第4話

「依頼……ですか?貴方が、俺に?」

「君はその若さでゴールドクラスまで上り詰めてきた。だが最近、停滞気味だろう?」


 武礼渡に全て分かっている、とでも言うように一に対して言う。

 図星を突かれ、一は答える事が出来ず、一瞬黙ってしまった。

 一は現28歳という若さでゴールドクラスまで成り上がった。


 しかし、ゴールドクラスとダイアモンドクラスには大きな壁があった。

 九九点と百点が大きく違うように。だが沈黙は肯定だ、武礼渡は「いや、すまない」と言って笑って誤魔化そうとした。


「元々私宛に来たのだが、生憎な事に私は方々から依頼をされていて忙しい。外注という形にはなるが、どうだ?」

「ターゲットは?」

「牧本良治という男を知っているかね?」

「最近話題の正義の政治家ですか。知ってますよ。いきなり現れたのに爽やかな風貌と容姿、そして甘いスローガンで市民の人気は鰻登りのいけ好かない野郎ですね」

「はっはっは!その通り!私の依頼主の話によるとその男は私の依頼主の汚職を発見して近いうちに公表しようとするつもりらしい。それまでに殺す事が出来たら…報酬は二億円との事だ」

「に、二億…ですか!?」


 あまりの金額の大きさに一は目を見開いて身を乗り出す。過去に一の受けた以来の中でも報酬の最高金額は三千万円。スケールのデカさに一は生唾をごくりと飲み込んだ。


「おいおい、こんなところで驚いていたら身が持たないぞ。しかもそれだけじゃない。この依頼を成功させた暁には、君は私と同じ高みへと到達できる」

「それって……」


 武礼渡の言葉に一は身体を震わせる。その姿に武礼渡はニヤリと微笑んだ。


「君の目指していた伝説の殺し屋のみが到達する殺し屋の頂、つまりダイヤモンドクラスに昇格できるかもしれない、ということだ」


 一はその言葉を聞いた瞬間、全身からどっと汗が吹き出し、心臓は鼓動は高鳴りを上げる。夢にまで見たダイヤモンドクラス、それは殺し屋達にとっては伝説の存在であり神話レベルの存在であり、崇め奉る者達もいる。

 この仕事を成功させれば自分は最高の自分になれる。

 一生何不自由ない生活が出来る。

 これ以上無い名誉も得られることが出来る。


 一の答えは一つだった。


「それで、君の返事を聞きた──」

「やります。その依頼、俺が引き受けさせてもらいます」


 一は食い気味に即答し、武礼渡は「その意気だ」と一を鼓舞する。


「それじゃあ詳しい情報はこのファイルに入っている」


 武礼渡はそう言って一に白いファイルを渡した。


「楽しむといい」


 それだけ言って武礼渡は一の元から去って行った。

 一は彼から手渡されたファイルを愛しい恋人のように見つめる。


「それで、俺に何か言う事があるんじゃないか?んん?」


 デイヴィスが何杯飲んだか分からないほど泥酔しており、一の肩を掴んで揺さぶりながら問うた。一はデイヴィスに向き直ると、突然デイヴィスに抱擁を交わした。


「おいおいおいなんだ!どうした!?」

「ありがとう」


 一はデイヴィスに監査の言葉を呟きながら抱きしめた。

 デイヴィスは顔を引きつらせながら引き剥す。


「感謝しろとは思ったがここまでやれとは言ってねぇよ!」

 デイヴィスは一から離れるとコートの襟を正し、気色悪そうに「うぇ」と舌を出しながら威嚇した。


「あぁ、悪い。舞い上がっててついな」


 一は咄嗟にデイヴィスから離れた。

 だが一は武礼渡から依頼を持ちかけられたことに興奮を未だ抑えられなかった。


「おめでとう、フェイスレス。仮にその仕事が成功したら貴方は伝説の仲間入りね」


 リリアンが一に酒が注がれたグラスを寄越した。


「なんだこれは」

「私からの奢りよ。景気づけってやつ」


 グラスに注がれた液体は水のような透明な液体に小さなパラソル、そして唐辛子が入っていた。


「見たことが無い酒だな。名前は?」

「ジョン・アメル。在りし日の伝説の殺し屋、そしてその名前を冠したお酒」

「へぇ、何か逸話があるのか?」

「地道に研鑽を重ねた生真面目な殺し屋はある日代役からチャンスを掴んだの。でも最終的には裏切られて十数人の刺客に銃弾の雨を浴びせられた後に爆弾で刺客ごと派手に爆発したらしいわ」


 それを聞いて一は「おいおい」と苦笑いしながら突っ込む。


「縁起の良い話じゃねぇなそれは」


 一がそう言うとリリアンはクスリと目を細めて笑う。


「まだ続きがあるわ。後日、別の刺客達が遺体を探しに行ったけれど見つからず、ジョンの殺しを命じた依頼主は何者かに毒を盛られて殺されたらしいの。もしジョンが生きていたら九十歳は行っていると思うけど、あくまで噂よ」

「へぇ。そりゃあ興味深い話だな。それで、この酒の名前の由来と俺の今後の仕事にどうかかわりがあるんだ?」

「…貴方の事が心配なのよ。その仕事が成功したらとんでもない躍進を遂げられるけど、難易度も貴方が今まで受けた仕事の比じゃないくらい困難なのよ。失敗したら死ぬか、生きて帰っても恥を晒して生きていくことになる」

