第20話
その影の人物に一番近いのはおそらく安川なのだろう。私は思う。
そうか。だとしたら逆により近く彼と距離を取ることでこの不穏の真相が見えてくるのかも知れない。接触を図るなら彼の周辺からだ。
「何、安川?」
「ええ、ご存知ないかと思って」
私は久し振りに鷺谷刑事と連絡を取る。
「何か怪しいのか?」
「いえ、特にそう云うわけでは」
「はっきりしろよ。気になるんだろ?」
電話口の鷺谷が逆に突いてくる。「安心しろ。こっちだって状況は同じだよ。奴の周辺が怪しいってのは分かってるんだ。しかし探ったところで何も出てこない。仕方ないから方々を歩いて回るしかない」
「そういうことですか」
私は以前鷺谷に相良を案内された時のことを思い出す。彼は彼で不穏の真相を暴こうと四苦八苦しているわけか。
「しかしコロナのお陰で下手に人にも会えなくなってきたからな。オタクの商売も大変だろう」
「まあ、そうですね」
私は応える。「でもこれも或る意味大きな流れですから」
「流れ、ねえ」
受話器の向こうで鷺谷が呟く。「その流れってヤツに呑まれた連中をこれまでよく見て来たよ。でもな、その流れの基になる奴は初めてだ」
流れの基、安川。いや、他にまだ別の存在がいるのか?
「鷺谷さんはどうしてそう思われるんですか?」
「勘に決まってるだろう。ウチの子どもには笑われるがな」
「勘ですか」
「そうだ。あんただってそう変わらんだろう」
「まあ、そうかも知れませんが」
「事件が起こってからでは遅いんだ。何故かみんなそのことに気がつかない。起こってから慌てる、悔やむ、人のせいにする。俺はそれが大嫌いだ」
「同感ですね」
「一つ教えてやろう。相手は俺たちを試してるんだ。どこまで自分に迫ってこられるか。もちろんその相手って云うのが未だよく分からんが」
そう言って鷺谷は一方的に電話を切る。
やれやれ、誰も彼も人知れず右往左往だ。異変には気がついている。事件も起きている。しかしその繋がりが判然としない。糸が手繰れない。
そこでスマホが鳴る。再び鷺谷だ。
「言い忘れた。新たな失踪者が出た」
「失踪者?」
「参考になるかは分からんが共通項がある」
「何ですか、それは?」
「短冊だ。青い短冊」
「?」
青い短冊。どうやら私たちに残されている物的証拠はそれだけらしい。
「変わった女がいるんだ」
切り際に鷺谷は言った。「噂を嗅ぎ回っている。会ってみるか?」
私は一も二も無く同意する。つまり私たちと同じようにこの不穏の霧に魅入られた人間が他にもいたと云うわけか。まあ、いいさ。どちらにしても再開発関連以外の仕事は激減している。暇は、十分にある。
本社はひとまずリモートワークを各店舗で進めるように打診した。私たちも特に異論はない。そのうち休業要請がお上からも下るだろう。まるでこのコロナ状況は我々国民に一時の冬眠を要求しているようだ。そしてそれはこの街の裏(?)事情とも繋がっているかのように思える。
「初めまして」
相手はごく自然に挨拶した。特に変わった印象もない。むしろ鷺谷から聞いていた印象とは別の、育ちの良ささえ窺われる。「一連の件ですよね。あなたも?」
「いえ、と云うか…」
どうやら相手は私の事をあまり聞いてないらしい。
「私は広告代理店の者でして」
私は持っていた名刺を渡す。
「ああ、知ってます」
「そうですか。そこで今、代理の責任者をやっております河野と云います」
「よろしく。私、森川千尋と云います」
そこで相手はにっこりと笑う。そして自分が一連の失踪事件を追いかけていることを告げた。
「最初は小さな読者投稿の記事だったんです」
彼女は現在タウン誌の編集に携わっていると云う。「その中に気になるフレーズが出てきたんですよ」
「どう云う?」
「青いチケット、です。短冊って云うのもありました」
「ん?青い、チケット?」
要は、色付きの紙切れと云うことか。
