色欲宮殿物語~狂愛が王国を亡くすまで~
蓬田律
第1話 月女神と祭典
私はあの夜、月光の下で笑う彼女に一目で心を奪われた――。
「レギスタン様、ここにいらしたのですね、もうすぐ日月祭が始まりますよ」
宮殿の端に位置するバルコニーでぼんやりと月を眺めているこの国の王太子レギスタン・チャーンドに声をかけたのは王太子妃のルール=チャーンド・アッシャムス。
彼女は時間になっても大広間に現れない夫を探しに来たのだった。
「嗚呼、ごめんね。今宵の月があまりにも美しくて……ほら、ルールも見てごらん」
レギスタンに手を引かれて、ルールもバルコニーから身を乗り出した。その瞬間、ルールの目に映ったのは星が一つも見えない真っ暗な夜空にぽっかりと浮かぶ、まんまるな月だった。
月には月女神が住んでいる、この国の生まれなら小さな子供でも知っている伝承。その伝承の中に『闇夜に満月浮かびし夜 月女神 人の子に加護 授けたもう』という一文がある。今夜の空は伝承の空そのもので、月女神の姿が一瞬見えたような気がしてルールは月に向かって腕を伸ばした。
「……ル……ール?ルール?」
「あ、もうしわけございません、わたくしとしたことが……あまりにもその、伝承の夜と似ていたので……」
月に魅入られていたルールはレギスタンに肩をたたかれてようやく我に返った。伝承に基づいた儀式が行われているといえども、心の底から伝承を信仰している人は少ない。言ってしまえば子供だましのようなもので、十七にもなってそんなものを信じているなんて、子供っぽいと思われてしまったのではないかと、慌てるルールを見たレギスタンは笑ってルールの手を取った。
「月女神の伝承だね、私もその話は好きだよ。子供だましだなんて最近は云われているようだけど好きに年齢なんて関係ないと思う。好きなものは好きでいいはずだよ、 ルール。……ところで、私を呼びに来てくれたのではなかったの?」
まるで自分の考えを読まれたかのような返答にルールは驚いた。月光の下でぼんやりと輝くオレンジ色の瞳にすべてを見透かされているようで、自然に絡められた指が逃がさないと言っているようで、ルールは目をそらして後ずさった。
「は、はい。もう数分で始まってしまいますので早く大広間に……えっ! レギスタン様⁉」
「そんなに急がなくても大丈夫だよ。こんなにいい月夜なのだから、少しぐらい遅
れたって月女神さまもきっと許してくれるよ。ゆっくり行こうよ、ね、ルール」
レギスタンは絡めていた指をほどき、ルールの手を握りなおした。
「うぅ……、貴方様は、レギスタン様は本当にずるいお方です……わたくしばかりが、もっとレギスタン様を好きになってしまいます」
「それなら、君はもっとずるい。私はルールと初めて会った時にはもう、君を愛していたのだからね」
顔を赤く染めて恥ずかしがるルールにレギスタンは、さあ行こうか、とルールの手をさらに強く握りしめて二人はバルコニーを後にした。空にぽっかりと浮かび上がっていた月には暗雲が覆いかぶさろうとしていた。
二人が大広間に戻るともう祭典は始まる直前だった。
「王太子同妃両殿下! いったいどこにいらしたのですか?」
奥のほうから侍女の一人が走ってきた。
「ちょっと二人で、ね。これ以上か聞かないでくれると嬉しい、かな?」
レギスタンがそういうと、侍女は気まずそうに去っていった。
「直に祭典が始まりますから早く席についてください。王太子同妃両殿下がご着席なさらぬことには始められません」
祭壇の上から神官が言った。レギスタンはルールの手を引いて、席まで歩いていった。二人が席に着くと、すぐに祭典が始まった。
「これより、月女神パームバディア様に捧げる儀式を執り行う。奉納者は配置に就け」
神官が朗々と口上を述べると十数人の踊り子たちが舞台に上がった。明かりを消し、光源が月光のみとなれば儀式の準備は終わり。
音楽が流れ始め舞が始まった。踊り子たちはたくさんの宝石が付いた薄絹をまとい、くるりくるりと旋回を繰り返す。そのたびに衣装に飾られた大粒の宝石と純金がぶつかり合い、しゃらしゃらと軽快な音を立てている。
「やはり何度見ても、踊り子というものには華がありますね、舞も洗礼されていま
すし素晴らしいものですね! ……あの、レギスタン様? 一体どうされたのですか……⁉」
返事が返ってこないことを不思議に思って、ルールがレギスタンの視線の先を追うと、そこにはこの辺りでは珍しい金の髪と夜を宿した瞳を持つ踊り子がいた。彼女はほかの踊り子たちよりも頭一つ分小さいにもかかわらず、そこにいる誰よりも美しく輝いていた。
レギスタンのみならずルールまでもが、月女神がその場に舞い降りたかのような情景に心を奪われてしまった。
「…とても美しい舞だったね、ルール」
「ええ! 中央の方が誰よりも目立っていたと思います。珍しい髪色と瞳をしていらしたし、もしかしたら西の方からいらした方なのかも……」
ルールは趣味で西洋学を嗜んでいる。今までになく楽しそうに目を輝かせているのを見て、レギスタンはある提案をした。自分には、そんな顔を見せてくれたことないのに……そんなことを考えているのを悟られないように努めて明るく、あたかも本心からそう思っているかのように言った。
「ルール、よかったらさっきの踊り子と後で、話をしてみることに興味はない? 興味深い話が聞けそうな気がするのだけど、どうかな……?」
そんなレギスタンの心内をルールは知る由もなく、純粋にその提案を喜んだ。
「よ、よろしいのですか? わたくしなんかのためにそこまでしていただいて……」
「ルール、君は聡明で誰にでも分け隔てなく接する。その名の通り太陽のような女性だよ。だからもっと自信をもっていいんだよ。……ね?」
淑女教育のせいなのか自己肯定感が低いルールに、何とか笑ってほしくてレギスタンは言葉を尽くした。
「ありがとうございます、レギスタン様」
実家の淑女教育では妻は夫に付き従い、常に夫の顔を立てるよう教育されてきたし、ルール本人もそう思っていたが、王室に嫁いでルールはその認識を改めることとなった。
自分の思いを隠そうとするたびにどういうわけかすぐに見抜かれてしまい、自分を大切にしなさいと言われる。ずっとやりたかった趣味についてもレギスタンが容認してくれたお陰でルールは楽しく日々を過ごせている。
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