ノヴァインパクト-産まれたら世界が壊れていました-
@Ulty0701
第一話 目覚め
――意識が浮かんでいく。
暗闇の底から押し上げられるように、視界が濁った光を受け取る。
水の中にいたらしい。肌が冷え、粘度のある液体が体を伝って床へ落ちていく。
私はゆっくりと上体を起こした。
床にはガラス片が散らばり、中央には巨大なガラスの筒が横倒しになっている。
内側には液体の跡。外側には時間で劣化した傷。
――培養槽。
それが何かを“知っている”。
なのに、それをどこで知ったのか――記憶がない。
声を出そうと口を開くが、喉が震えるだけで音が出ない。
言語は“頭の中では使える”のに、その出し方だけが欠落している。
寒い。
裸のままでは長く保てないだろう。
体温維持の必要性を判断し、周囲を見渡す。
金属棚が倒れ、中身があふれていた。
コート、シャツ、パンツ、下着、ブーツ。
手に取るたびに用途が頭に浮かぶ。知識だけはある。
黒いロングコート。
胸元が開いた白いTシャツ。
黒いショートパンツ。
黒いブーツ。
下着類。
どれも私の体に自然にフィットした。
棚のそばに落ちていた鏡片を拾う。
割れて傷だらけだが、自分の顔は映った。
黒い長い髪。
水色の眼。
白い肌。
女性的な輪郭。
――これが、私。
鏡を置き、倒れたガラス筒へと向かう。
下部の金属プレートに、文字が刻まれていた。
剥がれ、掠れているが、読むことはできた。
「……ヤ……メ……スター……リン……グ」
心の中で組み合わせる。
アヤメ・スターリング。
それが私の名前だと、本能のように理解する。
その下には数字が刻まれていた。
西暦表記――生まれた年。
だが今が西暦何年なのかわからない。
つまり、自分の年齢もわからない。
私はプレートから目を離し、施設を探索するため歩き始めた。
廊下は薄暗く、天井は崩落し、瓦礫が道を塞いでいる。
薬品と錆びの匂い。乾いた機械油の臭気が混ざる。
歩き出してすぐ、ズキリと頭に刺すような痛みが走った。
「……ッ」
壁に手をつき、息を整える。
体調の問題ではない。“何かの気配”への反応。
――いる。
この先に、何かがいる。
私は静かに廊下を進む。
崩れた壁の向こう、空気が揺れる気配。
湿った呼吸音。
廃棄された実験室の中央に、それは立っていた。
四足の獣に似た影。
私より大きく、細胞の密度を感じるほどの筋肉量。
毛はなく、濃い紫色の皮膚が光を反射している。
背には骨のような突起、尾は刃のように尖っていた。
顔は――穴が開いたような黒い窪みが二つ。
視線があるのか分からない。
だが、確実にこちらを探知している気配。
――危険。
その単語が、理性より先に浮かんだ。
後ずさろうとした足が、ガラス片を踏んだ。
パリッ。
音が割れた瞬間、生物の身体が硬直した。
ゆっくりと、首がこちらを向く。
そして――跳んだ。
床を砕く一歩。
牙が通路の空気を裂く。
私は反射的に身をひねり、機械の残骸の陰へ転がり込んだ。
風圧。
破壊音。
獣の呼気が掠める。
走る。
息が荒くなる前に、筋肉が勝手に動き出す。
廊下の奥へ、瓦礫を飛び越え、倒れた配管を滑り抜ける。
だが振り返ると、そいつは壁を蹴り、天井を這うような動きで追ってきていた。
逃げ切れない。
角を曲がった瞬間、右から気配が迫った。
腕が横薙ぎに振り抜かれる。
私は右腕を上げて防御――。
衝撃。
金属が歪むような音と共に体が宙に浮いた。
壁に叩きつけられ、そのまま床を滑る。
肺から空気が押し出される。
右腕が焼けるように痛み、指が動かない。
立とうとするが、脚も震えて支えにならない。
生物の影が近づいてくる。
地面が鳴る。
湿った呼吸が背をなでる。
そいつは、私の正面に立った。
牙の先端。
喉を狙う角度。
逃げられない。
現実としてそう理解する。
私は静かに目を閉じた。
その瞬間――胸の奥で、何かが爆ぜた。
熱と光が、皮膚の下を走る。
骨の中にまで響き渡る脈動。
呼吸が一瞬止まり、世界が静止したように感じる。
――パチッ。
空気が弾ける音。
目を開けると、
生物の身体が痙攣していた。
皮膚の下で白い光が暴れている。
筋肉が硬直し、四肢が震え、尾が床を叩く。
焦げた匂い。
浮遊する微かな火花。
やがて、生物は崩れ落ちた。
完全に死んだわけではない。
胸のあたりが、かすかに上下している。
――気絶している。
私は自分の左手を見た。
指先から、微かな電気が走っている。
白い光の残滓が皮膚の表面で弾け、消えていく。
「……」
声にはならないが、理解はできた。
――これは、私が引き起こした。
体の力が抜ける。
緊張が切れたわけではない。
単純に、もう限界なのだ。
右腕は動かず、脚にも力が入らない。
痺れが全身を支配し、床に倒れ込む。
天井がゆっくりと視界に広がる。
ここで動けなければ、次は死ぬ。
けれど――体はもう動かない。
そこで、音が聞こえた。
足音。
複数。
一定のリズム。
金属とゴムが床を踏む音。
あの獣の爪音ではない。
声も聞こえる。
誰かが小さく叫び、光が動く。
私は必死に意識を向ける。
瞼が重い。
視界の端が暗くなっていく。
――来る。
誰かが、私のいる方へ。
けれど。
その“誰か”を確認する前に、
私の意識は、深い闇へ沈んでいった。
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