「そうなんです。失踪者が残した手紙とか日記にそのことが書かれてるんです。最初は偶然か何かと思われたんですが、数が集まるにしたがってどうもそうじゃないらしいと」
「それであなたが調べ出した。何か分かったことがあるんですか?」
私は訊く。
「いえ。やはり雲を掴むような話なんです。本人がいなくなってますから」
「確かに。それはそうだ」
「でもそのうち、身内や知り合いの人から話を聞くことに妙な興奮を感じるようになりました」
「興奮?」
「ええ」
私は彼女の顔を見る。鷺谷の言う通りかも知れない。質問してみる。
「何か面白い話でも?」
「そうですね」
森川千尋は頷く。「勿論それぞれの事情は違います。ですが残された人たちは皆本人のことが心配でならない。それにごく稀に本人が戻ってきたケースもあるんです」
「戻ってきた?何事もなく?」
「ええ、そうです。そしてその事に周りの人たちは別の驚きを隠せません。一体これは何なんだと」
「戻ってきた人達に何か特徴的な事でも?」
「ありません。覚えているのは青い紙片のことだけ。そこがまた奇妙なんです」
全くだ。しかし、そんな事がこの街の方々で起きていたのか。私は自分の見聞の狭さに今更ながら思い当たる。
「聞けば聞くほどミステリーが深くなっていくんです。まるで森の闇に迷い込むみたいに」
「さすが物を書く人は喩えが上手ですね」
私は率直な感想を言う。
「いえ、本心です」
相手も素で応える。
「分かります。私の場合仕事に直結してますから、所謂巻き込まれ型ですよ」
「そうなんですね」
「森川さんはこれからどうなると思われますか?」
「多分…」
森川は私を真っ直ぐに見る。「ここだけでは済まなくなる気がします」
「ここだけでは?つまりこの現象は伝播していくと?」
「はい。ですが新型コロナとはもちろん別です」
「どう云うことでしょう?」
私も森川千尋の表情に見入る。
「心の、と云うか、日本人の魂の問題だと思います、これは」
「…」
そう来たか。正直私はいささか閉口する。下手したらこの人もオカルト路線か。「だとしたら?」
「新型コロナ以上の災害が起こるかも知れません」
「ん?」
ここでも災害か…。
「ええ、人の暮らしにも影響が出ます。今のソーシャルディスタンスどころではなく」
「どうしてそう断言できるんですか?」
「日本人の魂と自然環境は謂わば同一系なんです。こう云う言い方をすると眉唾モノと思われるかも知れませんが(!)、私たち日本人と自然のモノたちは深い領域で繋がっていると思います」
「では、今回の一連には私たちの魂の在り方が影響していると?」
私は一応問うてみる。
「全てではありません。でもそのケースが多いと思います。そしてこの街はその引き金になっています」
森川は明確に応える。「青いチケットにも謂れがあるんです」
「どのような?」
「それはまだお答えできません」
「そうですか」
またしても雲を掴むような話だ。しかし彼女は少なくとも私よりはこの状況に深く感応しているようだ。
「河野さんはどうして?」
「きっかけは仕事ですが、調べているうちにやはり色々」
「気になりますよね」
「ええ、まあ」
私は苦笑しながら頷く。ここは今時珍しい昔ながらの喫茶店だ。今は客が少ないことで幾分殺風景に感じられるが、確かにコーヒーは美味い。
「何故、この宮前なんでしょう?」
「そうですね。ここには以前或る曰くのある社があったらしいんです」
「社、と云うと神社ですか?」
「そうです」
しかし、それではあの相良が知っていてもおかしくは無いはずだが…。
「この事は多分まだほとんどの人が知らないはずです。私が地元に戻ってこようと思ったのも、ひょっとしたらこの件と深く関わっているのかも知れません。最近そんな気がして仕方がないんです」
どうやらこの女とはあと少しばかり話し込むことになりそうだ。
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