私の名前を呼んで

夏ノ瀬ミツ

シミラールック





 ピピピ、ピピピ、と耳障りで頭に響くアラームが六畳半の部屋で鳴った。まだ半分眠ったままの頭で、うっすらと瞼を持ち上げて窓の外に視線を移すと、晴々とした青空が広がっていた。ズンと重たい頭を無理矢理持ち上げて起き上がると、伸ばしている黒髪が肩からパサリと滑り落ちていく。その時視界に入った自分の服装を見て、私はようやく頭痛の原因、つまり昨晩のことを思い出した。


「…ん゛〜、飲みすぎてたら止めてって言ったのに。」


 互いに酔っ払っていたことは百も承知で、私は頭の中の友人にそんな悪態をついた。この文句を直接言っても、どうせ百合さんは笑って流す。あの人はそんな人だ。5年も友達をしたらいろんなものがわかってくるんだから。

 ぐっとひとつ伸びをしてから脱ぎっぱなしの洋服を拾い上げて、私はお風呂場に向かった。時刻はちょうどお昼も朝も食べたくないような時間。私は洗濯機のスタートボタンを押しながら、何か連絡は来ていないかと携帯の通知欄に目を滑らせた。


________

純連すみれー、二日酔い大丈夫?』9:00


『しんどくなったら見舞いに行くから言いなよ』9:01

________


 百合さんから二件もDMが来てる、それも2時間半前に。今日は私よりも随分早く起きたんだ、意外。朝から予定でもあったのかな?何も聞いてない…ってあの人の予定を全部把握してるわけじゃないんだから当たり前だよね。

 ふるふる、と首を横に振ってひとまず「大丈夫だよ、」って返事をしておこうとDMを開いた瞬間、新たな通知で携帯が震える。


________

『純連まだ寝てる?』11:27


『既読早いね。今起きたとこ?』11:27


                     既読

                     11:27『うん、おはよう。』


『はよ、よく寝れた?』11:27


      既読

      11:28『眠れたよ、いつも家まで送ってくれてありがとう。』


『いつも言ってるけど貸し借りとかそんな気にするなよ?

 飲み連れ出してる側としてこれくらいはさせてもらわないとさ 』11:28


        既読

        11:28『わかってるよ。でも感謝はしてもいいでしょ?』


『それはもちろん、愛を伝えてくれてもいいんだよ?』11:30


                 既読

                 11:31『百合さんやさしくて素敵〜』

________


 ポン、ポン、となり続ける携帯に応えるように、私もたぷたぷと文字を打ち込む。そうやってゆったり百合さんとメッセージを送り合いつつ、私は遅めの朝ご飯の準備に取り掛ることにした。食パンを袋から取り出して返信して、パンをトースターに入れて返信して、と携帯と朝食の間を行ったり来たりしながらとても遅いペースで。


 チンと音を立てたトースターから漂うパンの焼ける香ばしい匂いが鼻をくすぐって、思わずお腹をきゅうと鳴らす。思っていたよりもお腹が空いていたみたい。確かに、お昼も兼ね備えるならもっと食べた方がいいかも。

 とりあえず今はこのパンで小腹を満たしてしまおうと一口分頬張ったところで、開いていたチャットが更新された。お昼ご飯に誘う文章と、最近気になっているらしいお店のリンクが貼られている。


「ちょうどよかった」


 口の中のパンを飲み込んで、私はそう呟く。ぜひに、と色良い返事を返せば今か今かと待ち構えていたみたいな速さで絶妙にやる気のない顔をしたスタンプが送られてきた。

 百合さんがたまに使う不思議なセンスの、少しクセになるスタンプだ。疲れた顔をしたパンダの横に喜びの舞と明朝体で書かれている様はなかなかにシュールで、私も思わず笑いをこぼす。なんだかこのスタンプを使われるたびに笑っているような気がする。感受性が豊かになったのかもしれない、笑いの種がたくさんあると人生楽しいことばかりになって素敵だよね。


 って、考え事をしてる場合じゃなかったな。急いで着替えて身支度を終わらせないと百合さんを待たせちゃう。狭い部屋の中を駆け足で移動してクローゼットに向かった私を見越したように、また一件。


________


『急ぎ過ぎて怪我しないようにしなよ、』11:56


                    既読

                    11:56『うん、気を付けるよ』


『てかもう純連の家行っていい?

