Side Kaji:最悪の初日
◇
海堂は後藤田とともに去って行き、鏑木と二人、取り残された。
「じゃあ、梶CTOの今日のスケジュールを説明します」
「今日って、これで終わりやないんか……」
「あなたの時間は高いって言ってるじゃない。帰すわけないでしょ」
「はあ。それで、今日のスケジュールってなんなん?」
鏑木はタブレットを操作しながら、淡々と読み上げた。
「まず、技術戦略室とのキックオフ。そのあと、モノリス関連の権限付与手続きと、各プロジェクトの機密レベル確認。
それから、情報システム本部とのオンライン顔合わせ、海堂常務への経過報告。夕方には、外資対応の緊急ブリーフィングがあります」
「……今日だけで?」
「今日だけで、です。これでも圧縮したほうよ」
まだ信じられずに固まっていると、鏑木はさらりと止めを刺した。
「それともうひとつ。CTO就任の挨拶文を今のうちに書いておいて。
ホールディングス全社員に通知が行くから、文面は誤字も許されないわ」
「……死ぬほど帰りたいんやけど」
思わず机に伏せたくなる。すると、絢香は思い出したように付け加えた。
「ああ。それと、大切な用件を忘れていたわ。あなた、インサイトプロジェクトのインフラ監修だから」
「……なんや、そのプロジェクト」
「今日、顔合わせの初日なの。一言挨拶が欲しいだけだから、オンラインで参加してくれれば良いわ。一分で終わるわよ」
……聞きたいのは概要なんやけど。
それが絢香の騙し討ちだと知ったのは、一時間後のことだった。
新しく与えられたCTO専用の役員室を見回し、思わずため息がもれた。
壁一面のガラス窓。
外光を吸い込んで白くひかるパネルデスク。
座るだけで背筋が伸びる、黒革の椅子。
端には、やたら主張の強い観葉植物と、誰が選んだのかわからない、無駄に高そうなアート。
……無駄に金かけすぎやろ。ノイズが多すぎるんやって。こんな部屋。
おまけに広すぎて、落ち着かない。
もしもここで仕事をするのであれば、内装を変える必要がある。
「……コード書くのに、こんな部屋いらんのにな」
ぼやきながら、デスクに置かれた端末を開く。
壁のスピーカーから、ほとんど無音に近い起動音が流れた。
それでも──ここに座る以上、もう逃げることは不可能だ。
端からそんな気は全くないのに、いざ逃げられないとわかると、急にどこかへ行きたくなるのは脳の構造上の問題なのか。
それとも、花と離れたくないという願望が見せる欲か。
沈みそうになる気持ちを押し殺すように、指定された時刻に社内標準のオンライン会議システムを立ち上げる。
接続完了の小さな電子音とともに、会議室の全景が画面に現れた。
広い会議室。楕円形のテーブルを参加者が囲み、絢香が中央に一人、立っている様子が見えた。
そのとき、視界の端に見間違えようのない女性が映る。
どくん、と心臓が騒ぐ。顔には出さない。
だが、内心では怒りで全身の血が沸騰しそうになっていた。
……なんでここに花を巻き込んどんのや!
そう叫びたい気持ちを、必死に押し殺す。
彼女の痛みを堪えるような顔に視線を縛られそうになり、そっと目をそらした。
「……今日は顔合わせやと聞いてますが、特に質問がなければ、これで失礼してええですかね?」
「結構です。……来月からは会議にもご参加くださいね。皆さん、あなたをお待ちしていますから」
画面をブツリと切った。
先ほどの花の傷ついた顔が忘れられない。
思わず目の前にあった名刺ボックスをつかみ、そのまま壁に投げつける。ごんっと鈍い音がして、中に入っていた大量の名刺が床に舞い落ちた。
今日だけの臨時秘書が「どうされましたか!?」と慌てて入ってきたが、一睨みすると、頭を下げて去って行った。
想定する限り、最悪の初日だった。
十五分で気持ちを立て直し、予定されていたとおりのスケジュールを次々にこなす。
一刻も早く花に会いに行きたいのに、何ひとつ侭ならない苛立ちを、心の奥底に沈めて平静を装う。
──これ以上、隙を見せたらあかん。あの女の思う通りになんか絶対にさせん。
自分を捨てて完璧に演じた。
望まれた通りの仮面を貼り付けて。
戦争が起こっているのは、外資との間だけではないと、そのときにはもう理解していた。
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