【短編】復讐と赤髪
春生直
第1話 復讐と赤髪
べべん、べべべん。
吟遊詩人の格好をした男が、広場で弦楽器をかき鳴らしていた。
『さあさア、聞いてらっしゃい見てらっしゃい、さても悲しき恋の歌!
されどいとしき愛の
男にしては長い、肩まである金髪はいかにも
朗々と響く彼の声を聴くために、大勢の人たちが広場に集まっていた。
『英雄、色を好むと言いけるが、我が国の王も大変な好色。
なんでも、王子の好いた金髪の乙女を、横恋慕して妻にせしめるとか──』
べべんべんべん。
『ああそれもそのはず、彼女のささやきは、千夜一夜も恥じ入るばかり!』
べべんべん。
「吟遊詩人は面白いのね、あることないこと言うんだから!」
観客の一人がそう言った。
「あら奥さま、あながち嘘とも言えなくってよ。
何でも今度、王様がいい歳して、うんと若い女を妃になさるって、もっぱらの噂よ」
もう一人の女が、彼女に耳打ちする。
「ええ、まさか本当に王子様の好いた方を⁈」
「しっ! あくまで噂よ、噂!」
べべんべんべん。
「その方は、『物語の天使』と呼ばれているとか」
「やんごとなき身分の生まれとか──」
☆☆☆☆☆
「イレーヌ! イレーヌはいるかい?」
中年の侍女が、少女の名前を呼んだ。
イレーヌと呼ばれた女は、王宮の外の落ち葉を掃き掃除しながら、笑顔で返事をした。
「はあい!」
見事な金髪をおさげにした髪に、青く輝く大きな瞳。陶磁器のような白い肌に、薔薇色の頬。
彼女──イレーヌは、まったく天使のような見た目をしていた。
「マリエ様、そんなに呼ばなくったって、いなくなったりしませんわ」
彼女は、自分を呼んだ侍女のもとに駆けて行った。
「ああイレーヌや、お菓子をもらったから、こっそりお茶にでもしましょう」
「はあい!」
花が咲くような微笑みを浮かべ、お茶会の準備を手伝う。
テーブルに座った侍女たちは、お茶そっちのけで、競うようにイレーヌに話しかけた。
「イレーヌや、この間の話の続きをしておくれ」
「王宮のみんな、気になって眠れないのさ!」
イレーヌは物語を沢山知っていて、休憩時間を見つけては、使用人たちに話して聞かせていた。
「まあ、どの話ですの?」
眠れなくなるほど面白い話に、天使が空から落ちてきたような花の
彼女は、王宮の中で「物語の天使」と呼ばれていた。
「あの、蜜が流れる国の話をしとくれよ!」
「いいや、強欲な小人の話が聞きたいね」
意見が食い違った侍女たちは、ばちばちと睨み合った。
「蜜が流れる国!」
「強欲な小人!」
「国!」
「小人!」
その
「ふふふっ。そう焦らずとも、みなお話いたしますわ」
彼女の美しい笑い声に、侍女たちは、しばらく見つめ合ってから吹き出した。
「はははっ! まったく、天使のような子だよ!」
「王子様に見初められたって、おかしくないね」
☆☆☆☆☆
ある日、イレーヌは取り込んだ洗濯物を運んでいた。
その日は風がずいぶん吹いていて、洗濯籠の中の洗濯物を、ひらりとさらっていった。
「ああっ! 待って!」
イレーヌは洗濯物を追いかけているうちに、ずいぶんと王宮の奥の方に来てしまった。
「いけないわ、こんなところまで来たら、マリエ様に怒られてしまう」
早く洗濯物を回収して帰ろうと思った、その時のことだった。
「君が『物語の天使』かい?」
甘く低い声が上から降りてきて、その人はイレーヌの洗濯物を、ひょいと拾い上げた。
「話に聞いていたより、だいぶお転婆じゃないか」
黒く短い髪、勇ましい獅子鼻に、勲章が沢山ついた軍服。髪の色は王妃の方に似たようだが、その碧の目は、父である王と同じだ。
「王子殿下!」
イレーヌは、慌ててひざまずく。
──目の前にいる彼こそが、この国の王子だった。
「申し訳ございません、このような高貴な場所に足を踏み入れてしまい──すぐに戻ります」
震えながら無礼を謝るが、彼は甘い笑顔でこう言った。
「ああいや、僕はずっと君に会ってみたかったんだ。
王宮暮らしは窮屈でね。
見逃す代わりに、何が面白い話を聞かせてくれないか?」
王子にまで自分の噂が聞こえていたのかと、顔が火のように熱くなる。
しかし、イレーヌはおそるおそる、その頼みを了承した。
「では、女神の林檎の話などいかがでしょう」
それから、二人は秘密の逢引を続けた。
美しく教養豊かな彼女に、王子が夢中になるまで、そう時間はかからなかった。
「ねえ、イレーヌ。僕たち、また会えるね」
熱を帯びた瞳で王子が言う。
「いけませんわ、私は王宮の使用人です」
「それでも僕は、君に会いたいんだ。会えだなんて、命令はしたくない」
「いけません、誰かに見られたら、私……」
イレーヌはうつむく。
彼らの関係は、禁じられた恋だった。
しかし、諦められない王子は驚くべき発言をした。
「それなら、僕の妃になれば良い。そうすればずっと一緒だ!」
そんなことを言ってしまったのだから、もう大変。
宮廷中がみな仰天して、ついにイレーヌは王の前で取り調べを受けることになってしまった。
☆☆☆☆☆
「きゃあっ!」
大広間の赤い絨毯の上、両手を縛られたイレーヌが、どさりと王の面前に放られた。
「お前が、儂の息子をたぶらかした女狐か。その所業、許せるものではない。即刻、死刑に処す!」
残虐な王は、そう宣告した。
醜く肥え太ってはいるが、その髪色は母親譲りの金色。碧の瞳は、王子とよく似ている。
「待ってください!」
イレーヌは泣きながら懇願した。
「どうか、物語を──物語を、お聞きください!」
その言葉に、王はせせら笑った。
「その髪色に、感謝するんだな。儂は、金髪の女がいっとう好きだ。お前の髪ときたら、まるで豊かな稲穂のようではないか」
どうやら、イレーヌは生き延びる機会を与えられたようだった。
「『物語の天使』とは、思い上がった呼び名だ。
話してみよ、つまらなければ首を刎ねるぞ!」
そう言われた彼女の顔は、笑ったように見えた。
「──それでは、取り違えられた双子の話をいたしましょう」
彼女は語り出した。
誰も聞いたことのない面白い物語を、次々と。
周りの者は、死刑のことなどすっかり忘れてしまって、その話に聞き入った。
そして話が一番盛り上がった時、彼女は天使のように微笑んだ。
「──この続きは、王様の
好色な王は、それを聞いてたいそう喜んだ。
「気に入った! 面白い女だ!
