NL81

吉田タツヤ

1:伝言

第1話

 午後からの現代史の授業は多くの者にとって苦痛でしかないだろう。


 ましてや昔を懐かしむ初老の教師の工夫のない平坦な授業は、眠りへ誘う魔術でしかなかった。かろうじて起きている生徒もすでにこの暑さで集中力などなく、下敷きをせわしなくパタパタさせて、わずかな風でシャツを膨らませている。


 地球温暖化が叫ばれたかつては、どこの学校にもエアコンがついていたというが、それこそ今、現代史で取り上げている時代に突入してから、特別な事情のある学校にしかつかなくなった。公立の工業高校など順番待ちの最後列だろう。


 あまりにも机に伏せてしまう生徒が増えたので、教師が一度話を中断して、顔をあげるように促す。声をかけられて顔が上がるのは約半分、残りの半分の内のさらに半分が友達に揺すられたり、声掛けをされて顔をあげる。


 最後まで顔が上がらないのは数人だ。豊原とよはらリンは無駄に終わるだろうと思いながらも、一応隣の原瑞樹はらみずきを揺すってみる。だらしなく机に伏せる瑞樹は一向に起きる気配はない。リンは最低限の責務は果たしたと自分に言い聞かせ、すやすやと眠る瑞樹の横顔から目を逸らせた。


 初老の教師は額に汗を光らせながら、授業の続きを始めている。授業はちょうど西暦が終わるあたりの話だ。


『2023年 第一次スマホ戦争』と教師が黒板に大きく書いた。いくら実習中心の工業高校の生徒と言えど、さすがにそれは知っている。小学校の歴史でも出てくる有名な出来事だ。


 驚異的な速度で進歩するAIやネットワークは想定していたより早く人々から仕事を奪っていった。生産性が上がり、人々は自由を手に入れられるどころか、少しずつその生活を追 われていった。


 スマホに搭載された人工知能も格段に進歩し、人々はAIを使っているのか、それとも使われているのかわからなくなった。


 仕事を追われた人々の不満はついに膨れ上がり、それは各地での蜂起という形で爆発した。その動きは世界中に広がり、国連はついに新たなAIやネットワークの技術の開発中止を提言し、段階的にスマホの利用を停止していくことを宣言した。


 これまで何度同じ話を聞いただろう? リンはあくびを噛み殺した。それでも横の瑞樹とは違い、割り切って睡眠時間にあてられるような性格ではなかった。


 第一次と第二次スマホ戦争後の混沌期が終わってすぐに生まれた世代だからだろうか? この世代のものはすぐスマホ戦争の話をしたがる。


 ……何にも知らないくせに


 リンは思わず悪態をついてやりたくなった。


 そんなリンの気持ちも知らずに教師の話は第二次スマホ戦争の内容に進んでいく。


 第一次スマホ戦争終結から七年経った西暦2030年、日本、アメリカを含む六か国が国連の協定を破り、密かにビッグデータにより、AI技術の進歩を計っていたことが判明。それをきっかけに互いの情報を狙っての電脳世界での戦争へと発展する。


 その中で暴走したAIがインターネットを占拠、核兵器のスイッチすらも機械の手におちるという人類史上未曾有の危機に落ちった。


 そんな混とんとした状況を救ったのがジョージ・サトウ博士の開発したANS(アンチネットワークシステム)だ。ネットワークを妨害する特殊な電波を増幅させる方法を見つけたことにより、地球上のすべてのインターネットを分断し、AIの支配から逃れることができた。


 その後、世界はインターネットやAIからの解放を目指し、あれだけ普及率の高かったスマホも人類の歴史から破棄された。科学からの脱却を目指した世界は徐々に技術を退行させていき、そこから約三十年かけて西暦でいうところの1980年代の技術水準に落ち着いた。


 教師の長い話は第二次スマホ戦争があった2030年で西暦が終わり、そこから新しい道を選んだ人類は西暦2030年をNL(ネオライフ)元年と呼んだというくだりで終わった。


 授業が終わるころには十人に近い生徒が机に伏せていたが、リンの隣ですやすやと眠る瑞樹は特別だ。よっぽど疲れているのか現代史の授業が終わって、担任による終礼が始まっても机に伏せたままだ。


 担任による明日の連絡も終わり、号令と共に一斉に皆が動き出す。そのまま下校するものもいれば、部活の準備もするものもいる。その喧騒の中でも瑞樹は一向に起きる気配がない。さすがのリンももう一度、瑞樹の体を揺する。


「原くん、もう学校終わったよ」

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