第2話 サキュバスのエル

 エルは勝利を確信していた。

 目の前の男は単純に見えて中々疑い深く、契約はエルにとって、やや不利なものと成ってしまったが、それでも主従契約に比べれば遥かに自由を得る事ができた。

 後はこの男を魅了して、言いなりにさせてしまえばいい。

 自分にはそれが出来るという自負があった。

 魅了と誘惑、それはサキュバス族にとって、必要不可欠かつ最大の能力であり、それを最大限に活かす術を生まれながらに身に着けている。

 彼女が一歩近づくだけで、魅惑の香気を漂わせ、微笑みかければ、 相手はたちまち頬を紅潮させ、視線を奪われ、息を乱す。

 優しく触れ、甘く囁やけば、相手は、もう虜となり、逆らえなくなる。相手の思考は、エルの寵愛を受け、エルと交わること以外の事を考えられなくなる……耐性の低い人間の男など特に。

 だから――

 目の前の男が「反応しない」という現象は、 サキュバスである彼女にとって、“あり得ない”だった。

 もちろん、表情には出さない。

 出すわけにはいかない。

 エルは妖しい微笑を浮かべ、

 あくまで余裕たっぷりの声で囁く。

「……どうしたの、カズト?わたしが近づくの、そんなにいや?」

 余裕の笑みを浮かべるエル。しかし、その裏で、心の中は混乱に極みにあった。

(……え、なにこれ。どういうこと?)

(ひょっとして……わたしの魅了、効いてない?そんなバカな……!)

(この距離よ? サキュバスの誘惑に耐えられる人間なんて、普通は存在しないのに……!)

 カズトが目を逸らすたび、 エルは“抗われている”と錯覚しそうになる。

 だがすぐに否定する。

(違う、抗ってるわけじゃない……反応が薄すぎる!)

(え、もしかして興味がない? 私に?)

(いやいやいや!? そんなことある!? ないわよね!?)

 エルは優美に髪をかきあげながら、頬を寄せるように距離を詰める。

「ねぇ……カズト?」

 外側は完璧な妖艶スマイル。

 内側では――

(……近づいたら普通もっと動揺するでしょ!?顔を赤くするとか……息が乱れるとか……!)

 しかしカズトはただ固まるだけ。

 逃げもせず、飛びつきもせず、ただ耐えている。

 それが逆にエルの焦りを加速させる。

(落ち着くのよ。これは……きっと個人差だわ。そう、“そういうタイプ”の人間なの……………その、はずよね?)

 だが、心のどこかで叫びが止まらない。

(お願いだから何か反応してよ!!このままじゃ、わたしが必死みたいでイヤ!!)

 さらに距離を詰め、指先をギリギリのところまで近づける。

「触れたいと思わないの……?私は……いいのよ?」

 余裕ある声音――しかし内心は、

(お願い! 反応して!!サキュバスの面目がかかってるのよ!?)

 カズトのあまりにも鈍い反応を見て、ついにエルの心は冷や汗を流す。

(何この人……精神力が強すぎる……!いえ、もはや異常……!こんなに誘惑してるのに……、魅了の魔眼も効果がないみたいだし……本当に”人間”なの?)

 焦りすぎて、この男には敵わない、とおもいはじめている。

 エルは、カズトの顎に指を伸ばしながら微笑む。

 声は甘く、余裕すらにじませている。

「……ねぇ、カズト。私の事――」

 しかしその裏で、心の声は完全にパニック。

(お願いだから……私が欲しいって言って!これ以上わたしを焦らせないで!!)

 エルは焦る心を抑え、カズトへのスキンシップを強めていく。

(まさか……ひょっとして、男が好きだとか?……ううん、そんなことない。私の胸をチラ見して、興奮していたのは確かだもん。)


 しかし、どれだけ誘惑を仕掛けても反応が鈍いカズトに対し、エルはとうとう白旗を上げる。

「クスッ、私の負けよ。でもご飯のお預けはイヤよ……」

 だけど、ずっと封印されていてマナは尽きかけているのだ。せめてお情けでいいから精を……。

 そう思い、口づけをする。

 舌を差し入れると濃厚なエナジーとマナが流れ込んで来る。

 ……と同時に、カズトの不自然な挙動に気づく。今までと打って変わり、カズトがケダモノのようにエルの唇を貪ってくる。

 エルの脳裏に閃光のように真実が走った。

(……違う。――こいつ、ただのヘタレだわ。)

 この動きは、女の扱いに慣れていない、童貞男の挙動そのものだ。

 自分から行動できないヘタレで、女の子から誘導してあげないと何もできない、だけど、一度行動を起こすと、相手の女の子のことなど一切考慮せず、自分の本能の赴くままに行動するという、しょうもない、アレである。その結果、相手に振られるところまでがワンセットなのだ。

 理解してしまえば、エルに余裕が戻ってくる。

(そう、抗っていたんじゃなくて、どうすればいいかわからなかったってことね。可愛いじゃないの。)

 エルは余裕の笑みを浮かべ、カズトの頬を優しく包み込む。

 ◇

 エルが俺の瞳をじっと覗き込んだ。

 近づくたびに跳ねる心臓、真剣に見返そうとするのに目を逸らす癖、耳の赤さ――

 俺の不自然な挙動に、彼女は重大な勘違いに気づいてしまった。

「……あら?」

 微笑が止まり、エルの表情がじわりと変わった。

「カズト。ひょっとして……」

 一拍置いて、彼女は確信したような顔で言い放つ。

「アナタ、ひょっとして――童貞のヘタレ?」

 空気が凍る。

「――――っ!!?」

 顔が一瞬で真っ赤になり、耳まであっという間に真っ赤に染まるのがわかる。

 なんでそれを言う!?

 なんでバレる!?

 なんで今なんだよ!!

 羞恥と怒りと混乱がぐちゃぐちゃに絡み合い、僅かに残っていた理性が弾け飛んだ。

「ふざけんな!!童貞ちゃうわっ……違わないけどッ!」

 勢いのまま、エルへ飛びかかり押し倒す。

 普段からは想像もつかない行動だった。

 しかし、エルはまるでそれを歓迎するように口元をゆるめる。

「そう。やっと“らしく”なったじゃない。こっちの方が……ふふ、可愛いわ」

 エルは軽く身体を動かし、俺を受け止める。

「……っ!? う、動け……ない…!」

 エルが腕を、足を、身体全体を使って俺を絡めとる。

「クスクス。大丈夫だよ、お姉さんに任せて。気持ちよくしてあげる♡」

 エルは嬉しそうに瞳を細め、優しくキスをしてくる。

 その蕩けるような舌使いに、俺はなすすべもない。白旗をあげざるを得なかった。

「クスクス。ずっと私のターンよ。」

 それは、エルが完全なる優位を宣言する言葉だった。

 その後どうなったか――詳しく語る必要はないだろう。 ただ、童貞の俺が、サキュバスのエルに敵うはずがないのだと言うことだけ言っておこう。

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