第3話 鉄の誓い

 組合を作る——その言葉は、まるで火種のようだった。

 マコトの提案に、最初は戸惑いの声もあった。

 「そんなことしても無駄だ」「上に潰されるだけだ」

 誰もが、心のどこかで諦めを抱えていた。


 だが、あの事故の一件が、確かに何かを変えた。

 怪我をした青年は、結局、工場から姿を消した。

 「療養のため」とだけ告げられ、詳細は伏せられた。

 補償も、見舞金も、何もなかった。


 「このままじゃ、次は誰かが死ぬ」


 マコトの言葉に、少しずつ仲間たちがうなずき始めた。

 ハルもまた、その中心にいた。


 「俺たちの声を、形にしよう。誰かがやらなきゃ、何も変わらない」


 組合の立ち上げは、秘密裏に進められた。

 夜な夜な寮の一室に集まり、話し合いを重ねる。

 規約を作り、代表を決め、要求書をまとめる。

 そのすべてが、初めての経験だった。


 「なあ、ハル。お前、なんでここまでやる気になったんだ?」


 ある夜、マコトが尋ねた。

 二人きりの帰り道。工場の裏手を歩きながら。


 「……前に、誰かを守れなかったんだ」


 「誰か?」


 「戦争のときの話だ。……いや、夢の中の話、かな。

 俺には、逃げようとした仲間がいた。

 でも、そいつは撃たれて死んだ。

 俺は、生き残った。何もできなかったのに」


 マコトは黙って聞いていた。

 ハルは続けた。


 「だから、今度は逃げない。誰かのために、ちゃんと声を上げたい。……それだけだよ」


 「……そっか。お前、やっぱ変わってるな」


 「よく言われる」


 二人は、顔を見合わせて笑った。

 その笑いは、どこか切なく、けれど確かな強さを帯びていた。


 数日後、組合の設立が正式に決まった。

 参加者は十数名。全体の三分の一にも満たない。

 だが、それでも十分だった。

 声を上げる者がいる限り、希望は消えない。


 要求書には、こう書かれていた。


 — 労働時間の短縮

 — 安全管理体制の強化

 — 怪我人への適切な補償

 — 労働者の意見を反映する協議の場の設置


 それは、当たり前のことばかりだった。

 だが、その“当たり前”が、この工場にはなかった。


 提出の日。

 ハルとマコトは、代表として事務所に向かった。

 上層部の部屋は、冷たい空気に包まれていた。


 「……組合? ふざけるな。お前たち、何様のつもりだ」


 部長の声は、怒りと嘲笑に満ちていた。

 だが、ハルは一歩も引かなかった。


 「俺たちは、ただ人間らしく働きたいだけです。

 命を削って働いてるんです。

 それに、声を上げることは、間違いじゃないはずです」


 「ほう。じゃあ、全員クビにしてやろうか?」


 「それが、あなたの答えなら……それでも構いません」


 部長は一瞬、言葉を失った。

 その隙を突くように、マコトが言った。


 「オレたちは、もう黙って働くだけの歯車じゃない。

 あんたらが何を言おうと、オレたちは変わらない。

 これが、オレたちの“誓い”だ」


 その言葉に、ハルはうなずいた。

 鉄のように重く、熱く、そして折れない意志。

 それが、今の彼らを支えていた。


 事務所を出たあと、二人は無言で工場の裏手に向かった。

 夕暮れの空が、赤く染まっていた。


 「……やっちまったな」


 「うん。でも、後悔はしてない」


 「オレもだ」


 マコトがポケットから取り出したのは、あの飴玉だった。

 「妹に渡すつもりだったけどさ、やっぱり持ってたくて」

 そう言って、彼は飴を空にかざした。


 「これ、オレの“誓い”なんだ。

 あいつに恥ずかしくない兄貴になるって、決めたからさ」


 ハルは、そっとその飴を見つめた。

 ユウジの面影が、ふと重なった。


 「……いい誓いだな」


 「お前の誓いは?」


 「……誰かの命を、無駄にしないこと。

 それが、俺の“鉄の誓い”だ」


 風が吹いた。

 工場の煙突から立ち上る煙が、夕空に溶けていく。

 その向こうに、星がひとつ、瞬いていた。

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