「俺がジョン・アメルみたいに伝説を作ると信じてるから俺にこの酒を奢ってくれたんだろ?」


 一はそう言うとグラスを手に取り、一気に飲んだ。


「あのねぇ……」


 リリアンは一に何か言いかけたが、一は彼女の口元に人差し指を当てて「し」と制止させた。


「俺は伝説になるためにこの業界に足を踏み入れたんだ。夢を叶えるまで、俺は絶対に死なない。だから黙って見てな」

「それはいいんだけど、貴方大分武礼渡さんに心酔してるけど大丈夫なの?」

「何がだ?」

「いやあの人、伝説とか言われたりイケメンおじいちゃんみたいな雰囲気出してて俗世から離れてる感じはするけど、ダークウェブに動画上げたり自己啓発本出版してたりしてなんだかうさんくさいのよね」


 リリアンは武礼渡の名前を出して苦言を呈しながら言うと一はそんなことは無いと言って否定し、一冊の本を渡した。


「お前もこれを読めば殺し屋の極意が分かる。早くお前も上がって来いよ、高みへ」


 一は「ごちそうさん」と言った後。バーカウンターから離れて行った。

 眉を顰めに顰めた彼女の心底要らなそうな、レモンを丸ごと齧ったような表情を、一は幸か不幸か見ていなかった。


「フェイスレス」


 デイヴィスが一の名前を読んだ。

 一は「なんだ」と言って振り返る。


 デイヴィスは酒が入っているのにも関わらず、酒が抜けたような真面目な表情で「伝説になってこいよ」と送り出すように言った。


 一は「言われなくても」と言ってクラブ、フランチェスカから出て行った。


 既に住宅街は真っ暗になっており、ほとんどよその家に光は灯っておらず、電柱だけが闇の中を辛うじて照らしていた。


 一は住宅街の中でもかなり大きい一軒家の前に足を止める。


 一の家である。


 彼の家の中は光が灯っており、彼以外にも住んでいる者がいることが分かる。

 自分の家の玄関扉の鍵穴に鍵を差し、ガチャリと横に曲げて扉を開ける。


「ただいま~」


 一は間の抜けた挨拶をする。あくまで仕事で疲れ、力ない社会人であることをアピールするためだ。


「おかえり~」


 一のただいまの言葉にただ一人だけ返事をする人間がいた。


「なんでまだ起きてるんだ?もう寝てなきゃだめだろう」

「お兄ちゃん、私は受験生なんだよ?夜まで勉強するのは当たり前じゃん」


 一の妹、腕間愛海はシャーペンを唇の上に乗せながらそう言った。


「お兄ちゃん今日も遅かったね。お仕事大変なの?」


 愛海は一に帰りが遅くなった理由を聞く。

 殺し屋家業あるあるの一つとして家族や友達に対して言い訳を考えるのはそれなりに一苦労だ。

 だが一は冷や汗一つ出さず、愛海に向き合う。


「実はな、今日俺は上司に大きなプロジェクトを任されたんだ。もし成功したらキャリアアップに繋がるかもしれない。凄いだろう」


 一はあたかも社会人として働いているかのように話した。一が自分の本当の仕事が殺し屋だとバレないようにするために、ある一つの方法を考えついた。家族や友人に嘘と真実を織り交ぜて話すのだ。


 ウソばかりつけば後ろめたさが生まれ、勘の鋭い人間ならば疑いの目を向ける事だろう。

 かといって真実を全て曝け出して話してしまえば拒絶されるか、その相手を消さざるを得なくなる。


 だが嘘と真実、その両方を一緒くたにして話してしまえば、後ろめたさも薄れて、真実味を帯びるようになる。

 おかげで一は今まで裏の仕事を知らない知人友人家族を欺いてこられたのだ。


「へぇ、良かったじゃん。祝杯をあげないとね」

「いや、まだ早いさ。でも、必ず成功させて見せる。俺の夢のためにも、そしてお前のためにもな」

「兄ちゃん……」


 愛海は一に申し訳なさそうな顔をする。

 愛海は現在中学三年生、受験生である。

 彼女が目指しているのは日本の中でもトップクラスの進学校だった。

 塾や予備校に通わせるつもりだったが「家の方が集中できる」との愛海自身の希望で自宅学習をしている。

 一自身は殺しで稼いだ金を愛海の先行投資に使いたかったが、愛海が遠慮し金を使わせようとしないことにもどかしさを感じていた。


「そんな顔をするなよ愛海。お前は頭が良い。お前なら何にだってなれる。女性初の日本の大統領だってな」

「兄ちゃん、日本は大統領じゃなくて首相だよ」

「はぁ?大統領も首相も意味は同じだろ?……違うのか?」

「違うよ。大統領は大統領制、首相は議院内閣制っていう──」

「いや、いい。どうせ俺にゃ理解できない」


 一は本気でそう思っていたため、間違いを指摘されたことにがっかりしたと同時に、愛海が本当に賢いことを実感し、感心していた。


「お互いここが踏ん張り所だ。一緒に頑張ろうな」

 一は愛海に「もう寝ろ」と言ってシャワー室へと向かった。


 仕事を終えた後、そして大物の殺し屋の先輩と会って汗を多量にかいてしまったからだ。


 服を脱ぎ、丸裸になった後、シャワー室に入る。熱い水が一の頭にかかり、そして雫は重力に導かれて下へと落ちていく。


 やっと来た昇格試験も兼ねたダイアモンドクラスへの道、絶対に失敗は出来ない。


 仮にしくじれば次のチャンスが来るかどうか分からない。

 そもそもこないかもしれない。


殺し屋の業界において、信頼関係は表の世界以上に重要視される。


 これまで一は一つの仕事をしくじって業界を干され、実質引退に追い込まれた同業者も見て来た。それ故に失敗は許されない。


「俺はやれる……!俺は天才だ!ここで漢を見せないでいつ見せる!?やれる!俺はやれる!ワオ!ファオ!」


 高揚感と緊張で脳をやられ、シャワー室内で奇声を発している一を尻目に、愛海は顔を引きつらせながら顔を逸らした。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る