第5話 氷の城の孤独と、高熱の甘え方
翌日、九条冬華は学校を休んだ。
空席になった隣の席を見つめながら、俺は昨日の放課後を思い出さずにはいられなかった。
雨に濡れたブラウス。肌に張り付く冷たさと、それを凌駕するような熱い抱擁。
あんな無茶をすれば、体調を崩すのも無理はない。
放課後、俺は担任からプリントを預かり、彼女のマンションの部屋――俺の隣室のインターホンを押した。
「……はい」
しばらくして聞こえてきた声は、ひどく掠れていた。
俺だと名乗ると、解錠される音が響く。
ドアが開くと、そこには厚手の毛布を頭から被り、みのむしのような姿になった九条が立っていた。
顔が赤い。呼吸も浅い。
「プリント、届けに来た。……大丈夫か?」
「……ん。入って」
拒否権はなく、俺は初めて彼女の部屋へと足を踏み入れた。
そこは、まさに『氷の令嬢』の城だった。
モデルルームのように生活感がなく、白とグレーで統一された無機質な空間。
そして何より――寒い。
俺の部屋のエアコンを求めに来る彼女の部屋なのだから、当然かもしれないが、暖房がついている気配がない。
「なんで暖房つけないんだよ」
「……乾燥するから、嫌い」
彼女はふらふらとベッドへ向かい、倒れ込むように横たわった。
俺は仕方なくキッチンでスポーツドリンクと簡易的な粥を作り、ベッドサイドへ運ぶ。
彼女はそれを少しだけ口にすると、また力なく枕に沈んだ。
「……帰るの?」
俺が立ち上がろうとすると、熱い指先が俺の袖を掴んだ。
潤んだ瞳が、下から俺を見上げている。
熱のせいで、普段の怜悧な雰囲気は完全に溶け落ち、ただの心細げな少女の顔になっていた。
「ここにいて。……寒い」
「暖房をつければいいだろ」
「機械の熱じゃ、嫌なの。……あなたが、いい」
彼女は俺の手を掴み、強引に自分の額へと持っていった。
掌に伝わる高熱。
火傷しそうなほどの熱さが、彼女がいかに消耗しているかを物語っている。
それなのに、その瞳には肉食獣のような光が混じっていた。
「……ねえ。風邪、うつせば治るって言うわよね」
「迷信だ」
「試してみないと、わからない」
彼女がぐい、と腕を引く。
予想外の力にバランスを崩した俺は、そのままベッドへと倒れ込んだ。
柔らかいマットレスの感触。
そして、下から俺を受け止める、熱い身体の感触。
彼女の部屋の匂い――冷たいミントのような香りと、彼女自身の甘い体臭が混ざり合い、鼻腔を満たす。
「九条、お前、病人だろ……!」
「病人だから、優しくして」
彼女は俺の首に腕を回し、逃げられないようにロックすると、熱い吐息を俺の口元に吹きかけた。
「……私の部屋、何もないでしょう?」
「あ、ああ……」
「寒くて、広くて、寂しい場所。でも、あなたが来ると、急に色がついたみたい」
彼女の手が、俺のシャツの背中を這う。
俺の部屋に来る時とは違う。
ここは彼女のテリトリーだ。
弱っているはずの彼女に、精神的な主導権を握られているような錯覚に陥る。
「私を満たして。……あなたの熱で、この部屋の寒さを全部追い出して」
唇が触れ合う直前。
彼女は「ふふ」と熱に浮かされたように笑い、俺の耳元で囁いた。
「風邪、うつっちゃったらごめんね? ……共犯者さん」
その言葉は、免罪符であり、誘い水だった。
俺は観念して目を閉じ、彼女の高熱に自ら溺れることを選んだ。
白一色の部屋で、俺たちの熱だけが赤く燃え上がっていた。
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