第29話
私は鷺谷が言った拝み屋のことが気になっている。彼女が言ったらしい失踪者の声を聴くということについてもう少し詳しい情報が欲しい。このまま時間だけが過ぎていくのはなんとも苦しい。鷺谷に住所を聞いて直接出掛けてみることにした。
拝み屋が住むのは宮前でもかなり海沿いの地域。車を降りると海からの風に煽られて寒い。街中と違い古い家屋が立ち並ぶこの地域は或る意味宮前とは縁のない、むしろ日本の海辺の町そのものと云った風情だ。
「ごめん下さい」
私がその家の玄関で声をかけると、奥で子どもの声がした。程なく玄関の戸が開き、母親らしき若い女が顔を覗かせる。「はい、何か」
如何にも所帯染みた表情をしている。見ると後ろの方では3、4歳の幼児が自由気ままに動き回っている。
「あの、渡瀬(わたらぜ)さん、マキさん、いらっしゃいますか?」
私がそう言うと、女は一瞬私を眩しそうに見ると、今度は家の奥に向かって大声を上げる。
「お義母さ~ん、お客さんみたいですよ~」
客?私は自分の立場を思い図る。そうか、ここは拝み屋なのだ。
「ちょっと待ってって…」
奥から年寄りの声が聞こえてくる。「やれやれ…」
「すみません、急にお伺いしまして」
私は一応その声に向かって詫びを入れる。
家に上げられ、小さな座敷みたいなところに座布団を用意される。やはりここも寒い。
「はいはい、お待たせしました。どちらさんでしたっけ?」
急に小走りで初老の女が現れる。一応白い羽織のようなものを纏っているが、見掛けは完全に地域のおばさんだ。
「あの、私、鷺谷さんの紹介で参りました河野と申します」
私はようやくそう自己紹介する。
「鷺谷…ああ、県警の」
「ええ」
「刑事さん?」
拝み屋、渡瀬マキは私の顔を見る。
「いえ、私はただの会社員でして」
「珍しいね、あの人が客を寄越すなんて」
「それが客と云いますか…」
「はあ?」
渡瀬は首をひねる。
「実は私の妻が急にいなくなってしまいまして」
「うん」
「それでどうしたものかと思っておりましたら、鷺谷さんから渡瀬さんのお話をお伺いいたしまして」
「ああ、なるほどね」
渡瀬はやっと腑に落ちた顔になる。「じゃ、やっぱりお客と云うわけだね」
「まあ、そうと云えばそうかも知れません」
私は応える。
「でもね、私にもできることとできないことがあるからね。おそらくあんたの奥さんも一連の失踪騒動と関係あるんだろ?」
「やはりご存知なんですね?」
「ここにはいろんな噂話が流木のように流れ寄ってくるからね。寄せ集めているうちに気がつくこともある」
「それがこの失踪騒動と?」
「むしろこれは始まりだよ。これから先、もっといろんなことが起きる」
「いろんなこと?」
「でも、あんたは少し先を見過ぎている。そうなるのは仕方ないことだけど、解決にはちっとも役立たない。いや、そもそも物事に解決と云うものはないんだがね」
「それは…」
「奥さんの事だろ?あの刑事さんから何を聞いたか分からないけど、問題は今すぐに奥さんを連れ戻すとかどうとかの話じゃない。私だってこんなのは初めてだ」
「あなたはその人の存在を、声を聴き続ければ戻ってくるかも知れないと」
私は鷺谷から聞いていたことを話す。
「それしか手はないからね。私が普段やっていることを話しただけだよ。嘘じゃない。その人の存在と云うのはいろんなところに残る。そして本人もそれを頼りにこちらにメッセージを寄越そうとするんだ」
「メッセージ?それはどんなものですか?」
「人それぞれだよ。でも一つ確実に言えるのは、それを受け取ろうとする者、或いは受け取れる人間なんてほんの僅かだと云うこと。だからこそ声に耳を傾け続けるしかない」
「…」
「それがお互いを繋ぐ唯一の道だよ」
「帰ってきた人達は何故?」
「あの人達は結局思い切れなかったんだよ。迷いがあったんだね」
「迷い?迷いがあった人が失踪したわけではないんですか?」
「迷いは誰にだってある。消えた者たちはこの世界を或る意味見限ったんだよ」
「見限った?」
妻が、この世界を見限った?
「だって見てごらんよ。この世界はひどいもんだ。みんな体裁ばかり繕って、本当の自分を生かそうとはしない。逆に少しでもそう云う風に生きようとする人間がいたら寄ってたかって袋叩きか知らんぷりだ。誰だってそう云う気持ちになるよ」
「私の妻は…」
「あんたの奥さんの事は知らない。ただ向こうの世界に行ったってことは奥さんが自分で決めたことなんだよ」
「では、もう彼女は帰ってこない。そして同じようなことがこれからも?」
「そうかも知れない。これはとにかく私らの想像を超えた営みに因るものだ。できることは最初から限られてる」
「私たちにできること?」
「そうさ。生まれてきた以上仕方がない。己の未熟さと罪を背負って生きていくしかない。ただね…」
「…」
「そんな哀れな者たちを密かにあざ笑ってるヤツもいる」
「あざ笑う?」
「同じ人間の罪でももっとも厄介なものだね。そう云うヤツに関われば、人間はねじれる。場合によっては人でもなくなってしまう」
「どう云う…ことですか?」
私は訊く。
「生きる意味を、繋がりを自分から切ってしまう。そう云うヤツはやがて我が身に降り注ぐ虚しさに他人までも巻き込もうとする。その時点で人ならざる者の一歩手前だ。私はね、そう云うヤツらにとばっちりを食う人の話を聞くのが仕事でね」
「それでどうにかなりますか?」
「大事なのはその人の気持ちさ。どんなに状況は変わらなくても『自分は一人ではない』、そう思えたらその先も生きていける」
「不思議ですね」
「あんたはどうなんだい?これからどうやって生きていく?」
「分かりません。このコロナ禍ですから、実家に戻るわけにもいきませんし」
「本当によくできた流行病(はやりやまい)だよ。人を根底から孤立させる。弱い者から排除する。そして人間の一番脆い部分を突いてくるんだ。人を人たらしめているものを食い物にして」
確かにそうだ。私は同意する。そして思う。全てがこのタイミングでマッチングしている。まるであらかじめ用意されていたかのように。だとしたらこの失踪現象は他の地域でも?
「では、今後同じようなことが別の場所でも起こり出すんでしょうか?」
「ん?コロナのことかい?」
「いえ、失踪事件のことです」
「多分ね。遅いか早いかの問題だと思うよ。今までだって無かったわけではないんだ。ただ目立たなかっただけでね」
「そうですか」
私は礼を言って立ち上がる。「あ、料金はお幾らですか?」
すると渡瀬は静かに首を振る。
「あんたは自分の心を読ませようとはしなかった。そんな人から金は取れないよ」
「心を読ませない?」
「気にすることはないよ。皆そんなものさ」
玄関を出る時、渡瀬の孫娘が一緒に見送りに出てくる。
「どうもお邪魔しました」
「あんまり思い詰めないことだよ。この一連の出来事にだってきっと終わりはある。私らは自分の領分を全うするしかないんだ」
その言葉に私は微笑して返す。渡瀬と傍らの孫娘はそんな私をしばらく見送ってくれた。
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