第8話 知らない夜

 日曜日。

 昼間に尚哉と夏海は会う約束をしていた。

 尚哉は夏海に電話する。

 

「おはよう。……もうこんにちは、かな?」

「ふふ。どちらでもいいわよ。おはよう」

「今日はどうする? どこか行きたいところはある?」

「尚哉の家がいい」

「……わかった。何か美味しいもの買ってくるよ」


 尚哉がテイクアウトしたお店は混んでいたため、かなり時間がかかった。

 家に戻ると玄関の前に夏海が立っていた。

「夏海……ごめん。混んでて遅くなった」

「そうなんだ。そんなに待ってないよ」

 夏海は笑った。

 尚哉は鍵を開けながら言う。

「買ってくるんじゃなくて食べに行けばよかったのか」

「いいの、家でゆっくりしたい」

 尚哉は夏海の背中を支えて家に入れた。


 コートを脱いで、荷物を置いた。


 尚哉がテーブルの上に料理を並べた。

「わあ、美味しそう」

 

 テイクアウト用のボックスに詰め込まれているのは、「淡路島産タマネギのポタージュスープ」、「真鯛とキノコのパイ包み焼き(又は牛ホホ肉の赤ワイン煮込み)」、「ポテトのグラタン」、「バケット」。

 

「ちょうどいい高さのテーブルがなくてごめんね」

 二人はガラステーブルの上に料理を並べて、ソファーに並んで座っている。

 

「どれから食べようかな」

 夏海はペーパータオルで手を拭いた。


「スープ飲も」

「僕も」


「そういえば、胃の調子はどう? 良くなった?」

 夏海が心配してくれた。

 

「良くなったり悪くなったりかな? 夏海の顔を見ると治る」

「ならずっと来ようか?」

 夏海は笑った。


「あのフルート、すごく感動した。またいつか聞かせて」

「はいひんあんまひふいへなはったはら」

 夏海はでかいお肉を頬張ったようだ。

「なんだって?」

 尚哉は笑って聞き返す。


 もぐもぐが終わった後、夏海は息をついた。

「最近吹いてなかったから、出来はいまいちだったけど、って言いたかったの」

「ゆっくり食べていいよ」

 ふふ、と夏海は笑った。


「尚哉、これ美味しいから食べてみて。はい、アーン」

 夏海が尚哉に食べさせる。

「本当だ。美味しいね。コクがあって深い味」

「ね」


「……夏海」

「ん? なーに?」

「以前、親の話を少ししたと思うけど……きちんと伝えときたくて」


「僕の名前、中国名は李偉(リー・ウェイ)っていうんだ」

「李偉?」

「発音いいね。中国語できるの?」

「パパがね、英語と中国語は話せるようにしとけっていうから、一時期勉強したのよ」

「そうなんだ。すごいね! ……それで、父の名は李志遠(リー・ジーユエン)ていう。亡くなった母の名は、古川律子」

「国際結婚かー」

「出会ったのは、父が留学生として日本に来た時らしい。でも帰国する時別れたんだって」

「あら……。それでどうやってまた付き合い出したの?」

「お互い離れたけど忘れられなくて、父が日本に母を迎えに行ったらしい。そこで結婚」

「なんか……素敵」

「中国で起業して、僕が生まれた」

 夏海はしばらく黙っていた。

「教えてくれてありがとう」

「いや、知っといてほしかった。僕の家のこと」


 夏海はパンをちぎりながら話した。

「なんか嬉しい……」

「僕も夏海のこともっと知りたい。音大のこととか」

「本当はパパは違う方面に進ませたかったみたいなんだけど、私理数系がイマイチで……」

「音楽だけは続けられたの」

 夏海は尚哉の目を見た。


「夏海がオーケストラに入ったとか、華々しい話も聞きたい」

「オーケストラといっても、専属じゃなくって、欠員が出て手伝いみたいな感じよ」

「それでもすごいと思う」

 尚哉は感心したように言った。

「あの時はたくさん練習したなあ……」

「どんな感じで?」

 夏海はフルートを吹く真似をする。


 尚哉は、夏海の後ろから夏海の両肘を撫でた。

「くすぐったい」

 尚哉は後ろから夏海にキスをした。


 ◇


 田端家。

 夕方から親戚が訪ねてくるので、家政婦の市川雅代は忙しく働いていた。

 

