君の『好き』が重すぎる

トムさんとナナ

第1話:ターゲット(愛しい人)発見!



春。

それは出会いの季節……なんて、そんな生ぬるい言葉じゃ表現できない。

私、如月日和(きさらぎ ひより)にとって、今日は運命の審判が下る「決戦の朝」だった。


昨夜? もちろん眠れるわけがない。

羊を数える代わりに、颯太くんの笑顔を3万回シミュレートして朝を迎えた。

洗面台の鏡の前、私は自身の顔を厳しくチェックする。

クマはコンシーラーで抹殺済み。

肌のツヤは完璧。

髪のキューティクルは天使の輪っかレベルまで育て上げた。

前髪の角度、よし。

口角の上がり具合、よし。


「……よし、行ける。今日の私は最強に可愛い」


自分に暗示をかけて、私は家を飛び出した。

絶対に負けられない戦いが、そこにはあるのだ。


思い出されるのは、去年の悪夢(トラウマ)。

高校1年生のクラス分け。

私たちは別のクラスだっただけじゃない、階数まで離れていた。

休み時間のたびに彼に会いに行くには、階段を往復ダッシュする必要があった。

私のふくらはぎが鍛えられたのはそのせいだけど、そんな筋肉よりも、私は彼との「共有時間」が欲しかったのだ。


だからこそ、2年生の今こそは。

神様、仏様、校長先生。

どうか私に慈悲を!


***


昇降口に張り出された新しいクラス分けの名簿。

人だかりを優雅に、かつ強引にすり抜けて、私はその紙を睨みつける。

視線を超高速スキャン。

探す名前はただ一つ。


「…………な、い?」


一瞬、思考が真っ白になる。

『2年B組』の名簿の端から端まで見ても、あの愛しい名前が見当たらない。


(嘘……うそでしょ……?)


指先が震えだす。

心臓が嫌な音を立てて早鐘を打つ。

最悪の想像が脳裏をよぎる。

また別のクラス? いや、まさか留年? 転校? もしそうなら、私の高校生活は今日ここで終了し、ただの「無」になってしまう。


血の気が引いていくのを感じながら、もう一度、祈るように視線を這わせる。

27番……29番……あれ?


「……あ」


『2年B組 28番 鳴海 颯太』


あった。

私の指で隠れていただけだった。


その文字を確認した瞬間、止まっていた血液が沸騰したように駆け巡る。

そして、その数行隣に輝く『如月 日和』の文字。


「……っっったああああぁぁぁっ!! あったぁぁぁーーっ!!」


絶望の淵からの急浮上。

心の中で、いや、実際ちょっと小声で叫びながらガッツポーズ!

中学時代から彼と同じ高校に行くために偏差値を15上げた努力が、今ここで結実したのだ。


同じクラス。

それはつまり、朝のHRから帰りのHRまで、颯太くんと同じ空気を吸えるという合法的な権利!


「颯太くんっ! 今行くよぉぉぉっ!!」


名簿の前から離脱。

ターゲット、2年B組教室。

私はローファーの靴底を鳴らして、廊下を蹴った。


ダダダダダダッ!


視界の端で、掲示板や下駄箱が流れる線のように後ろへ飛び去っていく。

窓から差し込む朝日が、柱に遮られてストロボのようにチカチカと明滅する。


「こらっ! 廊下は走るなと……!」


生活指導の先生が笛を咥えようとした瞬間には、私はもうその横を疾風のごとく通過していた。

ごめんなさい先生、笛を吹く肺活量があるなら、それを私の祝福のラッパに使ってください!


「うわっ!? あぶねっ!」


進路上の1年生が、恐怖に顔を引きつらせて壁に張り付く。

ごめんね後輩、君たちの若さあふれる反射神経に感謝!


「……おい見ろよ、また『災害』が来たぞ」

「如月さんだ……朝から絶好調だな……」


すれ違う男子生徒の呟きが聞こえた気がしたけれど、風の音にかき消される。

災害? 失礼な。

これは愛の暴走機関車です。

今の私の身体能力は、オリンピック選手だって置き去りにできる自信がある。

だって、ゴール地点に「颯太くん」がいるんだもの。

疲労? 何それ? 颯太くんへの想いが私のガソリンでありニトロエンジン!


