第6話『ポメ、二層の影に挑む』
二層への階段を降りると、空気が一変した。
一層とは違い、湿り気の奥に重たさがある。
鼻をひくつかせるだけで、獣の気配が肌に触れてくるようだった。
「ポメ……ここ、ちょっとこわい」
正直に呟くと、首元のカメラが小さく揺れた。
配信コメントがすぐ流れる。
《二層は一気に難易度上がるからな》
《慎重にいけよポメ》
《鼻センサーに頼るしかない!》
《こわくても前に進むワンコ、応援しかない》
勇気は、誰かが見守っていると出やすいらしい。
犬も人間も、そこは変わらなかった。
通路は一層より広いが、その分、影が濃い。
足音が響き、耳がぴくりと反応する。
どこかで水が滴る音がした。
その時、鼻先にぴりりと刺激が走った。
「ポメ……まえ、いる」
獣の匂い。
硬い皮の匂い。
呼吸の重い気配。
そして──鉄の小さな摩擦音。
岩陰から姿を現したのは、灰色の体毛を持つ二足歩行の犬……のようなモンスター。
コボルトの二層個体。
一層のそれより明らかに大きい。
《出た!二層個体だ!》
《これ正面からいくのは危ない》
《ポメ気をつけろ……!》
喉が渇いた。
でも足は前へ出る。
「ポメ、やる……ポメ、がんばる」
相手が低く唸る。
槍を構える腕が太い。
まっすぐぶつかれば勝てない。
なら、犬らしくいくしかない。
瞬間、地面を蹴った。
体がふわりと左へ滑り、コボルトの死角に回り込む。
嗅覚が相手の体温の位置を教えてくれる。
槍の軌道が見える……いや、匂いで感じている。
もう一歩。
さらにもう一歩。
コボルトがこちらへ向き直るが、遅い。
「ポメッ!」
跳び上がって、前足で相手の手首を打つ。
槍がぐらつき、瓦礫の上に転がった。
すかさず後脚で蹴りを入れると、コボルトの体勢が崩れる。
その瞬間、光の粒となって消えた。
静けさが戻る。
呼吸が熱い。
心臓が早く打つ。
「ポメ……できた……」
呟くと、コメント欄が一気に流れ出した。
《えぐい回避力》
《犬ゆえの身体性能が強すぎる》
《無音横ステップ草》
《軽さが武器になってるなマジで》
緊張の糸が少し緩む。
尻尾が自然と揺れた。
その時、ダンジョンの奥からさらに冷たい風が吹いた。
さっきのコボルトとは違う、もっと重たい、沈んだ匂い。
「ポメ……なんか、くる」
耳がぴんと立つ。
暗がりの先で、小さく金属が擦れる音がした。
次に現れた影は、さっきよりも二回りほど大きい。
体毛は黒く、目が赤い。
背中に刃のような骨の突起が並び、手には粗雑な片刃の剣が握られている。
《やば……》
《ブラックコボルトじゃん!?》
《二層の中ボス個体だぞ》
《ポメ一人で倒せるのか……?》
息を飲む視聴者の気配が画面越しに伝わってくる。
俺も同じだった。
足が震えている。
でも──逃げる選択肢は、もうなかった。
「ポメ……いく。みんな、みてて」
震える声を押し出しながら前に出る。
黒いコボルトが一歩踏み込んだ瞬間、空気が揺れた。
速い。
一層とはまるで違う速度。
刃が迫る。
でも嗅覚が教えてくれる。
刃の軌跡は、右から左へ大きく振りぬかれる。
避けられる。
避けるしかない。
「ポメッ!」
跳んだ。
石床がかすめる。
刃が風を裂く音が背中を撫でる。
着地と同時に、肉球で床を蹴る。
黒い体の下へ潜り込む。
心臓が、どくん、と鳴った。
「ポメ──ここ!」
前足で、相手の膝裏を思いきり叩く。
巨体がぐらりと傾く。
その隙を逃さず、横からもう一撃。
黒いコボルトの体が崩れ──光の粒に変わった。
息を吐く。
長い、一息だった。
「……ポメ、かった。こわかった……でも、やれた」
コメント欄が爆発する。
《ポメ強すぎる!!》
《お前本当に犬か!?》
《二層の中ボス撃破は新人じゃ異常だぞ》
《今日一番の熱量だった》
胸の奥で温かいものが広がった。
恐怖よりも、安心が勝っていた。
そのとき、黒いコボルトがいた場所に、小さな箱が現れた。
宝箱。
二層でしか出ないレアドロップだ。
前足でそっと触れると、ふたが開く。
中には細い紐のついた小さな金属の輪。
《アイテム:シャドウ・リング(小型種専用)》
《効果:暗所での視認性向上》
「ポメ……これ、つかえる」
小型種専用というのが、なんとなく嬉しかった。
まるで自分のために用意されていたようだ。
リングを首の毛にそっと埋め込むと、視界がほんの少し明るくなった気がした。
「ポメ、まだ……いける」
自分で言って、尻尾が揺れた。
二層はまだ続く。
でも一匹でここまで来た。
なら、きっともっと進める。
その足取りは、影の中でも迷わず前へ向いていた。
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