第八話 夏の思い出
2009年8月。
オーシンツクツク、オーシンツクツク、オーシンツクツク……。
ツクツクボウシが元気よく鳴いている。
朝比奈家は夏休みに家族4人でハイキングに来ていた。良い天気だが木漏れ日の中を歩いているので風が心地よい。
「気持ちい〜」
「今日は絶好のハイキング日和だな」
「そうね、もっと暑いかと思ったけど、森の中って涼しいのね」
「カブトムシ探した〜い」
響香(12歳)は、んーっと背伸びして風を全身に浴びる。一方の弟の大地(8歳)は歩くのに飽きて駄々をこね始めている。
思い出に残る家族の楽しいお出かけ。そうなるはずだった。しかしならなった。
大きな木の後ろから、ぬるっとそれは姿を現した。
白装束を着た長い髪の女性というにはあまりにも身長が高すぎる。ゆうに3メートルを超えている。その場の温度が一瞬にして真冬のように下がった。
「みんな、逃げるんだ! 早く!」
先頭を歩いていた父親が大声を上げる。
「大地! 響香! 走るよ!」
父親と母親が子どもの手をそれぞれ握って駆け出す。大地と響香は今ひとつ状況が理解出来ていない。引っ張られるがまま両親と一緒に走った。
それは長い髪を地面に引きづりながらゆっくりと追いかけてきた。
エタノールのようなきついケミカル臭が辺りを充満し本能的に身の危険を感じさせる。
「いたっ」
大地が転んだ。奴はスルスルと幽霊のように地面を滑りながら
「くそっ、母さん! 子どもたちを頼んだ!! うおおおお!!!」
父親が追い付かれると判断し落ちていた枝を振り回し奴に特攻した。
「あなた! ダメよ!!」
「俺は良いから、早く逃げてくれ! 今までありがとう香奈」
母親は歯を食いしばり苦悶の表情を浮かべながら子ども二人の手を再度しっかりと握って走った。
……。
……。
……。
遠くから父親の断末魔が聞こえてくる。それでも振り返らなかった。子どもを逃すため、全力で走った。
……。
……。
……。
「はあ、はあ、はあ」
しばらく走って、母親は足を止めた。自分自身もそうだが、子ども二人の息が上がっていた。
逃げ切れた?
後ろを振り返り奴がいないことを確認する。
「あなた……」
安堵よりも悲しみで涙が頬を伝う。
そこに突然ケタケタケタっと不気味な笑い声が鳴り響いた。
奴がいた。髪の毛の先は赤い血で染まっている。
母親は思った。子どもたちだけでもなんとかして逃す。
「響香! 大地の手を握って走って!!」
「え?」
「お母さんも後から行くから、先に行って! 早く!!」
響香は言われた通り弟の手を握り走った。
パニックを起こして何が起きているのか分からない。
それでもとにかく、逃げないといけないということだけは肌で感じた。
……。
……。
……。
響香は走った。
大地と走った。
精一杯走った。
……しかし闇雲に走った先は崖だった。
響香は大地の手を握ったまま立ち止まった。どうしよう。逡巡しているうちに背後に悪寒を感じた。
再びケタケタケタっと不気味な笑い声が鳴る。
響香は振り返る。そこには、髪が真っ赤に染まったあいつがいた。
奴の笑い声は鳴り止まない。ケタケタケタケタと耳にまとわりつく。
奴が動いた。血で染まった髪がうねうねと触手のように周囲に伸びる。
ぴちゃっと響香の顔に血が飛んだ。まだ生ぬるかった。
「ひっ」
響香は
その瞬間、崖が崩れた。
響香は崖の斜面を転がり落ち全身に打撲と擦り傷を負った。それでも命に別状はなかった。
しかし大地を崖の上に置き去りにしてしまった。
響香は崖の上を見つめる。全身が痛いがそれよりも大地が心配だった。
ぼとっと何かが響香の横に落ちてきた。
……それは全身を串刺しにされた大地だった。
「いやあああ! 大地! 大地!!」
響香は大地を抱きかかえながら叫ぶ。
……大地はすでに事切れていた。
ケタケタケタっと頭上から悪意ある笑い声が降ってくる。
響香は見る。奴は口角を釣り上げ笑っていた。
そしてひとしきり笑い終えると、するするとその場から消え去った。
大地の
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