第29話「境界の邂逅」

朝霧の立ちこめる山道を、リディアとガロは歩いていた。ゼノはともかく、騎士団員の同行すらもガロが強硬に断ったため、2人きりでの道行きとなった。

険しい斜面とぬかるんだ地面に、リディアの息はすぐに上がる。

それでも彼女は一歩ずつ、確かな足取りで進んでいた。ルナは包みにくるまれ、ガロの背に抱かれている。


「休むか?」


「いいえ、大丈夫です」


リディアは額の汗を拭い、小さく息を整える。

鍛えなければ、と何度も自分に言い聞かせていた。


その時、かすかに聞こえるうめき声が、風の合間に紛れ込んできた。

ガロがすぐに足を止め、耳を澄ます。もう一度、はっきりとしたうめきが聞こえた。


「この先だ」


茂みをかき分けると、岩場の陰に倒れている少年がいた。

足をひどくくじいており、顔は泥だらけだった。


「しっかりして、大丈夫?」


リディアはすぐに駆け寄って水を与え、応急処置を始める。


「こういう嬢ちゃんだ、俺がいなくてもうまくいったかもしれんな」


その姿を見守りながら、ガロは微笑んだ。


「ありがとう……」


応急処置を施し、少年が落ち着いたところで、彼は自分の名をユルクと名乗った。


「坊主、どこに住んでるんだ」


ガロが尋ねると、少年は道を指さしながら詳しく答えた。


「そこは……盗賊の隠れ家だな」


リディアが一瞬驚くが、ガロは当然のように歩き出した。


岩壁の裂け目を抜けた先、小さな谷に隠されたような拠点があった。そこには粗末な建物と、数人の男たちの姿。


「おい、ユルク!? てめえ、どこに行ってた!」


怒鳴り声とともに現れた大柄な男が、ユルクを抱きしめる。

そこにガロが声をかける。


「ヴォルド、久しぶりだな」


「ガロ!?まだ生きてやがったのか!」


盗賊と笑顔で言葉を交わすガロに、リディアは目を見張った。


「こいつはヴォルド、昔世話になったんだ」


「こいつ、貴族様なんだぜ。なのに盗賊と仲良くするなんてな。誰かに見られたら大騒ぎだぞ?」


ヴォルドがふざけて言う。


「貴族なのは祖父までだ、俺は貴族じゃねえよ。そんでこの嬢ちゃんが本物の貴族様だ。マクレイン家のご令嬢だぜ」


「……え?」


さっきまで威勢の良かったヴォルドが黙り込む。そして「お前、ふざけんじゃねえぞ」と小声でガロに抗議する。


「でもこの子を助けたのはこの嬢ちゃんだぞ。貴族だからって礼も言わないつもりか?」


「お前、本物の貴族様に嬢ちゃんって……」


「嬢ちゃん、こいつは昔俺を助けてくれたんだ。まあ、命の恩人って奴だな。」


そして小声で付け足す。


「さすがに盗賊と知り合いだとは騎士団長には言えんし、騎士団員をここに連れてくるわけにもいかないからな」


騎士団は本来、盗賊を討伐しなくてはいけない立場である。ガロが強硬に団員の動向を断ったのはこのためだ。つまりガロは最初からここに来るつもりだったんだろう。

リディアは微笑んで、ヴォルドの方に向き直る。


「初めまして。私はリディア・グレイス・マクレインと申します。ガロ様にはいろいろとお世話になっていますから、その恩人のあなたに出会うことができてとても嬉しく思いますわ」


「い、いや、俺はただの盗賊で貴族様に丁寧にあいさつされるような身分では……」


「何かしこまってるんだ、盗賊だってことはバレてるんだから、今さら取り繕ったって仕方ねえだろ」


「お前、なんだって貴族様をここに連れてきたんだ。討伐させるつもりか」


「この子が怪我してたから連れてきてやったんだろうが、それとも放っておけばよかったのか?」


「いや、こいつは俺の孫だ。助けてくれて感謝する」


「だから、助けたのは嬢ちゃんだって」


ヴォルドが気まずそうにリディアの方を見る。


「いえ、たまたま通りかかっただけです。それに、見つけたのはガロ様ですわ」


ユルクはすでに他の盗賊たちに囲まれて、無事を喜ばれていた。ヴォルドはしばらくその様子を眺めていたが、ふいにリディアへと目を向ける。


「マクレイン様。礼と言っちゃ何だが、飯でも食っていってくれませんか。大したもんは出せねえが、腹は膨れますぜ」


「ありがとうございます。でも、マクレイン様は堅苦しいですわ。 ガロ様と同じように“嬢ちゃん”で結構です」


「……こんな貴族様もいやがられるんですねえ」


「おられる、だ。敬語がぐちゃぐちゃだぞ」


ガロが茶化す。リディアは笑顔でヴォルドの目を見つめた。怯まず、媚びず、柔らかい光を宿したその瞳に、ヴォルドはほんの少しだけ肩の力を抜いた。


しばらくして焚き火が用意され、焼いた肉と粗末なスープが振る舞われた。盗賊たちの中には、遠巻きにリディアを眺めている者もいる。


「貴族様に食わせるようなもんじゃねえだろう」と渋る者もいたが、リディアは臆することなくスープを口に運び、穏やかにこう言った。


「おいしいです。少なくとも、王都の晩餐よりずっと心が温かくなります」


その言葉に、場の空気がふっと和らいだ。


「嬢ちゃん、本気で言ってるのか?」とガロが笑いながら言う。


「はい。貴族の食事は豪華ですが、たいていは誰が誰に見栄を張るかの戦場みたいなものですから。もちろん家族との食事は違いますが」


その言葉に、ヴォルドがポツリと漏らす。


「俺たちのことを同じ人間として見てくれる貴族もいるんだな」


「恥ずかしながら私も昔はヴォルド様のおっしゃるような貴族の一員でした。ですが王都を追放され、ミルファーレ村で暮らすようになって人間らしい心を手に入れたのです。」


その率直な言葉に、ヴォルドはすっかりリディアを気に入ってしまった。

その夜、彼らは谷の隠れ家で一夜を明かしたが、ヴォルドはずっとリディアから離れなかった。


翌朝もリディアたちを何度も引き止めたが、ルナを早く治したいと言うと「仕方ない」と諦めた。そして、とても残念そうな顔をしながら屈強な盗賊たちを呼び寄せると、リディアに言った。


「こいつらを連れて行ってくだせえ。修道院までの道は険しいし、何があるか分かりません。……まあ盗賊は出ないでしょうが」


「ありがとうございます。でも本当に、いいんですか?」


「ユルクの命を救ってくれたんだ。それに……お嬢様がどこかで笑って生きてくれたら、それだけでちったぁ世界がマシになる気がするんです」


昨日からヴォルドはどうしてもガロのように「嬢ちゃん」と呼べず、「お嬢様」と「あなたはメイドですか」と言いたくなるような呼び方を続けている。

それを微笑ましく思いながら、リディアは静かに頭を下げた。


そして一行は、修道院へ向けて再び山道を歩き出す。

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