 リビングには、真一郎、真理子、秘書の鳴川がいた。

 真一郎は、真理子に話しかけるように口を開いた。

 

「夏海が本気で古川君に対して思っているようなので、身辺調査をすることにしたよ」

「あなた、どこか気になるところあったの?」

「あの子の胃痛と涙になんか引っかかった。そんな胃痛になるほどの部署でもない、泣くほど感動させるような演奏でもなかったし……」

「確かにね。はっきりさせといた方がいい時もあるわ」

「鳴川」

「はい。社長」

「フットワーク軽そうな探偵探しといてくれないか。見つけたら会社に呼んでくれ」

「承知いたしました」

 そういうと、鳴川は部屋を出て行った。


 ◇


 月曜日。

 尚哉は村田守に声をかけられた。

「どうした? ぼーっとして」

「最近寝不足で……」


 村田は、所属部署こそ違うが、尚哉が任務に着いた時から色々わからないところを教えてくれる先輩技術者だ。

 

「仕事しすぎじゃないのか? ……でも残業はしてないよな」

「そういうんではないです」

「お前……あれだろ?」

 そう言った後、村田は尚哉の耳元で囁いた。

「女か?」

 

「ちがっ……違いますよ!」

「ふふん」

 村田は含み笑いした後、缶コーヒーを尚哉に渡した。

「まあ、これでも飲んで頑張って」

 尚哉の肩を叩く。

「あ、ありがとうございます」

 (あの先輩はなんでもお見通しだな……)


 尚哉は長いため息をつくとラボに向かった。


 ◇


 定時後。

 ラボから戻ると、夏海から電話が来ていた。

 

 尚哉は留守電を再生した。

 

『今日は取引先の営業が長引いて、戻るの遅くなりそう。何時になるかわからないから待たなくていいよ。じゃまたね』

 

 (どうしようかな……。意味なく残業してると怪しまれるな……)


 そんなことを考えていると、隣の席の田辺が暗い顔をしてどこからか戻ってきて席についた。

 

 僕は、なんとなく察してすぐ帰ろうとした。

「お先ー」


「おい、古川」

 

 尚哉は平静を装い振り返る。

「なに? 田辺」

「お前、俺のパソコン触んなかった?」


「触るわけないじゃん。なんで?」

「今までセキュリティチームに呼ばれてだんだけど、誰かが俺のパソコン経由でラボのデータを抜いたらしいんだが、身に覚えがない」


「んー……他の人にパスワードとか教えなかった?」

「教えてない」

 田辺はイライラしている様子だった。


「じゃあ、ダウンロードしたアプリがマルウェアだったとかは?」

「規定外はダウンロードしてない」


 田辺は立ち上がると、尚哉にこう言った。

 

「はっきりいうと、俺はお前を怪しんでる。根拠は、お前の実験に絡んだデータだったからだ……」


「困るよ……俺はなんもしてない」

 尚哉は真剣な顔をして、田辺を見た。


「……悪い。忘れてくれ」

 田辺は席に座り、頭を抱えていた。


 尚哉は何もいえず、その場を後にした。


 そのやりとりを遠くから村田が見ていた。


 ◇ 

 

 帰り道、尚哉は夏海にラインした。

 

『仕事終わったら教えて。夏海の声が聞きたい』

 それから、コンビニに寄って帰った。

 

 帰り道、夏海から電話がかかってきた。

「お疲れさま」

『やっと終わったよー。取引先の都合が合わなくて、遅くなっちゃったよ。尚哉もお疲れさま。今どこ?』

「今家に向かってるところ」

『今から行こっか?』

「夏海は疲れてるだろうから、ゆっくり休んで」

 

『会いたいなー』

 

「今日は月曜日だし、やめておこう。声聞いてるだけでも僕は嬉しい。これから帰るところ?」

『うん。ちょっと疲れてるから、ショーファーに電話して迎えに来てもらおうかと』

「やっぱり疲れてるんじゃん」

 尚哉は笑った。

『電話するから一旦切るね。家に着いたらまた電話する』

「いや、ゆっくり休んで欲しいから今日はここまでで。お疲れさま。いい夢見てね。おやすみ」

『お疲れさま。おやすみ』

 

 尚哉はポケットにスマホをしまうと、自分のマンションの暗証番号を入力して家に入る。

 着替える前にワインを注いでがぶ飲みした。

 足元の夜景が泣いているように見えた。

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