流星の魔法使い
冬島アサ
第1話 聖騎士アウレリア・アルマリア、禁忌魔法の使用を許可します。
「本当にご意思は変わりませんか、アウレリア様――?」
山頂に古城――その麓の夜の森。
「今からでも本隊の方に合流されては――?」
マントの男は、亜麻色の髪の騎士の背中に問う。 見事な甲冑が、月明かりで真珠色に輝いた。
「これはとても良い作戦だと思います、スライダー上級騎士」
陽光の輝きが音になったような、涼やかな声が響く。続いて人形のように整った顔が、振り向いた。
「いささか危険を伴うようですが」
まだ十九だという、その年相応の笑顔に、中年男の庇護本能がくすぐられる。史上最年少でパラディンとなった美貌の少女――アウレリア・アルマリア。
「そ、その通りです。危険すぎるのです、この作戦は――」
「危険な任務であればこそ、我と我が盾が加われば、皆も心強く戦えましょう」
確かに少女の背には、伝説のあの盾が装備されている。だがこの作戦は――
「アウレリア様、しかし」
「リアで結構です」
リアとは、広く知られたこの聖騎士の愛称だった。面食らう男にアウレリアは――リアは、山頂の城をにらみつけて続ける。
「そろそろ月が隠れます、スライダー上級騎士。作戦開始の判断は、あなたに任せますが…」
スライダーは奥歯を噛みしめる。確かに彼の背後には、十数人の騎士が咳一つせず号令を待っていた。各騎士の左右には、さらに魔法使いとレンジャーが侍る。三人一組で構成された急襲部隊――機を逸するわけにはいかない。だが――、
「で、ではリア様――、これだけはお聞きしておきたいのですが」
そう前置きし、リアの両脇のおよそ場違いな者二人に視線を送る。
「――この者たちは一体?」
一人はあくび混じりでしゃがみ込み、こちらを見ようともせずダガーを研いでいる。体格は、子供にしか見えない。
銀髪と尖った耳の形からエルフのようだが、肌の色は褐色だった。
「彼女はわたしの友人です。索敵をお願いしています」
「つまりレンジャー役ですな…では、こちらの者は…?」
スライダーの視線が、リアの頭上に移動する。
女性にしてはかなり上背のあるリアを、はるかに超える巨体――
そのうえこの異相――なんだこれは、
…まさかオークの類…?
「あっ、どうもすみません…」
「わあっ」
しゃべった。
たっぷりの脂肪で膨らんだ顔の中央に、小さな眼鏡がめり込んでいる。
丸ガラスの奧で動くつぶらな瞳は、きょろきょろと落ち着きがなく、小動物を思わせる。
「貴公が…魔術師なのだな?」
「いえっ、僕はっ、そんな大それたっ」
巨体が体の前で、両手の手のひらをぶるぶると振った。子供がするような仕草――、肉厚の手のひらから、汗が飛び散る。
「この方は、お引っ越し屋さんです」
リアが助け舟を出した。
「引っ越し屋…? …それは一体?」
リアは巨体の顔にまなざしを向ける。
「ポポムさん…でしたよね?」
「あっ、はい。ポポムです。ポポム・フェルディナッツ」
嬉しそうに答える。
名前を確認したということは、ほとんど初対面ということではないのか? 命がけの作戦にそんな者を?
スライダーの不安を写したかのように、森の闇がいっそう暗くなった。
月が隠れたのだ。
作戦を始めなければ。だがしかし――。
「ご指示を。スライダー上級騎士」
リアの凛とした声が響く。
「本当に…よろしいのですね?」
「もちろんです」
エルフの子供が、ダガーを見事な手さばきで腰に戻し立ち上がる。いいから早くしろ、と言わんばかりに。
ええい、もう知るか――。
「ではリア様、この場での最高位の者として、禁忌解除の許可を」
「了解です」
スライダーは懐から羊皮紙の公式文書を取りだし、声を張り上げた。
「――諸事略式! 我らティサリア金剛騎士団は、作戦実行のため禁忌魔法【空間転移】の使用許可を王と聖女に申請する!」
リアは落ち着いた声で、それに応える。
「僭越なれど我、王と聖女になり代わり、ひととき封印の鎖を解く――
スライダーが、騎士たちを見渡して叫ぶ。
「聞いての通り!」
これでこの場にいる全員が証人となった。
「これより貴公らは、魔物に占拠されしクインザム城へ上空よりの急襲をかける! 武運を祈る!」
その声を合図に、騎士とレンジャーと魔法使いは互いに手を触れる。緊張の面持ちで、聖騎士リアを囲む。
「いこう、リズ」
リアはそう言って、右手でエルフの少女の手をとった。
そして左手は、汗ばむポポムの巨大な手を。
「――あっ、すいませんっ、汗がっ、にちゃにちゃでっ」
騎士たちがじろりと睨む。
リアは微笑む。
「緊張してらっしゃいますか?」
「は、はいっ。いえ、あの…すいませんっ」
「大丈夫です。すべてわたしに任せてください」
にこりと微笑む。
ポポムは赤くなり、その巨体をなるべく小さくしようと努める。
「では学者先生方、頼みます!」
スライダーが声を張りあげ振り返った先には――、十数人の古代魔法研究者らが控えていた。
「詠唱開始―――!」
叫びつつ、スライダーは学者らの方へ全力で走る。複雑極まる音階の、呪文の詠唱が始まった。
――まず、風が起こった。
夜の森に、赤と黒の電撃が生まれる。
(バリバリバリバリバリ!)
電撃は、渦を巻き、森の木々をえぐるようになぎ倒していく。
(メリメリメリメリメリ!)
倒された巨木が一本、リアたちの上に倒れかかった。
「―――!!」
同時に巨大な球体へと成長した赤と黒の電撃が、リアたちを飲み込む。
(ギュパッ…!)
栗鼠の子供が、倒れた巨木の葉の間からぴょこんと現れた。きょろきょろと辺りを伺い、夜の森へと逃げていく。
そこには、もう何もなかった。
聖騎士リアと総勢五〇数名の急襲部隊の姿も、倒れた巨木の中央部も。
すべてが幻だったかのように、森は静けさを取り戻していた。
「…成功、したのか?」
「どうでしょうか…」
頼りない学者の言葉に、スライダーは顔をしかめ、山上の古城を見上げる。
何の変化もなかった。
数拍置いて光ったのは、城の遥か上空に浮かぶ雲だった。
おお、と研究者たちが声をあげた。
「せ、成功…! 空間転移、成功です!」
その声に、小さな拍手が沸き起こる。
スライダーは目を凝らして仰ぎ見る。
月に照らされた遥か彼方の雲を。
そこから――
ゴマ粒のような人型の影が、ぱらぱらと落ちてくるのが見えた。
「――高すぎではないのか?」
そのスライダーの問いに、答える者はいない。
代わりに見上げる雲から、ほんのかすかな音が届いた。
それは、さきほどの巨漢の引っ越し屋の野太い悲鳴に違いなかった。
「のああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
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