階段を二段飛ばしで駆け上がり、2階の廊下をドリフト気味にカーブ。

見えた。2年B組のプレート。


あと数メートル。

そこで私は、急ブレーキをかけて立ち止まる。


キュッ。


ドアノブに手をかけ、一瞬だけ動きを止める。

ドクン、ドクン、と心臓がうるさい。


(もし、颯太くんが私を見て嫌な顔をしたら?)

(もし、まだ教室にいなかったら?)


「ここで失敗したら高校生活が終わる」


そんな一瞬の恐怖が、私の足をすくませようとする。

……ううん、違う。


颯太くんはそんな人じゃない。

それに、私が彼を愛する気持ちは、そんな不安ごときでブレーキがかかるような柔なものじゃない!


「よしっ!」


私はすべての迷いを振り切り、ドアを勢いよく開け放った。


バーーーンッ!!


「おはよおおおおぉぉぉっ!!」


教室内の空気が凍り付く。

談笑していた新しいクラスメイトたちが、一斉にビクッとしてこちらを見る。

ポカンと口を開ける女子。

「うわあ……」と引き気味に身を引く男子。

担任らしき先生がチョークを落とす音。


ごめんね、今の私にとって、あなたたちは全員「背景(モブ)」です。

驚かせて悪いけど、私の目には今、たった一人の人間しか映っていない。


私の高性能「颯太くんセンサー」が、教室のノイズをすべて遮断し、たった一点にフォーカスする。

窓際、後ろから二番目の席。

頬杖をついて、ちょっと眠そうに窓の外を見ている彼。


朝日に照らされた茶色がかった髪。

気だるげな視線。

少し猫背な背中。


(ああ、尊い……! 生きててよかった……!)


世界がキラキラと輝き出し、彼以外の彩度が落ちていく。

彼がそこにいるだけで、この教室はルーヴル美術館よりも価値がある聖域になる。


「颯太くぅぅぅぅぅんっ!!」


「……は?」


私の声に反応して、彼――鳴海颯太がこちらを向く。

その目が大きく見開かれた。


私は止まらない。

さっきの一瞬の躊躇は、この爆発力を生むための助走だったのだ。


「みーつけたっ!!」


ドスドスドスッ! と床を踏み抜き、彼との距離をゼロにする。

机を回り込み、カバンを放り出し、そのままダイビング!


「うわっ、ちょ、おま……っ!?」


ドスンッ!!


「むぎゅぅぅ~っ♡」


「ぐえっ……!」


タックルに近い抱擁。

勢い余って椅子ごと後ろに倒れそうになるのを、颯太くんはギリギリで踏ん張って受け止めてくれた。

やっぱり優しい! さすが私の王子様!


彼の胸に顔を埋め、思い切り深呼吸する。


スーッ、ハァーッ……。


(……んんっ……♡)


制服越しに伝わる確かな体温。

ちょっと汗の匂いと、彼が使っている洗剤――たしか『森林の香り』の爽やかな匂いが混じり合って、私の脳髄を直撃する。

周りのクラスメイトたちが「うわ、いきなり抱きついた」「あれが噂の……」とざわついている気配がするけれど、そんなのは遠い国の出来事だ。

今の私は、彼の腕の中という「絶対安全圏」にいる。


一週間ぶりの颯太くん成分。

欠乏していた私の細胞一つ一つが、歓喜の声を上げて生き返っていくのがわかる。

幸せすぎて、もうこのまま化石になってもいい。


「……あのさあ、日和」


頭上から、呆れたような、でも拒絶はしていない彼の声が降ってくる。


「ん~? なあに、颯太くん?」


腕の中でスリスリと頬擦りをしながら、私は上目遣いで彼を見上げる。

至近距離で見る彼は、やっぱり銀河一かっこいい。

少し引きつった顔さえも、国宝級の愛らしさだ。


彼はため息交じりに、私の頭をポンと叩いて言った。


「朝っぱらから突撃すんな。……つーか、重い」


物理的な指摘。

でも、そんな言葉すら、私にとっては最上級の愛の言葉(ラブコール)に変換される。


私は満面の笑みで、彼にしがみついたまま答えた。


「えへへっ! それはね、私の颯太くんへの『愛の重さ』だよっ!」


私の高校2年生、最高のスタートダッシュ!

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