君の指先が、僕の物語を書き換える

かごめごめ

第一話 その少女、入力中につき

 夏の日差しが、埃っぽいカーテンの隙間から差し込んでいる。

 蝉の声がうるさい。鼓膜が振動するほどの熱気。

 僕は汗ばんだシャツの襟を正し、旧校舎の三階、文芸部室の扉に手をかける。立て付けの悪い引き戸は、ガラガラと悲鳴のような音を立てて開いた。


「……あ?」


 思わず、間抜けな声が漏れる。

 そこは、僕の知っている文芸部室ではない。

 かび臭い古本の匂いは消え失せ、代わりに無機質な排熱の匂いが充満している。部屋の中央、かつてはどっしりとした木の机があった場所を、黒く巨大なタワー型のサーバーラックが占拠していた。

 青いLEDの光が、薄暗い部屋の中で明滅している。

 まるでSF映画のセットだ。

 そして、その光の中心に、彼女がいる。


 一ノ瀬いちのせトア。

 理数科の特待生。長い黒髪を無造作に束ね、銀縁の眼鏡の奥から、冷徹な視線をモニターに注いでいる。その指先は、ピアニストのように軽やかに、しかし機関銃のように激しくキーボードを叩き続けていた。


「……邪魔よ」


 視線すら寄越さず、彼女が言う。その声は、冷房の効いた部屋のように涼しい。

「邪魔って、ここは文芸部室だぞ。なんだよこれ、不法占拠か?」

「学校側の許可は取ってあるわ。部員一名、実績ゼロの文芸部は、本日付で『人工知能研究会』の資材置き場兼実験室として接収されたの」

「はあ!? ふざけんな、俺の聖域を!」

「うるさい。ノイズが入る」


 トアがエンターキーを、タンッ! と強く叩く。

 同時に、ラックに積まれたサーバーが一斉に唸りを上げた。ブゥン、という重低音が床を震わせ、僕の足元まで伝わってくる。

 彼女の目の前にある三枚のマルチモニターに、文字の羅列が滝のように流れていた。


『――夕暮れの教室。彼は彼女の瞳に、一番星を見た。それは永遠の輝きであり、刹那の……』


 小説だ。

 猛烈な速度で、文章が生成されている。


「なんだこれ……小説?」

「『オルフェウス』。私が設計した、文章生成AIよ」


 トアはようやく手を止め、眼鏡の位置を人差し指で直しながら僕を見た。その瞳は、画面のブルーライトを反射して、無機質に輝いている。


「AIに小説を書かせる? そんなの、ただのデータのパッチワークだろ」

「人間だって同じよ。過去の記憶、読んだ本、聞いた言葉。それらを脳内で編集して出力しているに過ぎない」

「違う! そこには『心』がある。痛みとか、熱とか、そういうのが乗るんだよ!」


 僕が叫ぶと、トアはふっと自嘲気味に笑った。

 その表情が、一瞬だけ、ひどく人間臭く見えた。


「そうね。だから、この子はまだ未完成なの」


 彼女は椅子を回転させ、僕の方へ向き直る。

 白いブラウスの胸元に、青い光が落ちている。


「論理構成は完璧。語彙力は辞書十冊分。でも、どうしても『恋』の描写だけが、バグるのよ」

「バグる?」

「ええ。だから、あなたが必要になったの」


 トアが立ち上がる。すらりと長い足が、机の影から伸びる。

 彼女は僕の目の前まで歩み寄ると、顔を覗き込んできた。シャンプーの香りが、排熱の匂いを上書きする。


相葉あいばカケル。あなたの書く文章、論理は破綻してるし構成は稚拙だけど……感情の出力だけは、異常に高いわ」

「褒めてんのかそれ」

「サンプルとして優秀ってこと。手伝いなさい。この子に、『初恋』を学習させるのよ」


 拒否権はないらしい。

 彼女の瞳の奥で、僕という存在が、ただのデータとしてスキャンされているような気がした。

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