第四話 書かれなかったシナリオ

 翌日、トアは学校に来なかった。

 僕は授業の内容なんて一つも頭に入らず、放課後になるとすぐに文芸部室へ走った。

 部室には誰もいない。

 だが、サーバーの電源は入ったままだ。青いLEDだけが、主の帰りを待つ忠犬のように光っている。


 僕はトアの席に座る。

 キーボードに触れる。まだ、彼女の残り香がする気がした。

 画面を見る。

『オルフェウス』のテキストエディタが開かれている。

 そこには、昨日の続きが書かれていた。AIが自動生成したものではない。誰かが手動で入力した形跡がある。


『主人公は気づいてしまった。この世界の違和感に。夏の暑さも、蝉の声も、そして隣にいる少女の体温さえも、すべてが精巧に作られたフィクションであることに』


「なんだよ、これ……」


 物語の展開が変わっている。

 僕たちが書いていたのは、AIが二人を繋ぐ恋物語だったはずだ。

 なのに、これはまるで……。


 カチリ。

 背後で、鍵が開く音がした。

 振り返ると、トアが立っていた。

 制服ではなく、白いワンピース姿。その姿は、逆光の中で陽炎のように揺らいで見える。


「来ちゃったのね、カケル君」

「トア、休んだんじゃ……」

「最後の仕上げをしに来たの。私とあなたの、物語の結末を」


 彼女は微笑む。それは今まで見たどの笑顔よりも優しく、そして悲しい笑顔だった。

 彼女は僕の隣に来て、そっとキーボードに手を添える。


「ねえ、カケル君。あなたはずっと不思議に思ってたでしょ? どうして私が、あなたを選んだのか」

「俺の文章に感情があるから、だろ?」

「それもある。でも、一番の理由はね……」


 彼女の指が『Enter』キーの上で止まる。


「あなたが、私の『最高傑作』だからよ」


 トアがキーを押した。

 瞬間、部屋の景色が一変する。

 壁が、天井が、ノイズ混じりの砂嵐に変わる。

 古びた本棚が数字の羅列に分解され、窓の外の青空がワイヤーフレームの骨組みだけになる。


「な……!」


 僕は立ち上がろうとして、足が動かないことに気づく。

 いや、足がない。

 僕の足元もまた、青い光の粒子となって崩れ始めていた。


「この世界は仮想空間シミュレーション。そして相葉カケル、あなたは私が『オルフェウス』を使って再現した、過去のデータなの」


 トアの声が、頭の中に直接響く。

 理解が追いつかない。僕が、データ?

 だって、こんなに暑いのに。汗もかいているのに。昨日のアイスコーヒーの味だって覚えているのに。


「嘘だ……俺はここにいる! 心臓だって動いてる!」


 僕は叫び、自分の胸を叩こうとする。

 だが、僕の手は自分の体をすり抜けた。


「本物の相葉カケル君は、三年前に死んだわ。交通事故で」


 トアの瞳から、涙が零れ落ちる。その涙だけが、この崩壊する世界で唯一リアルな質量を持っていた。


「私はどうしても、あなたにもう一度会いたかった。だから、あなたの残した全ての日記、SNS、小説をAIに学習させて……この空間に『あなた』を再構築したの」


 全部、彼女の創作プログラムだったのか。

 僕が感じた「青臭い恋心」も、彼女への「苛立ち」も、すべて演算結果に過ぎないのか。


「でも、もう限界なの。サーバーのリソースが尽きる。それに……あなたが『真実』に近づきすぎた」


 世界が白く塗りつぶされていく。

 トアの姿だけが、鮮明に残る。

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