築く意味が分からん。領内の砦を秘密にする必要もないだろうに。俺たちの討伐のために砦を築くのも、経費と効果の割が合うとは思えねえ」


ヴォルドは眉をひそめる。


「つまり、知られてはいけない砦ということだ。そこにヴァルハルゼン訛りの者がいる」


ガロの目が光った。


「どう考えてもヴァルハルゼン絡みだろうな。国境を混乱させる意図があるのか…」


「それほど規模は大きくないが、腹背から攻めれば混乱はさせられる。それに、王都への道を封鎖することもできる」


「だがここに込められる兵数を考えると、この辺りの領主の私兵で蹴散らせるのではないか?」


「そこだ。この辺りの領主が調略されていたとしたら……」


ガロは、グラウベルトの謀略が想像以上に進んでいるのかもしれない、と思った。


「そいつらの兵まで国境に背後から攻め入ったら大ごとだぞ!」


ヴォルドは、思わず大きな声を出しそうになって口に手を当てる。

二人は距離を保ちつつ、砦の警戒や兵の人数、出入りの様子を確認する。

内部に深入りするのは危険と判断し、観察に徹した。


「なるほど、なるほど…かなり警戒が厳しいな」


ヴォルドが息を吐く。


「北の国境に送られた兵糧が何者かに売られてしまった可能性がある。その兵糧もここに蓄えられているのかもしれん」


この砦の存在を明かして王都の連中に調べさせたいが、おそらくこの土地の領主は調略されていて、調査に同意しないだろうとガロは思った。

と、その時、砦の兵がこちらに向かって矢を構えているのが見えた。


「何者だ!」


という声と共に矢が飛んでくる。すでにこちらに向かって走り出している者もいる。


「嬢ちゃんを連れてこなくて正解だったぜ」


そう言いながらガロとヴォルドは偵察を終えて逃げ出した。



山賊の拠点ではリディアが待機していた。

夕暮れが迫り、長い影が縁側に伸びる。

耳を澄ませば、遠くの山から鳥の声と風のざわめきが聞こえる。

彼女の心は落ち着かない。


「ヴァルハルゼン王グラウベルト、何を企んでいるんだろう」


胸の奥で小さな緊張が走る。

リディアは手を組み、じっと夕暮れの空を見上げた。

戦いや争いを好むわけではない。

だが、戦わなければ大事な物を失ってしまうかもしれない。

「ゼノを守りたい」とリディアは思った。



日が傾きかけたころ、ガロとヴォルドが戻ってきた。

二人の顔には疲労の色があるが、眼差しは引き締まっていた。


「嬢ちゃん、大体想定通りだ」


ガロが報告する。


「北東の丘の上、山間の小高い場所に砦がある。兵の数は少ないが、警戒は厳重」


ヴォルドも続ける。


「とはいえ、領主が自分の領内に築かれた砦に気づかないとは思えませんね」


その砦が築かれた土地の領主はグリモー・ハルデン侯爵。

目端が利くので王都での発言力は大きかった。

リディアが王子の婚約者だった頃、グリモーの助言で助かったこともあったのだ。


「グリモー侯爵が、裏切っているかもしれない……?」


リディアは深く息をつく。胸の奥がざわつく。


「…グラウベルト、まさかそこまで」


彼女の手は自然と胸に触れる。ゼノや国境の兵たちを思い浮かべると、心が痛む。

ガロは言葉を続ける。


「この砦の存在と裏切りの可能性を王都に伝えたいところですが……」


「マクレイン様は追放されし者。没落貴族のガロは王都に籍がなく、俺は山賊」


ヴォルドが自嘲気味に言うと、リディアも


「私の父も娘を追放されたことで発言力はありません。そのうえ、砦がある土地の領主のグリモー・ハルデン侯爵はおそらく今も王都でかなりの力を持っているはず。王都を動かすことは難しいと思います」


と眉間にしわを寄せる。


「国境が攻められないと王都に危機感を持たせることは難しいな」


「だが国境を落とされると裏切った領主の手引きでかなり深くまで攻め入られるぞ」


沈黙の中、焚火の残り火がパチリと弾け、三人を温かく照らす。


「つまり、不利な状況でも何とかして国境で敵を食い止め、その間に王都の腰を上げさせるというのが基本戦略ですね」


覚悟を決めたリディアの言葉に、ガロとヴォルドは頷いた。

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