記憶1



河野あかり。



本日警察を訪れた弓戸彰巳の交際相手。

医薬品会社に勤めるOL。

美容やファッションには気を遣う女性で、美容室アクアムーンには月2回、2週に1回のペースで通っている。

最近、同じ総務部の女性社員と親しくなり、美容やファッションについてアドバイスをしていたようだ。



頭の回転が速く、仕事の方も要領よくテキパキとこなすと職場での評価は高い。

ただし、上司や同僚の証言では、繊細な一面も持ち合わせていたようだ。

特に、海外に行った後なかなか連絡をよこさない弓戸彰巳にヤキモキしていたと数名が証言している。



2週間ほど前に、海外にいた弓戸彰巳と電話越しに口論になっている。

職場は無断欠勤していたが、欠勤前から体調不良のようだったので、弓戸彰巳が職場に問い合わせるまで、まさか行方不明になっているとは思わなかったらしい。



「そいつ! その女が晴臣を殺した! 晴臣を殺して、都合が悪くなったから逃げたんだ、絶対!」

「あかりが人殺しなんてするわけないだろうが!」

「君と喧嘩したから自暴自棄になったとか? どうでもいいけど喧嘩に無関係の他人を巻き込むなよ! 晴臣を返せ!」

「普通に考えて、女1人で成人男性を殺せるかよ!?」

「じゃあ君もグル? 海外出張は嘘で……」

「俺がグルなら警察に足を運ぶか馬鹿!」



美容室アクアムーン。

壱弥には、この名前は嫌という程聞き覚えがあった。

壱弥は口論する彰巳と結丹を置いて席を立った。

部屋を出て、スマートフォンをタップする。



何度目かのコール音の後。



「何やの壱弥くん。今取り込み中なんやけど……」



訛りのある気の抜けた声がした。

昔馴染みの友人であり、怪異ドグラマグラの研究者である宝条燎悟だ。



「燎悟、お前、颯志に迷惑かけてないか?」

「この僕が迷惑なんてかけてるわけないやん」

「……絶対に迷惑かけてるな」



燎悟は根っからの研究者気質というか、空気が読めない部分がある。

壱弥は溜息を吐いた。



「《ドグラマグラ》とは別件で、美容室アクアムーンの店長の柚希颯志氏に聞きたいことがある。変わってもらえるか?」

「あー、はいはい。美容室の店長さんにね。店長さん、警察から電話やで。何かやらかしたん?」



電話の向こうから「現在進行形で営業妨害してるのは君でしょ!?」と叫ぶ男の声がする。

これは絶対に燎悟が迷惑をかけている。



「はい、アクアムーン店長の柚希です」



少し不機嫌そうな、でも元気そうな颯志の声が聞こえた。



「……すまんな、そいつが迷惑をかけて」



思わず謝罪すると、颯志が息を飲んだ。



「柚希さん?」

「い、壱兄ぃ……?」



荒い息と共にそんな声が聞こえた。



「……颯志」



姓ではなく、名前で呼びかける。



「壱兄ぃ?えっと……花をくれた……」



壱弥はしばし悩み……肯定することにした。



「あぁ。久しぶりだな、颯志」




《胎児》を抱える者は、家庭環境が劣悪な者が多い。

だが、壱弥は例外だった。

警察官の父親と図書館司書の母親の一人息子として、大切に、そして愛されて育った。



壱弥が《胎児》を抱える原因となった事件。

それは行き過ぎたいじめだった。



同級生の少年たちから集団で暴行を受け、既に虫の息である壱弥を使って、彼らは葬式ごっこを始めた。

無知で残酷な少年たちは、壱弥が本当に瀕死の重体であると気づかなかったのだ。



生死の境を彷徨う壱弥に無理矢理白い花束を抱えさせ、はしゃぎ、歌を歌い、楽しんだ。



その時、空間が歪んだ。



飛び降りた会社員。

暴行された後首を絞められた女性。

真冬に自宅から閉め出され、凍死した女の子。

酒瓶で殴られ、頭蓋骨が陥没した男の子。



付近で過去に理不尽な死に方をした幽霊……あるいは残留思念が集まり、葬式ごっこを楽しむ少年たちを喰らった。

少年たちの楽しそうな声は、たちまち阿鼻叫喚へと変わった。

そんな少年たちの末路を、“もう1人の壱弥”が眺めていた。



やがて少年たちの姿が完全に消えると、“もう1人の壱弥”は現れた幽霊……あるいは残留思念を“トモダチ”と呼び、感謝を伝えた。

彼らも思い思いに“もう1人の壱弥”に笑顔を向け、頭を撫で、立ち去ってゆく。


 

再び空間が歪もうとする刹那、“もう1人の壱弥”は倒れている壱弥に囁いた。

「もう1人の壱弥くん、君は絶対に僕が守るよ」



その言葉通り、“もう1人の壱弥”は壱弥の傍を片時も離れない。

今でこそ慣れたが、当時は恐怖でしかなかった。

こちらも殺されかけたとはいえ、“もう1人の壱弥”は同級生たちを皆殺しにしたのだ。



警察内部では、こういった怪異に対応する部署がある。

最も《胎児》を抱えた者の寿命は短く、暁市で怪異を担当するのは壱弥1人だ。

壱弥の父親はそのツテを使い、顕在化した胎児の制御訓練の為に燎悟の父親の研究所に壱弥を預けた。

その時壱弥が出会ったのが、颯志だった。


 

 

 

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