第3話
あっという間に約二時間の懇親会は終わりを告げた。松本の締めのあいさつの後、懇親会は終了となるが、店の入っているビルの前で二次会の相談をするものや、トイレにたつもの、机に伏せているものなど混沌としている。かなりできあがっているものも多い中、譲は日高と協力して店の外への誘導を行った。
とりあえず座敷には人がいなくなったので日高には外の整理に行ってもらい、譲はトイレチェックを行うことにした。そういえばずいぶん前にトイレに立った安岡がトイレから帰ってきていない。もしかするとトイレでつぶれている可能性もある。
そもそも、ここのトイレの配置が少しややこしい。レジのある入り口とは別の奥の出口からスリッパを履き、廊下に出てビル内の共用のトイレにいかなければならない。
酔っぱらった誰かが残っていないか奥の出口から出たところで久保田と南が何やら言い合いしているのが見えた。譲は慌てて体をひっこめる。二人には気づかれていない。いけないとは思いながらも二人の様子が気になる。
「あいつのことは朋ちゃんには関係ないだろ?」
「……でも、ひどすぎます! 先輩は今でも」
南が言葉を続けようとするところに久保田が片手で壁に寄りかかり、もう一歩の手の人差し指を南の唇にあてる。
「それこそ朋ちゃんに関係のないことだ」
そのまま顔を近づけようとしてきた久保田に、南は「やめてください!」と肩を押して距離を取る。このまま飛びだそうかと一瞬迷ったが、それ以上強引にいく気配がなかったのでもう少し様子を見る。
完全に拒絶する南の態度に久保田はやれやれといったそぶりを見せる。久保田が大きくため息をつく。
「……わかったよ。ちゃんと訳を話すから場所を変えようぜ」
「本当にちゃんと話してくれるんですか?」
その目には疑いの色が見て取れる。
「大丈夫、大丈夫! ただし必ず一人で来いよ。そうじゃなきゃ俺は何にも話さないからな」
「……わかりました」
「それじゃあ、この店出て駅の方に向かう途中に公園があるからそこで話そう。邪魔が入るとややこしいからうまく他の奴らを撒いて来いよ」
南はとまどいの表情を見せながらもうなずく。それを見て南の肩をポンと叩いた久保田が薄ら笑いを浮かべながら歩き始めた。久保田がこちらに向かって来るのを見て、譲は慌ててもう一度扉を開け締めして、さも今トイレのために店から出てきたかのようにふるまう。
「お、柳瀬、便所か?」
話を聞かれていたともつゆしらず久保田が軽いノリで声をかけてきた。
「はい、安岡先輩が返ってこないので様子を見に来たんです。先輩、他のメンバーは二次会がどうだとか言ってましたよ」
譲の返事に「そっか」と言いながら鼻歌まじりに久保田が店の方に戻っていく。譲もそのまますれ違ってトイレの方に歩いていった。
「南さん……大丈夫か?」
「……柳瀬くん?」
南はまだ先ほどの場所で茫然としていた。譲はその南に軽く頭を下げる。
「ごめん……残っている人がいないか確認に来るときに話を少し聞いてしまったよ」
南は驚いた顔で譲の顔を見上げる。
「話の流れはよくわからないけど、あの先輩に一人でついていかないほうがいいんじゃないか? よく知らないけど正直、俺はあの先輩は苦手だわ」
「うん……私も嫌い」
そう言って南が譲に向かって精一杯の作り笑いを見せる。
「ありがとう。心配してくれて……私もそこまでバカじゃないから大丈夫」
「ならいいけど。無理すんなよ」
「うん、本当にありがとう。うちのゼミ同期がいなくて心細かったけど、こうやって同期とも仲良くなれてよかったよ」
先程までより少し表情明るくなった南が「みんなが心配するから戻ろっか」と言う。その前に安岡の様子だと譲が思い出してトイレに行こうとしたところで、壁にもたれながらふらふらと安岡が出てきた。
「先輩、大丈夫ですか?」
今にも倒れそうな安岡に肩を貸し、一旦、ビルの廊下に設置されているベンチに座らせる。南も心配そうに安岡のことをのぞき込む。
「ありがとう、迷惑かけてすまない。トイレで吐いたら少しマシになったよ」
「……あんまり大丈夫に見えないです。お水もらってきましょうか?」
「すまない。そうしてもらえるとありがたい」
まだかなり気持ち悪そうな安岡が頭を下げると、南は「気にしなくても大丈夫です」と言って安岡の隣にカバンを下ろして、水を取りに店の中に向かった。その間に譲は一応トイレチェックをしておく。もし粗相をしていたらお店に申し訳ないし、トイレに安岡が忘れ物をしていないとも限らない。
思っていたよりトイレはきれいな状態だったのが不幸中の幸いだった。戻ってくると水分を取って安岡もさっきよりは顔色がよくなっていた。隣で解放してくれている南に何度も頭を下げている。
少し休んでだいぶ体調の回復した安岡と三人で店の入っているビルから出てくる。ビルから出てきた譲に気づいた日高が「お疲れさん」と声をかけてきた。手を挙げて応える譲のところに日高が寄ってきて、肩を組んで端まで寄せてくる。
「朋子は俺が狙ってるのでよろしく」
小声で言う日高に譲はぷっと吹き出してしまう。
「了解。応援するよ」
笑顔で返すと日高も親指を立ててきた。
「何すみっこで男子同士でじゃれてんのよ! 二次会行くでしょ?」
由香と倉内ゼミのもう一人の三回生、斎藤ほのかが声をかけてくる。しばらくビル前でたむろしてたが、ようやくカラオケの部屋の空きも見つかったらしくゆっくり移動を始める。
「ああ、すぐ行く」
時刻はまだ十時前だ。ゼミには部屋を借りて一人暮らしや大学の寮に住んでいるものが多かったが、譲は実家通いだ。それでもまだ終電までには一時間半ぐらいは十分ある。教授の松本はすでにいなかったが、准教授の倉内はまだ残っている。
四回生の久保田はいつのまにかふらっといなくなっていた。荒川も帰ろうとしていたが、安岡がつぶれて戻ってきていないことを知り、気を使って残ってくれていた。ちょうど荒川も安岡も大学の寮に住んでいるので荒川が安岡を連れて帰ってくれることになった。
安岡は、自分は大丈夫なので荒川も二次会に行くように言っていたが、こんなときは女性の方が強い。無理やり安岡を言いくるめて、二人で帰ってしまった。
「朋子はどうするの?」
齋藤が南にも声をかける。少し迷ったそぶりをみせたが胸の前で「ごめん」と両手を合わせた。
「私もちょっと……明日朝から予定があって」
「そっか、じゃあ気をつけてね」
先ほどのことがあるので南の様子が気になったが、由香が「行くよ」と背中押してきたので、隣で残念そうにしている日高を連れてカラオケ店に向けて歩き出した。
大学構内で南朋子の死体が発見されたと聞いたのはそれから二日後の月曜日のことだった。
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