 あとメイクだけだからすぐ家出れる』11:57


             既読

             11:57『いいよ。出られるようにしておくね』

________


 了解とスタンプが返ってきたのを確認してから、そっとスマホの画面を閉じる。次は服選びの時間だ、どれにしようかな。百合さんの雰囲気に合わせるなら…、動きやすそうなこれとか?今日、百合さんはどんな服を着てるんだろう。いつもアウトドア系の私には出せない雰囲気でばっちりカッコよくキメてるし、今日もそんな感じなのかな。もし今の手持ちでできそうなら、シミラールックとかやってみたいな。せっかく一緒にお出かけできるんだし。


 ど、どんな服着てるか聞いてみちゃおうかな…。でもお揃い嫌な人だったらどうしよう。本当にちょっとしたこと程勇気が出ない、気軽に聞けば良いだけなのに。頭では解決策をわかっているなのに、思考の渦にどっぷりとハマってしまう。これは私、辻純連という人間にとってはままあることだった。嫌われたくない親しい友人に対しては特にそのきらいがある。考え過ぎだって自覚があることは、それをやめられる理由にはなってくれないんだ。

 パッと手に取った白いブラウスの繊細なレース模様を見つめながらぐるぐるとそんなことを考えていると、ピンポーンと予想していたよりも随分早く来客を知らせるドアベルが鳴った。


「はーい、今行きまーす」


 条件反射で出るような少し間延びした声で返事をしながら、パタパタと玄関先に向かう。その道中一度躓きかけて、インターホンが鳴るとついつい急いじゃう理由を考えたりしながら、私は手短なスリッパに足を滑り入れた。ドアを開けたところで最初に目が合ったのは、よく見知った友だちのいつも通り優しい顔。自分がまだパジャマのままなことも、もうお昼時なことすら忘れて私は呑気におはようと挨拶を口にする。

 今日の彼女は、驚くほど似合っているカーキのクロップド丈オフショルダーに、ハイウェストの黒いチノパンツを身につけていた。手首で光る銀色の細いチェーンが、彼女のかっこいい雰囲気を後押ししていて、思わずため息をついてしまいそうだ。憧れの同性って言葉がこれほどしっくりくる人は私の人生でこの人ただ一人なんだろうな、とぼんやり思わされる。


「あれ?まだ着替えてなかったんだ、」


「……あ、えっと、うん。ごめん、ちょっと待たせちゃうかも。」


「ああ、気にしないで気にしないで。私と出かけるためにおしゃれしてくれてるんだからいくらでも待てるよ」


「ありがとう、百合さん。飲み物は冷蔵庫で冷やしてるから喉乾いたらそれ飲んでね」


「ん、わかった。ゆっくりおしゃれしてきな」


 ふりふりと手を振る百合さんを一人ダイニングに残して、私はクローゼットのある寝室の方に向かった。コポコポと水の注がれる音を聞きながら、私は扉の隙間から垣間見える彼女を横目にあの人の隣に立てるような服を見繕っていった。少しスポーティーにキャップをかぶってみたり、サルエルパンツを履いてみたり、とあれこれ試行錯誤をしながら。

 そうやって格好を決めて、ふと時計を見た時にはもうすでに12時半を回っていた。私、人を待たせてるのに優雅に1時間もかけて着替えてたの?さあ、と顔から血の気が引いていくのを感じながら、私は慌てて百合さんのところまで戻った。


「ゆ、百合さんごめんなさい!すごく待たせちゃった、こんなつもりじゃなかったのに。30分以内に終わらせるつもりだったの、だったのに…。」


 半ば懺悔みたいな勢いで反省の言葉を口にすると、百合さんは携帯から私の方へと視線を移動させた。深々と頭を下げて続く謝罪の言葉と共に百合さんに平謝りしていると、彼女のスラリと伸びた指が私の肩を掴んだ。頭をあげるように言葉で促されて、言われるがままに彼女を見上げると、その綺麗な瞳と、緩く細められた目尻が私の目に入った。


「ねえ、そんなことよりさ。その服どうしたの?」


「こ、これは、その、百合さんとシミラールックをやってみたくて…。も、もちろん嫌だったらすぐに脱ぐから、」


「あ、やっぱり?めちゃくちゃ似合ってる、ほんっとうにかわいいよ。脱ぐつもりなんてもったいないこと言わないでさ、それで一緒に出かけよ?」


 私の手を上から包むように握りながら、嫌だなんて微塵も思っていなさそうな顔で百合さんはそう言う。許された安堵とお揃いの嬉しさに頬の緩みを感じていると、同じくらいにこやかな百合さんが「ペアルックもしてみない?今日服買いに行こうよ。」と声を弾ませた。


「これ、髪の毛まだ何もしてないよね。私が何かやってあげてもいい?似合うの考えるよ」


「え、いいの?やったぁ。ふふ、楽しみだなぁ」


「期待してくれていいよ、腕によりをかけてセットしたげる。」


「百合さん長い髪の毛のヘアセットすごく上手だよね、私もそのうち自分で出来るようになりたいな」


「いつまでも私にやらせてくれてもいいんだよ?」


「大丈夫、ちゃんと上手くなるから。あっと驚かせてあげるね」




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