王子になどもったいない、儂の妃にしてやろう!」
「そんな、私が好いた
王子が憤慨するのも聞き入れず、王はイレーヌを娶ることにした。
☆☆☆☆☆
あれよあれよと言う間に、婚礼の日はやってきた。
盛大な宴の後、イレーヌは王の寝室に呼ばれる。
「ああイレーヌや、かわいそうに! まさか王子でなくて、あの好色な王の手にかかるだなんて!」
マリエがむせび泣いても、彼女は堂々としたものだった。
「卑しい私が王の妃になれるだなんて、最大の名誉だわ。そろそろ、王様のところに行ってきますね」
「ああ、イレーヌ!」
マリエは彼女を抱きしめた。
彼女が行ってしまった後も、マリエは悲しみにくれた。
「何だって神様は、あんな良い子にこんな仕打ちをするんだい!」
よよと泣き崩れると、ふと黒いスカートに何かがついているのを見つけた。
「あら、これは……」
☆☆☆☆☆
「陛下、失礼いたします」
イレーヌは、王の寝室にやってきた。
王は片手に酒杯を掲げ、薄いネグリジェを着た彼女を、下卑た目で見つめた。
「おおイレーヌや、儂の天使よ。また物語を聞かせておくれ。その後、たっぷり愛し合おうではないか」
「──ええ、とっておきのを用意してありますわ」
彼女はまた、美しい笑みを浮かべた。
「それは楽しみじゃ!」
王は上機嫌で笑った。
「ねえ、陛下」
彼女は歌うようにささやく。
「陛下が双子の話を聞いたのは、本当に初めてですか?」
問われた王は、しばらく考えた。
「何? いや、確かに昔、もしかして……」
「ねえ、陛下」
彼女は自分の髪を掴み、引き剥がすと王に向かって投げつけた。
バサァッ。
金髪で王の視界が奪われる。
「何をする!」
イレーヌは隠し持っていた短刀を、王の喉元に突きつけた。
「この赤髪に見覚えは?」
「ひいっ!」
あまりのことに、王は息も出来ない。
彼を睨み上げるイレーヌだった人間の頭は──
短く刈った、赤髪をしていた。
「な、何を」
「動けば殺す」
ピッと短刀を引くと、王の首に痛みが走り、血が流れる。
「ひいっ!」
イレーヌは、明確な殺意のこもった、冷たい目で王を見据える。
「忘れたとは言わせない──
十五年前にお前が慰み者にし、子を産んだからと殺した女の髪の色を!」
その眼差しは、天使よりも悪魔に似ていた。
「そうだ! 十五年前にもいた。物語を語る、赤毛の侍女が……」
王は何かを気付いたように、彼女の方を見た。
「で、ではお前は私の──」
「ねえ陛下」
彼女は笑った。天使のように。
「命とは──」
そして、思い切り短刀を王の喉に押し込んだ。
「軽いもので、ございます」
「がはっ」
一拍遅れて、王の喉からも口からも血が噴き出す。
シーツがみるみるうちに赤く染まり、王は倒れ込んで動かなくなった。
彼女は金髪のかつらを拾い上げ、再度頭に乗せる。
「──陛下の母上が金髪と聞きましたので、長い金髪の男に、髪を売ってもらいました」
王はもう動かない。けれど物語を聞かせるように、彼女は語る。
「『物語の天使』の噂を流せば、王子をたらしこみ、陛下に会うことができました」
血はベッドから溢れて、床に広がる。
どこまでもどこまでも。
「暴漢がしのびこみ、陛下を襲ったことにしましょう。人は皆──」
王の
「物語が、大好きなのだから」
彼女は出て行った。
その行方は、誰も知らない。
☆☆☆☆☆
べべんべんべん。
『おあとがよろしいようでございます』
吟遊詩人の男の、肩で切り揃えられた金髪が、風に揺れていた。
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